さようなら逗子
「微発泡してる街やねんなぁ、逗子は。ロゼみたいやねん」
そう言ったのは、比喩表現がいつも上手な、仲の良いライターの友達だった。彼が住んでいるのは都内だけれど、逗子の雰囲気が大好きで、普段からよく遊びに来るらしい。
ビールでも、ハイボールでも、赤ワインでも白ワインでも日本酒でもなく、ロゼ。
なんとなく、わかるなあと思った。たしかに私が逗子で過ごした約10ヶ月間の日々は、東京での刺激的なそれとは180度違って、ロゼの泡みたいにポコポコと、控えめに、柔らかに発泡しているような気がした。
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逗子に引っ越したのは、去年8月のこと。それは、いつもの日常でも当たり前に遭遇するような、ひょんなことがきっかけだった。
私と彼の共通の友達が逗子に住んでいて、その友達がカレーのイベントをするというので、デートがてら遊びに行くことにしたのだ(名前は礼くん。やんちゃカリーという屋号で、いろんなイベントに出展してる)。
逗子は、新宿から電車でちょうど1時間。付き合いはじめて間もない私たちはまだまだおたがいのことを知らず、おたがいを知るための質問を重ねているうちに、あっというまに到着した。私は以前にも逗子や葉山には行ったことはあったけれど、そのときは車移動だったので、電車で出かけて逗子駅に降り立ったのは初めてだった。
駅の前にはロータリーがあって、その先には銀行、マクドナルド、スタバ、立ち飲み屋、昔ながらのカメラ屋さんなどが立ち並ぶ。
都会と違うのは、建物の向こう側に大きく山が見えること。逗子が海の近くであることは知っていたけれど、山もすぐ近くにあるんだと驚いた。都会と田舎のちょうど中間のような、気取っていないけれど堂々としている佇まいが、好きだな、と思った。
礼くんは、『アンドサタデー』というカフェでカレーを作っていた。アンドサタデーは、都内から逗子に移住してきた庄司夫妻(真帆さんとけんごさん)がやっている、土曜日だけの珈琲店だ。
ハンバートハンバートが流れている店内で礼くんの美味しいカレーを食べながら(ほんとうにアンドサタデーのおふたりはハンバートハンバートがよく似合う)、みなさんの仕事の話、逗子へ引っ越した理由などを聞いているうちに、私たちの話になった。
「今、ふたりで暮らす家を探していて。」
そう言った瞬間に、真帆さんが「逗子にいい物件があるよ」と口にした。「えー、逗子はちょっと遠いかな……」と思った私がそう言う間も無く、彼が「え、いいな、逗子住みたい」と返事をしていた。
そうだった、彼は普通なら選択しないようなことを、いともかんたんに、楽しそうにしてのける。私は彼のそんなところに、惹かれたんだった。
それから私たちは逗子の街並みを散歩した。海と山に囲まれ、個人で経営している飲食店が多く、鎌倉ほど観光客もいなくて落ち着いている。彼は相当、逗子を気に入ったみたいで、「住むのありじゃない?」とひたすら繰り返していた(と思う)。
そのとき私たちが引っ越し先に検討していたのは、神楽坂か、浅草、そしてニューカマーな逗子。
「最終決定権は、ゆかに任せるよ」
彼はそう言ってくれたのだけれど、正直考えても考えても答えは出なくて、とりあえず、真帆さんが紹介してくれるというその物件を、内見することにした。
夏のはじめ、暑い日だった。内見には、真帆さんと礼くん、そしてなぜか仲良しカップルのJPとしおりちゃんも一緒に来てくれた。
いい、家だった。そして家のこともめちゃくちゃ気に入っている彼を横目に見ながら、私はこのとき、エッセイストの松浦弥太郎さんに「住む」ことについて取材したときのことを思い出していた。
「住む場所を選ぶポイント」について松浦さんに尋ねたとき、松浦さんはこう言ったのだ。
日々、仕事をしたり生活をしたりしていると、人や場所など、いろんなものと関わるわけじゃないですか。その関わりの中では、必ず「縁」が生まれていく。もちろんそれは、直接的じゃない場合もあるんですけど。
住む場所を選ぶときは、その「出会い」や「縁」をすごく大切にしたいと思っています。そういう意味でいうと、「住む場所を選ぶ」というより「住む場所との”縁”に同意する」という言葉の方が、近い気がしますねえ。
自分の日々の生活にある、いろんなものとの関係性の中で、ポツっと「ここにいてもいいよ」と言われるような縁を感じる場所がたまにある。そして、その縁に自分が同意したなら、その場所に住ませてもらう。そんな感じじゃないでしょうか。
「住む場所との"縁"に同意する」。
彼と出会って、礼くんという友達がきっかけで逗子にきて、アンドサタデーで真帆さんに会って、この家に出会った。それはなんだか「縁」というより他ならない気がして、私は、この縁に「同意」してもいいんではないかな、と思ったのだった。
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そう決めてからは、早かった。内見の1ヶ月後には逗子に引っ越し、引っ越してから、私はすぐに逗子のことが大好きになった。
見上げた空の広さ、朝起きて窓の外から聞こえてくる踏切の音。近所のおいしいパン屋さん、逗子開成高校のマルコメ頭の高校生、飲食店の店員さんがちょっとのんびりしているところ。焦っていない、何にも追われていない、穏やかな雰囲気が、街全体に流れていた。
逗子は都内からのアクセスも1時間とそんなに遠くはないので、土日には、たくさん友達が遊びに来てくれた。
家でごはんを食べたり、
バーベキューをしたり。
礼くんとはマイメンになった。笑
夕暮れには海辺を散歩して、
彼と、いろんな話をした。
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アンドサタデーには、逗子に住むようになってからも、たくさんたくさんお世話になった。
逗子や鎌倉に住む人だけにとどまらない、ありとあらゆる人たちが、アンドサタデーには出入りしていた。真帆さんとけんごさんの暖かい陽だまりのような人柄に、みんな、日向ぼっこをしにきていたのだと思う。
常連さんのなんちゃん、絵本作家のおぐまさん、広告代理店で働いているいっせいくん、バーの店長のくまさん、整体師の中野さんご夫妻、『BREATHER COFFEE(ブリーザーコーヒー)』という素敵なカフェを経営しているこうへいさんとみずほさん。ほかにも数えきれないほどたくさんの人たちと知り合い、話した。
真帆さんとけんごさんが必ず店を出るときに口にする「良い土曜日を」という言葉が大好きだった。その言葉を聞きに行っていたと言っても、過言ではないほど。
お客さんとしてだけではなく、選書イベントをやらせてもらったり、
私が編集者として関わったマンガ『僕たちはもう帰りたい』のイベントを開催させてもらったりもした。
アンドサタデーは、逗子にいたいと思える理由のひとつだった。
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こうやって書いていると綺麗な思い出しか浮かび上がってこないけれど、逗子での生活は、私にとって、楽しいことばかりではなかった。
長時間通勤と仕事の多忙な時期が重なって、心身のバランスを崩して泣きながら帰ったときもあったし、体の負担を減らすために「週3日は逗子にいる」と決めたところ、家に引きこもって気分が滅入ってしまったこともあった。逗子なんて来なければよかったと、本気で思った日もあった。
逗子の焦らない雰囲気が好きだったけれど、それでも焦りを止めることができなかったのが私で、ポコポコポコと浮かび上がってくる綺麗な泡をすべて飲み干し、引っ越しをしようと言い出したのは、私の方だった。
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でも、そういったマイナスな思い出を差し引いても、私は今、逗子に引っ越して来てよかったな、と心から思っている。この淡い色をした日々は、きっとこれからの人生で、忘れることはないだろうな、と。
今は深夜の2時。あと8時間後には、引越し業者がきて、明日からは、逗子ではなく東京で眠る日々がやってくる。なんだかまだ実感が湧かないけれど。
いつかまた訪れる日まで、さようなら、逗子。またね。
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。