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性の歴史I 知への意思 ミッシェル・フーコー

ミッシェル・フーコーの性の歴史の1巻を読んでいる。読み直しているのかもしれない。この本を買ったのは大学生の頃であり、その時読んだかどうかも定かではない。そしてこの本をまだ持っていることも不思議だ。何度も処分の危機を免れたのだろう。いつかは読もうと思っていたのかな。ついにその時が来たようだ。1986年の第二刷だから買ったのは多分大学2年生の頃だ。

最初からして面白い。フーコーは、ビクトリア朝とそれ以前の社会と性を分析し、資本主義社会は性の言説を規制することで、社会をコントロールしてきたと考えていた。そしてそれ以前は違ったと。例えばカトリックの告解では、起こした罪を、性的なことを事細かに神父に告白していたし、それはかなり詳細な性的な事柄にも及んでいたと言う。

神父はそれを聞いて興奮したであろう。あるいはフーコー自身はどうだったのだろうか?彼は同性愛者であったから、そういう言説があったであろうか、と文献的にきっと調べたに違いないが、第1章を読む限りはそう言う言葉は出てこない。哲学者は自分の性の衝動と、仕事で書くことをどう折り合いをつけるのだろうか?

カトリックの世界では告解室に入って、神父に、罪の告白を聞いてもらう。これは1215年のラテラノ公会議で定められ、以降はキリスト教者の義務として告解を年に1回、貴族や裕福な商人は毎月でも行っていた。そこでなされた告白には相当性的なものがあり、それが性の言説の自由を保障していたと言うのだとしたら、相当数の神父が興奮しただろう。しかも相当なディテールまで告白を要求したらしい。下衆な私も告解室に向かい合ってポルノまがいの言動をしている淑女と神父のイメージに興奮してしまっていた。

ググってみたら、それを題材にした民衆劇も相当数あったようだ。例えば「マルゴの告解」。それが新教時代となり、資本主義と変わっていく中で、はしたないとされ禁じられる様になった・・・・らしい。

ではビクトリア朝以降はなぜそれらが抑圧されたか、ここがよく理解できていないのだが。多分2章以降に書かれているのだろう。
そして現代社会は、ビクトリア朝風の性の抑圧を告発することで、自由になろうとしている。それはつまり、まだその性の抑圧に繋がれた状態が続いているということらしい。

日本でも、くだらない検閲でモザイクがかけられる。ネット上ではモザイクが無い画像が氾濫していると言うのに、そう言うくだらないルールを作って人々を支配するのが権力というものなのであろうな。

まだ序章である。歳とともに衰えいく想像力を使って難解なテキストを読みながら時々興奮している。また面白い発見があったら報告する。

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