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帰る、という感覚について。

出張で京都に来たので、実家にも顔を出した。家を出るとき、おばあちゃんに「じゃあ、そろそろ東京に帰るね」と言ったら、なんだかおばあちゃんがさみしそうな顔をした。

完全にわたしの被害妄想かもしれないけれど、「あんたはもう、あっちの人になってしもたんやな」という、おばあちゃんの心の声が聞こえた気がした。

ただ、わたしは東京を出発するときも、彼氏に「じゃあ、実家に帰るね」と言っていた。

これはどういうことかというと、わたしは無意識のうちに、東京にいるときは京都のことを「帰る場所」だと思い、京都にいるときは東京のことを「帰る場所」だと思っている、ということだ。

しかも、それぞれその場所にいるあいだは、「こここそが私のいるべき場所だ」と思っている。さあ、京都に向かうぞ、東京に向かうぞ、というその直前にだけ、いわゆる自分の中での「帰属スイッチ」が切り替わるのだ。

場所に関する帰属意識は、地方から東京に来た人であれば、おそらく誰もがひとつではない。両者を行き来するときには無意識にどこかで、「えいやっ」というスイッチの切り替えをしているような、気がする。

その、なんというか「帰属スイッチ」みたいなものが、わたしの場合は「東京(京都)に帰るね」というその一言だったのだ。

大事な人たちに「京都(東京)に帰るね」と言うのは、もうやめようと思う。「ここは私の居場所じゃないんだよ」というふうに聞こえてしまう可能性があることを、忘れずにいよう。

やっぱり、「いってきます。」これがいいな。「おかえなさい」と言われると嬉しいもんな。ファンキーモンキーベイビーズの『おかえりなさい』は名曲だもんな。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。