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【短編小説】 月の輝く夜に

SIDE:A

 尚人君との初めてのキスの感触を他の例えで言い表すと、ちょっとぬるめのプリンに唇ごと突っ込んでしまい抜けなくなった感じだとか、ゴム製の洗濯バサミに掴まれて微妙な圧迫感をずっと感じている状態だとか、とにかく私が今まで妄想で思い描いていたロマンティックな行為とは、100万光年も遠いような感触であったのには間違いは無かった。

 しかしそんな些細な事ではくじけずにこのムードを盛り上げようと、両手はしっかりと尚人君の背中に回して、そのまま自然にその場に倒れこむように流れを作る事は完璧に出来たので、我ながら自分の才能に惚れ惚れした。

 私の信頼出来る数人の友人が評した私という人物像について否定できない評価と言えば、『とにかく熱しやすく冷め易い』という事だ。

 確かに2ヶ月前までは自分にとって人生に於ける最愛の人はおよそ1週間おきに変化した為に、周囲からは『香織のオリコンランキング』などと冗談交じりに(いや本気かも…)言われるのを知ってはいたが、尚人君を好きになってからは既に3週間は経過していたので、これこそ真実の愛だと確信しても私にとって仕方の無い事だったのだ。

 そんな訳で猛烈に尚人君にアピールしてここまで辿り着いた訳ではあるのだが、神様のいたずらのせいで、人生最大のチャンスと人生最大の危機を同時に迎えてしまっている。

 最近雨続きで洗濯を家でしていなかったせいもあり、油断していたら下着のストックが切れていた為に、魔が刺して母の下着をそのまま借りて穿いているのだ。

 いくら人通りの無い海岸通の脇道であれどキス以上の行為に進むには憚れるのであるが、ついお互いのテンションが予想以上に急上昇をしてしまった為に、すっかり歯止めの効かない状態に陥ってしまっていた。

 ふと夜空を見上げると月も月食の為に隠れてしまって辺りは暗いので、運はどうやら私の味方していると確信し、尚人君のスカートを脱がす手を止める事無くそのまま身を任すことにした。

 暗がりで尚人君と視線を交わし合い私のスカートが脱がされたと分かった瞬間に、いきなり大きなフラッシュが焚かれたような明るさで月が光り、私の穿いていたハイウエストで変なフリルが付いた下着がはっきりと見え、それと同時に尚人君の引き攣る表情が見て取れた。

 何が起こったか全然分からなかったが、とにかく自分の中での尚人君への熱が急激に冷めていき、『香織のオリコンランキング』が新たに自分の中で集計されているのを感じていた。

 月食が突然発光するなんて授業では習わなかっし、今後の人生にも役立つ知識になるとは到底思えず、とにかく甘いものを自棄食いしたい思いのみが頭の中のほとんどを占めていて、この気まずい空気を薄めるためにただただ薄っぺらい会話で埋めていく事に専念した。



SIDE:B


 打ち上げ花火の醍醐味とは、破裂する際の大きさや高さだけではなく、周到に計算された順序で様々な種類の花火が夜空に映し出すハーモニーこそ、何よりの妙だと言っても過言では無いと俺は思っている。

 初めて親父に花火大会に連れて行った貰った時に受けた衝撃は、たぶん俺は一生忘れないであろう。

 それはまるで高名な指揮者が操るクラッシックのオーケストラ演奏の如く、夜空に極上の旋律を奏でていて、手にしていたブルーハワイ味のカキ氷がすっかり溶けても気が付かないほどの感動を味わう事が出来たのだ。

 もしその頃に親父が野球好きで子供を野球場にも連れて行くようなタイプだったら、ひょっとして野球選手を目指していたかもしれないし、漫画好きの親友の高橋が小学3年生の時にで転校さえしなければ、ひょっとして二人で漫画家を目指していたかもしれないのだが、あの花火の日の印象が結局今の花火職人としての俺の原点に違いないと思っている。

 今年の打ち上げ花火大会の計画だが初めての責任者だという事もあり、半年も前から入念に準備を重ねてきた。

 古今東西の花火のVTRを何度もテレビで鑑賞し、世界中から最新の花火の技術を集めるのに奔走し、寝る間も惜しんで試行錯誤の上に究極の打ち上げ計画を作り出したのだ。

 最初の20連発のプロローグから徐々に大きさと迫力を増して盛り上げて行き、あらゆるパターンの花火を絶妙のタイミングで組み合わせて見せた後、一瞬の静寂を置いて突然のクライマックスを迎える趣向に自分の全てを凝縮したつもりだ。

 今目の前で次々に打ち上げられている花火を眺めながら、甘美な一体感となんとも言えぬ達成感に身を包まれていたのだが、最後の瞬間に打ち上げられて大団円を迎えるはずの花火がタイミング通りに上がらず、瞬時に打ち上げミスが起こった事に焦ったのだが、その時に信じられない奇跡が起こって素晴らしい結末を迎える事が出来たのだ。

 なんと打ち上げられる花火の代わりに夜空に月食で隠れていた月が、一瞬であるが眩しいくらいに輝きを増したのだ。

 そのタイミングたるやほぼ完璧といってもいいほどで、即効でセッションしたミュージシャンがお互いの良さを引き立たせて化学反応を起こしているようであった。

 俺は神様の存在を信じたくなって、目を細めながらその月食の移り変わっていく変化を眺めていた。


SIDE:C

 宇宙空間で無音の世界を初めて体感した時、まるで自分という存在が宇宙の中で塵程度のものであるかのように感じたのだが、環境に慣れてくるに従って、逆に宇宙との一体感を錯覚するほどまでに心が解き放たれていくのが分かった。

 この月面から眺める地球の姿は、過去の勇猛果敢な宇宙飛行士がその任務を一瞬忘れてしまったのが分かるくらいに美しく、これから私が行わなければならないミッションの事を思うと、人類の傲慢とも言えるエゴの愚かさに決心が揺らぎそうになるのも否めない。

 現在月に向けてスペースシャトルが打ち上げられているのを知っているのは、アメリカでも極一部の政府の要員のみであろう。

 幼い頃からの究極の夢であった月面歩行が現実となった今、感慨深さよりも戸惑いの方が上回っているのはなんとも皮肉な話である。

 眼下に広がる景色には、まるで坑道のようなあちこちに穴が空いた作業場と、様々な採掘機が至るところに点在している。

 冷戦時代に密かにアメリカによって作られたヘリウム採掘現場は、核兵器の増産の際にもっとも重要な拠点の一部として捉えられていた。

 時は移り変わり世界規模での平和が唱えられ、まるでこれまでの反動のようにヒステリックなまでに環境保護が訴えられているこの時代では、この月面のヘリウム採掘場は決して歴史に存在してはいけないものの一つであるのだ。

 今夜世界では天文学的な大きさの嘘がでっち上げられ、隕石が月に衝突する事になっている。

 その際になんらかの変化が地上から見られるかもしれないのだが、何故かこんな日に限って『月食のタイミング』と同じなのだ。

 1時間前に核弾頭のセットは終わり、後はここから撤収するのみだ。

 全てを吹き飛ばして何も無かった頃の神秘的な月に帰るのも、後わずかな時間を残すばかりだ。

 核爆発の計算上では月面が多少削られるだけで、特に軌道変化や環境変化は起こらないであろう事は証明されている。

 段々小さくなっていく月をシャトルの窓から眺めていると、そこに一瞬の閃光が輝いて小さな太陽が現れた。

 それはまるで宇宙の創世のミニチュア版を体感しているようでもあり、自我と時間を超越して完全に解き放たれた意識のみの存在でこの現象を携えることが出来た時、存在意義としての私の肉体は、完全にその意味を失った。

 しばらくはその余韻に浸っていたのであるが、段々近付いてくる地球を目の前にして戻るという感覚というよりは、新しい惑星に辿り着くような好奇心に私の胸は躍った。

 この光景がどのように地上から見え、どのような受け止められ方をするのかがふと頭の中をよぎったが、どうせ3日後には話題にもならないであろう事を想像し、地上への着陸のための作業に取り掛かり始めた。

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