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闇夜の満月

==0==

延明エイジは生き残りである。
何の、と問われるとバスの事故である。

孤児院の幼い子供らを乗せたバスは高所から転落、僅か2名の生存者を残して多くの孤児が亡くなった。しかもその2名の内片方は意識不明の重体であり、回復の見込みは無かった。

つまるところ、1人だけが生き残ったようなものだった。それでも事故の規模からすれば不幸中の幸いと言っても良かった。

だが、奇跡はあったらしい。意識不明の重体であったもう1人の生き残りが数年間の昏睡状態の末に回復したのだ。

それが彼、延明エイジである。

昏睡期間のせいで人より多少遅れたものの、エイジは地方の大学で人並みの学生生活を送っていた。

これは、そんな彼の小さくも非常に大きな分岐点である。

==1==

「王手」

10人いれば10人が山男と答えるような学生離れした大男がパチと駒を指す。
対するはエイジ。大男と見比べるとしぼんだ風船のように見えるが、実際は標準的な体型よりも少し小さめなだけである。

「いやー、投了です。これで僕は4勝7敗、負け越しですね」

エイジは盤面を見つめ、悔しそうに頭を掻く。
 
「こんな暇つぶしの勝敗を数えるのはお前ぐらいだ。あと敬語はやめろ。同い年だ」

「そうは言っても蛭間さん、これが僕の素なんですよ」

大男、蛭間ヨウはため息を吐き駒と盤を片付ける。と言っても床が見えないほど散らかった狭い部屋のスミに押し込んでいるだけだが。
 
「相変わらず汚いですね、この部屋」

「所長いわく、これぐらいが『卓上遊戯研究所』に相応しいんだとよ」
 
卓上遊戯研究所、それは大学の木っ端サークルである。蛭間とエイジはそれに所属しており、長である『所長』は今は不在である。
 
「一体あの人、何回生なんですか?」

「この大学の七不思議の1つだ」

「そもそも学生なんですか…?」

「……」
 
卓上遊戯研究所はそもそもサークルなのか?エイジには恐ろしい疑問を口にすることはできなかった。

==2==

僕は蛭間さんとしばらく適当にオセロとかしながら所長を待っていたけれど、19時を過ぎても彼は現れなかった。

「これ、今日はもう来ないですね」

「だな。飯食って帰るか」

床に放った荷物を担いで部屋を出る。鍵はこのアパートの大家さんに預ける。所長とは顔馴染みらしい。

どこで食うかを話していると、(慣例的に暇つぶしで負けた方が奢ることになっているので、何とかして安い店にしなければいけない。今月はそろそろやばい。)蛭間さんの携帯から着信音が響く。

「すまん、電話だ。…もしもし?……ああ、お嬢でしたか。番号を変えたなら俺に連絡をといつも……いや、分かりますが……怒られるのは俺で……は?夕食?……いえ、今からですが連れが1人……ありがとうございます。そちらに向かいます。近くに居ますので迎えは要りません。……はい。承知しています。では。」
 
お嬢?誰?というより、蛭間さんって…

「良かったな。夕飯は2人ともお嬢の奢りだ」

「あの、お嬢って…?」

「話してなかったか。まぁ、俺の幼馴染だ」

「え、いや、そうじゃなくて…」

「行くぞ」
 
今まで蛭間さんを怖いと思った事は無い。
いかつくて表情が乏しいが、心根は優しい人だと今でも思っている。

…でもこの時の彼の顔は見えなかった。僕には黙ってついて行くしか選択肢は無かった。
 
「そういや、お前人探しをしてるんだったな」

「え…?」

「この前話してただろ。覚えてないのか?西灯サクラさん、だったよな?」

「そこまで、話してましたっけ?」 

「話していた。まさか、あの時酔っていたのか?」
 
確かに酔ってたのかな?いや、でも……?
 
「…おまえ、今日変だぞ?疲れてるのか?」
 
………そうか、疲れてるのか。だから変な事ばかり考えてたのか。
 
「そうかもです。いや、お嬢って言葉を生で聞いたのが初めてで…」
 「そんな事でせっかくの奢りをフイにするなよ」
 
今度は顔が見えた。いつもの蛭間さんだった。

「ああそうだ。実はお嬢が西灯さんと同じ高校だったらしい」
「えっ⁉︎」

==3==

「そうだよ。同じ高校だったよ。しかも親友だった。キミが何年もぐうたら寝ている間にサクラちゃんは私という無二の親友を得て華やかな高校生活を送っていたのさ。延明君だっけ?質問ばっかで食べないなら君のを貰ってもいいかい?」

僕と蛭間さんの向かいに座る彼女、『お嬢』は『蛇龍ヨル』と名乗った。傲岸不遜で傍若無人なその態度は確かに『お嬢』らしかった。

ただ、そんな事は今はどうでもよかった。

「本当ですか…?アイツ、サクラ、本当に無事だったんですよね…?」

「だから何度もそう言ってるだろう。写真も見せてるじゃないか……うわ!泣いてるよこの人…!見てヒル君!もう20歳を超えてる大の男が泣いてる!」

「お嬢、その辺にしてやってください」

蛇龍さんが見せてくれた写真には気怠そうなサクラが写っていた。蛇龍さんが無理矢理肩を組み、サクラは自撮りに巻き込まれていたようだった。
…何年かの歳月は子どもを変えるには十分であり、確かにサクラは変わっていた。
 
が、確かに僕が知るサクラであった。

「……ねぇ、アイツ迷惑いっぱいかけたでしょ…?いつも気怠そうで、態度が悪くて、目付きも悪くて怖いし、やたら乱暴だったし……」

「もしかしてサクラちゃん嫌いなのかい?」

「そういうところは嫌いかもしれません。実際しょっちゅう喧嘩していましたし。……でも、どうしても、言わなくちゃいけない事があるんです。あの時、バスの事故の時、死にかけの僕の目の前でアイツは…」

衝撃の瞬間は覚えていない。気がつくと、ひっくり返った燃え盛るバスの中だった。炎と血であたり一面は真っ赤だった。
 
だらんと垂れるみんなの手。今でも思い出せるみんなの断末魔。声が消えていく。
 
薄れゆき、死へと向かう僕の視界にサトウが映った。
 
赤い地獄の中、彼女だけはまっさらで、とても綺麗で。消えゆく僕とまっすぐ目を合わせて。
 


『ごめんなさい』
 


「そう、呟いたんです」
 
「…それは罪の意識から来るものというのを君は知ってるし、彼女が罪悪感を抱いている理由も知ってるだろう?知らないとは言わせないよ」

「……」
 
知らないわけが無い。サトウの周囲では頻繁に死人が出る。しかも親しい人から死んでいく。 サトウとよく喋っていた孤児院の大人が悲しそうに教えてくれた。その人は3日後に事故で死んだ。
 
「流石に知っているようだね。だけどね、今更何を?『そんな事ないよ』とか『大丈夫だよ』なんて甘ったれた言葉を掛けるつもりかい?そんなもんじゃサクラちゃんは何にも変わらないよ。実際に起きてるんだよ、皆死んだんだ」

「そんな甘ったれた言葉を掛けるんですよ!」
 
僕は勢い余って机を叩いてしまう。しまったと思うが、これは言わなきゃいけない事だと信じ言葉を紡ぐ。
 
「……サクラは、強いです。慰めとか同情なんか要りやしない。1人で荒野を歩ける強い人間です。でも脆いんです。強すぎるから、脆いんです。常にとんでもない力が掛かっているから」
 
僕に謝った時のアイツの顔は、そういう顔だった。周りの人間を全部追い払って、1人で生き、誰も居ない道を行き、そして道半ばで死ぬ。 
 
「でも僕は、アイツに死んで欲しくない……しょうもない悪態をつきながらヘラヘラと笑って長生きしてほしいんです。だから、どこかにいるアイツを見つけて甘ったるい言葉を掛けて腑抜けにしてやるんです。」
 
カランと音が鳴る。コップの中の氷が溶けていく。蛇龍さんの顔は俯いていて、見えなかった。
 
しかし、小刻みに震える体から彼女が激情に駆られているのはわかった。
 
「黙って聞いていれば知ったような口を聞いて………なんだい?君はあの子の覚悟をムダにするってことなのかい?この寝坊野郎が」

蛇龍さんは恐ろしいまでに僕を睨みつける。

「これを見ても同じ事が言えるのか、君は」

彼女は右腕を机に乗せ、パーカーの袖を捲ろうとする。 

「よしてください」
 
蛭間さんが袖を捲ろうとした蛇龍さんの左手を押さえる。彼女は舌打ちをし、手を収める。

「……すまない、延明君。今日の所はこれぐらいにしよう。また何か分かれば連絡するよ」

「いえ、僕の方こそすみません…今日はありがとうございました」

……蛇龍さんが見せようとしたものは、僕が触れるべきでないもののような気がした。

彼女には彼女の想いがある。この時の僕はそんな事も分かっていなかった。

沈黙の中、僕は1人店を出た。
 
店の出入り口で振り返ると、蛇龍さんはまだ頭を抱えていた。彼女が影になって蛭間さんの顔も見えなかった。
 
僕はまだ、何も見えちゃいない。

==3.5==

「つまらないヤツ……」

「その割に感情的でしたね」

「あそこまでの戯言を抜かされるのは慣れていないよ」

「変えますか?」

「いや、このまま行こう。そうだね…とりあえず一回会わせてみよう。もちろん何も知らせずにね」
 
「では続行という事で」

「うん。…今更だけど意外だね。ヒル君なら私のこと止めるかと思った」
 
「止めて欲しいんですか?」

「どうだろ。もう分かんないや」

「俺は西灯…いやサトウが苦しむ姿を見てみたいだけです。俺はまだあいつがお嬢にした事を許しちゃいないんでね」

「その結果として私はサラちゃんに殺されるつもりだけど?私より復讐の方が大事?」

「……ちょうど良い落とし所を見つけて、復讐しつつお嬢も守らせていただきます」
 
「ヒル君らしいや。じゃあなんだい?私はサラちゃん、延明君、おじいちゃん、“間引き主”に加えてキミも出し抜かなきゃいけないんだ」
 
「今度こそ守ってみせますよ、お嬢」
 
「…………くふ、くふふふ……!そんな恥ずかしい事、くふ、よく言えるねぇ…!くふふふふ……!」
 
「俺は真面目に…………ははっ!はははっ…!」

コロコロと笑うヨルを見て、蛭間もつられて笑い出す。この傲岸不遜な幼馴染の笑顔は、いつ見てもクセになる。

だからこそ、彼は許すつもりはない。笑う幼馴染のパーカーの袖口の隙間からわずかに見える彼女腕には、深い、深い傷跡が残っている。

あの日、あの豪雨の日、蛭間はヨルを守れなかった。西灯サクラ、つまりサトウサラのひとりよがりのエゴに巻き込まれ、ヨルは彼女からこれ以上ないほどに拒絶された。

サトウサラは歩み寄るヨルに、暴力を振るったのだ。何度も。何度も。何度も。
 
蛭間が駆けつけた頃には、血まみれになり「なんで、なんで」と咽び泣くヨルだけが残されていた。

その時の傷跡が今もこうして彼女に残っている。そしてそれは蛭間の憎悪を風化させなかった。
 
蛭間ヨウは蛇龍ヨルを守りたい。今度こそ。
 
そして、サトウサラが犯した罪を苦痛で贖わせる。
 
ならばどうするか?
 

(ぶっ殺してやる)

 
サトウサラの一番大切なものを滅茶苦茶にする。
サトウサラにあらんかぎりの苦痛を与える。
心も体も痛めつけ、ボロボロに壊し、そして殺す。 
 
もう二度と、彼の一番大切なものが傷つけられないように。

……夜も更け、2人は店を出る。
夜空を見上げるとそこには大きな満月が輝いていた。ヨルは満月を指差し、アルコールで赤みがかった顔を蛭間に近づける。

「ねぇヒル君!アレ綺麗じゃないアレ⁉︎」
 
「お嬢、酔ってませんか?確かに綺麗ですけども…」

「何が綺麗なのかな?」
 
「月が…」
 
「月が?」
 
「月が、綺麗ですね」
 
「……くふ…!くふふっ…!ふふふふふ…!」

真っ黒な空に、まばゆく輝くものがひとつ。

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