見出し画像

【短編小説】 運命

 裕紀の父が母に初めて出会ったのは、彼の父がまだ22歳の若さの頃で、その出会いはなんとたった1時間にも満たないほど僅かな機会にもかかわらず、3年後の25歳になる手前で再び母と巡りあい、その恋心を成就して結婚に至った。

 まだ裕紀が幼い頃に、夕食の宴でほろ酔い気味の父が何度も繰り返して話していた二人の馴れ初めの話だ。

 その話が始まると、母は照れているのか決まって無口になり、口元に微笑を浮かべてその場を取り繕うように食事の片づけを始めるのが、いつものパターンになっていた。

 父は初めて母に出会ったその22歳の時を「運命」と信じており、だからこそお互いがたまたま旅行先で知り合った間柄であるにもかかわらず、後年に再会を果たしたのだと考えていた。

 誰しもが自分の人生に於ける様々な事象を「運命」と捉えたがる傾向は理解出来るのであるが、裕紀の父がその出会いを「運命」と信じるには、それなりの根拠が存在した。

 裕紀の祖父である父の父親は、祖母との初めての出会いを22歳の時に経験していた。

 時代背景やそれぞれの境遇など現在と到底比べる事は出来ないのだが、どんな偶然なのか22歳の時にたまたま出張先の仕事がらみのパーティで祖母と出会い、そして祖母に対して仄かな恋愛感情を感じながらも祖母と再会したのは、父の時と同じ25歳になってからだった。

 だからという訳ではないのだが、現在22歳である裕紀も血筋を信じて、それなりに出会いを意識してこの1年を過ごしていたのだ。

 しかし気が付けば、後3日で23歳の誕生日を迎えてしまう為に、自分の「運命」である人物が本当に現れるかどうか疑問も感じ始めていた。

 別に裕紀に男性的な魅力が薄い訳でも無く、普段の生活に於いても異性と知り合う機会は決して少ない方では無いのであるが、女性に対して一目惚れをするにあたり不可欠なものが決定的にかけているのも事実だった。

 裕紀はゲイであった。

 自分がゲイである事を意識し始めたのは中学生になった頃であった。

 それまでは女の子ともよく遊んでいたので、むしろ周囲からは無類の女好きだと思われいた節もあるが、よくよく考えればそれは異性との交流を楽しむというよりは、女の子同士で遊んでいるといった感覚に近いものだったと、今になって納得出来ることも少なくない。

 しかし当時はゲイに関しての知識も皆無だったので、同性に対して恋愛感情を抱いてしまう自分に嫌悪感を感じており、きっと22歳になる頃にはゲイは治って女性に対して恋愛感情を持つ事が出来るのだろうと期待を持っていた。

 そのせいか根拠の無い安心感に包まれて、それまではゲイとしての恋愛を謳歌しようと思い、同級生に恋心を抱いたり先輩に憧れたりする自分を否定せずに成長出来た。

 そして気が付けば大学生活も終盤に差し掛かり、不景気の煽りを受けた就職難の為、友人の間では口を開けばその話ばかりで終始する暗い状況ではあるが、裕紀はそれとは別の意味で暗い状態に陥っていた。

 治ると信じていたゲイの感情は治るどころか更に勢いを増しており、様々な文献やネットから得た知識により、ゲイは一過性の病気では無く天性の性質である事を知り、22歳で「運命」の女性と出会う事がほぼ絶望である事を悟ってしまったのだ。

 それでも気長に自分を変えてくれる女性の出現を期待し続けていたのであるが、23歳まで残り3日となってしまい、焦りと諦めの感情が交互に胸に去来していた。

 しかし23歳までに残り2日の時に、思いがけず同じサークルの女性から、部室で二人きりになった時に告白を受けたのには、あまりにもタイミングが良すぎるせいか偶然とは考えられず、思わずその気も無いのに交際を承諾しようとしてしまった。

 「はい、よろこんで」と、まるでチェーン店の居酒屋で出前を取るアルバイトスタッフのように感情のこもっていない声で返事をしようとしたのではあるが、タイミング悪く憧れの同性の先輩であるOBの池田が久々に部室に入ってきた為に、何故か言い訳口調で「ごめん、他に好きな人がいるから」とほぼ条件反射的に返事をしてしまっていた。

 実は憧れの池田から部室に遊びに来ると予め連絡があって待っていたところだったので、そこで変な誤解をされる事だけは避けたかったのだ。

 裕紀は密かに池田に対して、自分と同じようにゲイとしての素養を感じ取っていたので、ひょっとしたら彼と恋愛関係を結べるのではと淡い期待を抱いていた。

 彼の性格の根幹となっている多少破天荒でお金と女にルーズなのも、裕紀の目に貼られているフィルターを通してみれば、男らしい魅力に溢れていた。

 折角の女性との交際チャンスも棒に振ってしまったが、きっと彼女は「運命」の人じゃないと思い込む事にした。

 その夜は池田と飲み明かし、振り回されて散々であったが、充実した時間を過ごせた。

 そして23歳まで残り1日の朝が到来し、いよいよ自分が「運命」の人に巡り合うラストチャンスだと寝起きに思っていたその時に、携帯のメール着信音が鳴り響いた。

 ベッドの中から手だけを伸ばして携帯を手に取りメールを確認すると、そこには以前登録したサイトから返信メールが届いていた。

 件名は『私でどうですか?』

 実は数週間前に女性との出会いの可能性を広げる為に、ゲイとレズビアンの友情結婚サイトに登録しておいたのだが、その返事が全く来なくて忘れかけていたところに突然返事がやってきたのだ。

 メールを読むとそこには彼女が社会的な地位が必要になってくる為に、お互いにパートナーが居ても構わない結婚相手を探していて、年齢的な条件と居住地区に関しての条件が都合の良かった為に、連絡をくれた事が分かった。

 この奇跡的とも言えるタイミングでのメールに裕紀は「運命」を感じ、即効で『前向きに考えます』と返事を返した。

 やはり血筋は争えない事を確信して、安堵と少しばかりの不満を感じていたのであるが、今度は部屋の呼び鈴を鳴らす音が鳴ったので、訝しげにドアの覗き穴から見るとそこには母の姉である伯母が立っていて驚いた。

 そういえば母から伯母が上京の際にウチに寄ると聞いていたのを思い出し、眠気眼でドアを開けると、いきなりテンションの高い声でまくし立てながら伯母が入ってきた。

 騒がしいのは彼女の個性なのだが、寝起きを無理矢理覚まさせるような強烈な口調に辟易していると、脈絡も無く母の昔の話をし始めたので、その途端に耳を澄まして聞き入らざるを得なかった。

 別におしゃべり好きなだけで悪気は無いのであろうが、時に驚くような内容を話すのが彼女の特性だったりするので、以前から裕紀も警戒はしていたのだ。

 彼女曰く母は父と会う前は男運が悪く、惚れた男がどれも破天荒で女好きの道楽者ばかりで、いつも泣かされては捨てられていたらしい。

 そして不幸のどん底に居た時に以前に知り合った父と再会し、結婚に至ったという話だ。

 そこで漸く裕紀は自分の境遇を理解した。

 自分がずっと父方の血筋の人生を歩むと思い込んでいたのあるが、ゲイという人格が影響しているからなのか、実は母方の血筋を強く引いていると言う事を。

 とりあえず22歳までのリミットというゲームはロスタイムに突入したが、しばらくは勝ち目の無いゲームを続ける事になるのを確信し、深く溜息をついて携帯に届いた先程の返事を無視して窓の外を眺めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?