505号室

 ネックストラップを見つけたのは、娘の病室を片づけているときだった。

 娘が亡くなったのは、六歳の冬だった。もともと心臓が弱く、小さい頃から入院していた病室には、僕たちが買い与えたおもちゃやお絵描き帳が残されていた。機械的に袋に詰めていくと、見覚えがあるネックストラップを見つけた。紐の部分は海のように鮮やかな青色をしていて、先には小瓶のついたキーホルダーがぶら下がっていた。小瓶の中には折りたたまれた小さな紙が入っていた。コルクを外し、紙を取り出す。丁寧に折りたたまれた紙を広げると、女性の筆跡で、二、三行のメッセージの最後に小さく名前が書かれていた。娘と仲良くしてくれていた、ボランティアの女性の名前だった。


 娘が入院していた小児科では、地域のボランティアサークルが主催するイベントがしばしば行われていた。児童書の読み聞かせや、工作、季節ごとの簡単なお祭りなど、子供たちを楽しませる為のイベントが月に二回行われていた。保護者の参加も許されていたため、仕事が休みの時は、妻と一緒に顔を出していた。イベントによく参加している娘ととくに仲よくしていたボランティアの女性がいた。最初は確かネックストラップ作りの工作イベントだった気がする。その日、病院のキッズスペースには、合皮やリネンやコットンの入った箱と、ネックストラップに飾る小さなぬいぐるみや名札ケースや小瓶のついたキーホルダーのパーツがずらりと並んでいた。そういう小物の良さは僕にはわからなかったが、娘は珍しくはしゃいでいた。工作をなかなか始めず、一人のボランティアの女性にずっと喋りかけていた。僕が「娘が本当にすみません」と謝ると、彼女は「いいえ」と感じよく返してくれた。ネックストラップの紐の部分は、そのまま使えるようにすでに縫ってあった。娘は随分悩んでいて、僕がこれがいいんじゃないか、あれがいいんじゃないかと提案してみても、ずっと首を横に振っていた。すると彼女が娘の好きそうな紐をいくつか持ってきてくれた。鮮やかな色だったり、花柄だったり、明らかに女の子が好きそうな物がいくつか選り分けられていた。どれもその時娘が身に付けていた寝巻きの色合いや柄に似たタイプのもので、勝手に感心してしまった。娘はそのいくつかの紐から一等気に入った鮮やかな青を選んだ。モチーフは意外とすんなり決まり、キーホルダーがついた小瓶を選んだ。彼女に構われて嬉しかった娘は、完成した小瓶がついたネックストラップを彼女に渡した。その時、彼女は「ありがとう、ボトルメールみたいだね」と娘に優しく言葉を掛けていた。ボトルメールとは瓶に手紙を詰めて川や海に流すことだ。瓶しか共通点がない、とその時は首を傾げたが、あとで調べてみると、フランス語ではボトルメールは「海中の瓶」のように表現されるらしい。あの鮮やかな青とイメージが重なった。

 次のイベントから、娘は彼女にべったりだった。写真立てを作る時も、読み聞かせの時も、一番に彼女を見つけていた。子供に優しく、感じがいい女性だと思った。娘の病状が悪化して、イベントに参加できなくなった時も、わざわざ僕に話しかけてくれた。病状が悪化したことを伝えると、一瞬悩むような仕草をした後、「お大事に」と言った。


 娘の病室の棚を探してみると、缶のお菓子箱の中に大量の手紙が入っていた。どれもメモ用紙のような小さい紙だった。罫線に合わせて、几帳面な文字が並んでいた。

「こんにちは。イベントで顔をみることができなくて、とても悲しいです。少しでも元気になればと、お手紙を書いてみました。ただ、普通にお手紙を書くだけじゃつまらないと思って、小瓶にいれてしまいました。早く元気になってね」「こんにちは。お返事書いてくれて嬉しかったです。なんだかお手紙交換みたいで楽しいですね。またイベントに来てね。次は押し花のしおりを作ろうと考えています。よかったら来てね」

 一枚ずつ、娘に綴られた文章を読む。全部この小瓶に入るようなサイズに折りたたまれていた。一枚、一枚食い入るように手紙を読んでいると、いつの間にか日が暮れていた。白い部屋が、だんだんと薄暗く翳ってゆく。

「こんにちは、押し花のしおり、一緒に作れなくて残念でした。寂しかったので、一個多めに作っておきました。看護師さんにもらってね」「最近、面白い本を読みました。キッズスペースの本棚に入れておきました。ケーキ屋さんのお話です。ぜひ読んでね」

 僕は片付けを放って手紙の束を持って部屋を出た。ぼんやりと歩いていると、彼女を見た。娘の病室とは関係ない、脳神経外科の入院病棟だった。彼女は、部屋の目の前で立ちすくんでいた。じっと、病室の名札を見ていた。誰かを見舞いにきたのに、退院してしまったのだろうか。私が声をかけようと口を開いたが、声をかける前に彼女はお辞儀をして立ち去った。すれ違った彼女は、今まで見たことがない別人のような表情をしていた。彼女が立っていた病室と扉を見てみると、なんの変哲もない病室だった。505と部屋番が書かれていたが、その下には誰の名前も書かれていなかった。

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