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もし、あなたが無人島に3つだけ持って行くとしたら?

この短編小説は、大学のゼミ課題として提出したものだ。

社会学のゼミということで『ロビンソン・クルーソー』のようなメッセージ性を、上手く表現したいと思った。

以下、本文ーーー

 もし、私が無人島に3つだけ持って行くとしたら服とイオンモールと自家用ジェット機である。

 本題に入る前に、我々はなぜ”無人島”と呼ぶ概念に”無人島”という名前を与えなくてはならなかったのかについて考える。恐らくそれは、これほど社会化を遂げた我々にとって、文明の魔の手から逃れられる場所は、もはやアパートの一人部屋か無人島だけになってしまったからではないかと推測している。

 無意識に「もし、文明のない世界線に行けたら」という自然や孤独へのノスタルジーは、反射的に、文明社会に対してのメランコリーを感じさせるものだ。
 
 さて、そんな事を言った手前で吝かではあるが、最初に持って行くアイテムは”服”だ。

 いくら文明がないと言っても全裸では危険だし普通に嫌だ。しかし不思議なもので、地球上の生命体で服を着るのは人類くらいだそうだ。その歴史はネアンデルタール人とホモ・サピエンスが共存していた先史人類の時代(2万5000年前)から続いていると言われている。

 寒さを凌ぐためと、仲間意識を確認する機能として服は発明されたそうだが、そんな彼らが黒く緻密に縫われた服を纏う私を見た時、どう反応するのかは気になるところではある。彼らは私を「仲間ではない」と見なし、現代人の目線と同じくらいに冷えた石を投げつけてくるのだろうか。

 無人島に到着した私はこう思うだろう。もはや文明に戻る意味などあるのか?無人島であれば、自由に生きて自由に死ねる。現代社会では、生きるためにもお金がかかるのに比べて、ここは何をしたって自由だ。そうだ、この無人島で一番高いあの山の頂上から絶景を眺めて私は死のう。

 そう決めた私は森に入り頂上を目指す。
その山道を進む中で私は、自然に溶け込み、社会生活の喧騒や鈍痛などとうに忘れてしまっていた。しかし、3日ほどが経ち、ある重大な事に気づく。食料がない。
唯一の生産手段である、コンビニでお金とモノ交換する能力を封じられた私は「しまった、カップラーメンでも持ってくればよかった。」と思いながら森の中を進む。

 するとどうだろう、見慣れたピンク色の看板と”イオンモール”の文字がそこにはあった。「よかった、これで空腹を満たすための食べ物も、美しい景色を撮るためのカメラも、頭を洗うシャンプーも手に入る!」そう思った私はすぐさまイオンモールの中に飛び込んだ。

「無人」

そこにあったのは、電光とコンクリートでできた命のない建造物であった。
イオンモールに商品を届けたり、設備を動かす「人間」がそこには欠落していたのだ。

 私一人が生きるのに何十人もの人間がいないとダメだなんて、、、。
まぁ、いい。これから狩りを学ぼう。畑を作ろう。そして、頂上に向かおう。
目を瞑り、そう覚悟を決めた瞬間、瞼の裏が赤く染まった。
朝が来て陽光に照らされたのだ。

 コンクリートの中に閉じこもり、風も届かないような建物の中から、私を自然から隔離する窓ガラス越しに見た景色は、まさに絶景だった。
途端に何故だか、「あぁ、この体験を誰かに伝えなくては。」
そう思った私は、紙とペンを忘れてきた事に気づき、急いで自家用ジェット機に乗り込んで、文明社会へと帰って行く。

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