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春、サクラ、終わりが見えない100円玉の行方。

「1日100円玉貯金」をはじめて、ちょうど2年が経過した。上京したその日から、毎日100円玉をメイソンジャーに入れてはメモにチェックをして忘れないようにしていたから、そのメモが「73,000円」を示しているということは、たぶんまちがいなく、上京して2年が経ったということだ。

730日、73,000円。親元を初めて離れる私にとって、上京して社会人になることは、「自立する」ということだと思っていた。

これからは、自分の力で生きていくんだ。

そう思っていたし、なんとなく自分の重ねていく月日の重さを感じられるような習慣がほしくて、100円玉貯金をはじめた。

大学生の時も私は同じように100円玉貯金をして、10万円を貯めたことがある。そのときは「大学を卒業する時に、社会人になる前に、パーっと使うぞ」という目的があった。

けど、今回は? いつまで100円玉を入れ続けるのだろう?

そういうことを考えていて、ふと、これから私にとって「100円玉貯金を使う」ということは「なにかをリセットする」時なんだな、と、思った。

仕事か、恋愛か、趣味なのかは分からないけれど、なにかを「ふんっ」とリセットする時に、使うような気がする。

社会人は、終わりがないからなあ。どこで終わるかも、どこで終わらないかも、なにを始めるかも、なにを始めないかも、すべて「自分自身」。20年間は細かく高校生とか大学生とか人生をたくさん区切るくせに、社会人はまるまる60年間くらい、ぽいっと区切りのない真っ白な道だ。

何かの「区切り」があるということは、本当に楽だと思う。終わりが見えるということは、何をすればいいかが分かるから。

今は730日分の重みを持つメイソンジャーが数十枚の紙切れに変わるとき、私は何をリセットしているのかな。

100円玉の行方は私にはまだ分からないけど、もうすぐ、春。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。