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一つのこととたくさんのこと、それにまつわる人生のこと。

昔から、一つのことをがむしゃらにがんばるよりも、たくさんのことを程よくがんばりたい、と思う性格だった。

それはよく言えばわたしが「好奇心旺盛」で、そして悪く言えば「飽きっぽい」ということなんだろうな、と思う。

たくさんのアルバイト(ファミレス、チェーンのカフェ、個人経営の喫茶店、本屋、結婚式の動画作成からはじまり、チラシ配り、ローソンの工場でサンドイッチに一日中マヨネーズを塗るにまで至る)、たくさんのサークル、たくさんのお店、たくさんの友達。

学生時代は「たくさん」のことに触れることで、その分「たくさん」のことを知れると思っていた。「たくさんのものに触れたい、知りたい」という自分自身の好奇の心を効率よく満たすために、何事に対しても無意識に、自分の中に「満足の沸点」みたいなものを設けていた。

自分の「満足の沸点」を超えた時点で次に移る。自分で自分に対してさして高くもない及第点を設定する。だから何に対してものめり込んだことがない、そんな大学生だった。

そんな私を見て、母親はよく「あんたは何も長く続かんなあ。何か一つ、続けられることが見つかればいいんやけど……」とことあるごとに(本当に、ことあるごとに)言っていた。



今も今で、自分自身の根本的な部分は変わっていない、と思う。世の中のいろんなことに興味があるし、いろんな人に出会いたいし、常に自分の頭の中にやりたいこと、気になるテーマもたくさんある。「満足の沸点」みたいなものも、変わらずある。

けれど、大学生の時と明確に違うのは、本屋で働き始めてから漠然と思うようになった「自分がおもしろいと思ったもの、伝えるべきだと思ったものを、ちゃんと伝えられるようになりたい」という、「編集」という明確な一本の軸みたいなものができたところなのかな、とふと思う。

何も考えずがむしゃらに全方向に「たくさんのこと」に触れていたのが、「編集」というおおきな一つの軸の上で動くようになった。いや、「たくさんのこと」に触れた経験があったからこそ、編集という「一つの軸」を見つけ出せたのかもしれない。


おもしろいコンテンツを作る、編集する上で大切なのは、まずは「不要だと思えるものも含め、とにかく情報を集める」こと、そして次に「その情報を整理すること」、そして最後に「整頓すること」だ、と先日教わった。

その時、人生もこれと同じなのかもしれない、と思ったのだ。

今思えば不要だったかもしれないけれど、とにかく自分の興味に従ってがむしゃらにいろんなことに触れ、情報を集めた大学生活。それらのことを「整理」して、編集という一本の軸を見つけ出して仕事にしている社会人3年目。

あつめる、整理する、整頓する。きっと人生はそんなふうに、たくさんのことと一つのことを繰り返しながら、少しずつ進んでいくんだろうな、進んでいければいいな。


人生もまた、自分という物語の編集作業なのだと思う、土曜日の夜。



わたしの好きな&premium、『整える』号の扉ページより。


なんでも片付けてミニマムに暮らす、ということを目指さなくてもいいと思いますが、自分の中の整理の基準を見つけることが大切だと&premiumは考えます。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。