眼差し

 祖母の葬儀の後、遺品の整理をしていた。

 生前から物が少ない人で、箪笥や収納棚や机の引き出し、どこを探しても必要最低限の日用品しか入っていなかった。物を所有することを避ける人だったのかもしれない。本棚にも本がほとんど並んでいなかった。押入れを開けてみると、衣類の入った収納ラックと、扇風機が入っていた。ひとつずつ取り出していると、押入れの奥に小さな箱を見つけた。古びた菓子箱のようだった。蓋にはファンシーな城のような絵が書かれていて、どこか祖母のイメージとはかけ離れていると思った。振ってみると、硬いものがぶつかる音がした。祖母の宝箱だろうか。錆びて開けづらくなっている箱を、用心しながら開けてみると、中には眼鏡とパールのブレスレットや小さく折りたたまれた紙が数枚入っていた。菓子箱の裏をみてみると、賞味期限がずいぶん昔の日付だった。眼鏡やパールのブレスレットはどちらも昔のデザインで、どこか古い印象を受けた。戯れにブレスレットを身につけると、随分軽かった。私の腕より少し大きく、そのまま取れてしまいそうだった。なんとなく、このブレスレットはどれだけ私が身に付けても、私の物にならないような気がした。ブレスレットを身に付けたまま、折りたたまれた小さな手紙に手を伸ばした。紙が古く、少し黄ばんでいた。気をつけながら開く。「押し花のしおり、ありがとう!大好きな本に挟んでいます。元気な時に会いたいです」と、子供が書いたような文章に添えてある名前は、どちらも祖母のものではなかった。冒頭の宛名は、祖母の旧姓だったが、末尾の名前には聞き覚えがなかった。菓子箱の蓋の裏には、同じ名前が滲んだ字で書かれていた。この三つは祖母の物ではなく、この名前の人物の物らしい。

 そこで飽きてもう一度菓子箱にしまえばよかったのだが、気になってしまいわざわざ祖母のアルバムを探してしまった。アルバムは、押入れの奥に隠すように押し込まれていた。

 アルバムの中には祖母ともう一人、姉と思われる女の子が写っていた。祖母とは仲がよかったが、姉妹がいたなんて聞いたことがなかった。母親が撮っているのか、父親と思われる男性と写っている写真も多かった。大叔母と思わしき女の子は、祖母に顔立ちこそは似ていたが、まったく別の眼差しをしていた。胸の奥にざらりとしたものが宿る、不思議な眼差しだった。どんどんアルバムを捲っていく。アルバムに出てくる少女たちは大人になっていく。すると、あるページを境に、急に大叔母が写っている写真はなくなった。まるで、春の訪れを知った雪のようにふいになくなってしまった。一ページ戻る。最後の写真に写っている大叔母は喪服を身に着けていた

 二十歳前後だろうか。まだ年若い顔つきだった。左手首には、パールのブレスレットが引っかかっていて、真珠の連なりが淡く反射している。それまでの写真は、全てカメラのレンズに視線を向けていたが、最後の写真だけは、少し視線を外していた。その眼差しの奥を覗き込もうとするが、黒目の奥は空っぽだった。喪服のような、死んだ烏の羽のような、途方もない黒に、恐ろしくなってアルバムを閉じてしまった。とんでもない箱を、軽い気持ちで開けてしまった。手首につけていたパールのブレスレットが、いきなり冷たくなった気がした。


 


 母に、おそるおそる大叔母の話を聞くと、言いづらそうに言葉を濁した後、しばらくして口を開いた。祖母がまだ十代のころに、曽祖母と曽祖父が亡くなり、その次の年に大叔母が失踪した話をしてくれた。

 大叔母の最後の写真を思い出す。逸らした目線、空っぽな黒目、控えめなのにいやに存在感があるパールのブレスレット。いなくなる人間は、全員あのような目をしているのだろうか。あの後、このパールのブレスレット以外は全て押入れに戻した。祖母の部屋を出る時に振り返ると、まるで何もなかったようだった。祖母が、大叔母の思い出を押入れの奥にしまった気持ちが、わかるような気がした。


 あれはタチの悪い白昼夢だったのではないか、と考える私の左腕には、あのパールのブレスレットが引っかかっていた。



 

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