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ぽんぽこサーフィンForever


以下、短いメモなど


ぽん…ぽこ…

ありがとうございます、いらっしゃいませ、またのご利用お待ちしております、がわかりやすいけれど、コミュニケーションのなかで定型文を使うことに抵抗がある、と言う人が時々現れる。それってホントのありがとうなの?というつまずきを無視できない人たちである。
形骸化した言葉を疑うことも、定型文の存在意義もどちらもわかる。私は概ね定型文に対して疑いの目を向けているが、やはりいつでも感情をつかって、その感情の通りに語っていたら心が破滅するくらい疲れるのが目に見えている。言葉に対するスタンスは、上の議題ではどちらかに振り切ることはない。
あれ、
言いたいこと忘れちった…………

なんか言おうと思って書いたのに、忘れちゃった。なんだっけね。
思い出せないや。

じゃあ、上のとこまで書いて思いついたことを話すね。

上記のような、世界において最もプライオリティの低い考え事をよく一人でしている。人にするような話題でない気がしていて、たとえば親しいものとか、同じ問題意識が語られた時くらいしか口には出さない。
しかし時々、関係値が極めて浅い人と話さなければならない時(ex バイト先の20コくらい上の人、バイト先の同い年くらいの人、バイト先の2.3個上のギャルなど)に間を埋めるため(←お得意の臆病ゆえの空白を縫う行為、常に反省してしまいます)にテンパって(これも大変反省している、だいたい吃るし)頭の引き出しの上の方にあるこういう話題を振ってしまうのだ。あーーちゃーーー、と思い、一方で破滅的な好奇心が乱反射するのでしずかに回答を待つ。
多くは、こんなことに頭のリソース割きたくないわボケナス、というような態度をオブラートに包んで「深い〜」みたいな言葉で話題が収束するのだが、時々びっくりするくらいラディカルなことも言われる。
そういう場面に遭遇するとめちゃくちゃゾクゾクして、迷子になった時みたいな気持ちになる。迷子になると、世界で私はひとりぼっちであるという圧倒的事実を突きつけられて、他人の無関心とか身長の大きさとか、職務を全うしてる感じに気圧される。同時に、世界にたった一人であるということに、一種のマゾヒスティックな喜びを感じる。
私の話題に興味がない人が社交辞令で返した言葉の刃が鋭いと、そんな気持ちが押し寄せるのである。
基本、破滅を希望しているんだろう。ただし、ここにはちゃんと申しておきたいことがある。破滅を希望しているというのは、むしろ私だけの特別なものではなく、繊細な感覚によってキャッチされた普遍性と捉えてもらいたい。私はジェットコースターやお化け屋敷やアスレチックに行く意味が一回もわかったことがない。なぜなら怖いからである。わざわざ怖い場所に行く意味が、いち生命として意味がわからないのである。ただノリが悪いと他人に迷惑をかけるのでそれなりにゴネたのちに搭乗し、たくさん叫び、結果的に楽しんでいるのも事実だ。とはいえ、とにかく能動的にはいかない場所である。そうした恐怖を伴うアミューズメント産業がこの世に蔓延しているのは、紛うことなき、人間が潜在的に持つ大破滅願望・擬似死の希求に他ならない。私はむしろそうした願望が希薄であるからこそ、バ先の人としょうもないことを話して破滅願望を満たせるだけのことだ。
またしょうもないことばかり話している。なんというか、本当に不安になる。こんな奴が生きていていいのか、こんな奴を野放しにしていていいのかと思う。

マジで今思ったけど、「バ先の人的な人間が返したラディカルな言葉にゾクゾクする」ってことは、それ自体が最初に語っていた「定型文以外」の言葉じゃんね。

ぽんぽこ☺️



ニュータイムギ栄(ロン)


つまり、一瞬が永遠となることと同じである。
連綿と続く一瞬=時間をとらまえるには、あるタイミングに耐えられないような負荷をかけて、それは喜びでも悲しみでもだけれど、そうするとその一瞬たちが記憶となる。記憶となった時、ながれてゆくはずだった一瞬の断面が結晶みたいに固形となる。かりそめの恒久の中で、永遠となる。
だから、私たちの中で思い出が変容するのも、結晶のように物質になるからこそ変容していくだけのことである。大気のような時の流れが、気流に流されることなく忽然と物質になることの代償だろうか。



大王


性愛というニュアンスを一切排除して語るけれど、コミュニケーションの中で思わぬエッジに切り傷を付けられたとき、それはほとんど恋となる。メチャクチャヤバいくらいトキメキを覚える。鋭い鋭い鋭いぞーー!!!!!!この人普段そんな姿見せないし自覚的じゃないだろうけど、鋭いぞ!!!!!!たのしい………この時間好き好き好き好きスキ!となる。
もっといえば、偶然の中で起きたミラクルに対しても似たような感情を覚える。
面白い!!えええ!!!?なんで?????この状況で?今????面白いすぎるて汗汗いいんすかこんなエピソードもらって。いやぁ楽しいね、わははははははははという気持ちだ。
総括していうと、期待していない時に意表をつかれるとオモシロ!!!!と思い、その瞬間が大好きということだ。これはヤバいガソリンであり、直後にぐったり疲れるか、爆進するかどちらかである。私の人生はこれでどうにか進んでいる。



mattにあってみたい



1匹の金魚

あざしたと見ると、またあした、という言葉を想起して、少しだけ希望的な気持ちになる。






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