大人になる、ということ。
「大人になる」ということについてふと考える。そして「大人」とは、ものすごく都合よく使われている言葉であることにふと気づく。
はやく大人になりたい。大人になんてなりたくない。大人になるまで我慢しなさい。もう立派な大人なんだから我慢しなさい。大人って、いいよなあ。大人なんて、いいことないよなあ。「大人だから」「大人なのに」「大人なんて」……。
都合よく使われているな、「大人」たちよ。
「大人になる」ということについて私が意識をしているのか、それとも偶然なのかは分からないけれど、さいきん本やコラムやtwitterなどで「大人」に関する文章に出くわすことが多々あった。
平田オリザさんは、著書『わかりあえないことから』にて、
人生には、話し合っても結論の出ないことがたくさんある。話しあう必要のないこともたくさんある。何を話し合い、何はジャンケンで決めていいかを決定できる能力を身につけることが「大人になる」ということだと私は考えている
と書かれている。
話題書『ボクたちはみんな大人になれなかった』を執筆された燃え殻さんは、文春オンラインに掲載中のコラムにて
そんなこともあるさと決着のつかないことを抱えて生きはじめた時に、あなたは本当の意味で大人になれる
と書かれている。
しいたけ占いで有名なしいたけさんは、直接的には「大人」とは言っていないけれど、今日、こんなことを呟いていた。
私はこれらの言葉に出会って、自分の中での「大人」が、すごくはっきりしたような気がした。ああ、大人になるというのは、「絶対的な諦めを持ちながら、それでも何かを信じて前に進んでいけるようになること」なんだ、と思った。
子どもは無敵である。思い通りにならなければ気がすまないし、自分は何にだってなれるような気がする。けれども次第に、世の中には自分ではどうにもできないものがたくさんあること、いくら頑張ってもたどり着けない道があること、諦めなければいけない時もあるということを知る。そして、悩み、苦しみ、葛藤する。
きっと、じゃんけんで決めた方がいいことだってあるのだ。決着のつかないことはあるのだ。「しょうがない」と言った方がいい時だってあるのだ。でも、それはなかなか言えることじゃない。言葉で言うのはかんたんだけど、なかなか言えることじゃない。私はまだ言えない。諦めたくない、しょうがないなんて言えない。自分はまだ頑張れる、まだ本気を出していないだけだ、自分があの時ああしてさえいれば、タイミングが悪かった……言い訳ばかりが頭をよぎってしまう。
何かを諦めたくなくてどうしようもなくもがいて苦しんで、それでもどうしようもなくて、そしてそれでも毎日が続いていくんだということを「実感」してはじめて、諦めを持ちながら、何かを信じて前に進んでいけるんだと思うのです。
そしてそんなことを、限りない強さをもって抱えながら生きていけることが、大人になるということなんだろうな、と思うわけです。
まだまだ私はちっぽけな子どもだな、と思う水曜の夜。
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。