愛にあふれている人
人はいくつも分人を持っている多面的な生き物だけれど、本当の心の奥底にある「本音」はひとつなのだ、と思う。
それは大げさにいえば「信念」のようなもので、その人が何を大切にして生きているか、どういう世界観を持っているのか、など、そういったようなことだ。
そしてその「信念」は、意図せずともその人が紡ぐ言葉に滲み出る。その人が書く文章をたくさん読めば読むほどに、まるで最大公約数のように、その人が大切にしていることがくっきりと浮き出てくる。
ああ、この作家さんは優しさを持つ人なんだな、とか、この作家さんは世の中を憎んでいるんだな、とか、この作家さんは希望を持っている人なんだな、とか。
「好きな作家さんが似ている人とは相性が合う」というのは、その、根本的な「信念」の部分で通ずるところがあるからなんだろうな、と、思っている。
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最近わたしは、作詞家の、いしわたり淳治さんのことが好きになった。こんなにも、愛にあふれている、前向きな文章を読んだのは、なんだかひさしぶりだったのだ。
以下、『うれしい悲鳴をあげてくれ』からの引用。
湿っぽい人たちは大切なものが見えていないのだと思う。愛はいつもすぐそばにあるのに、それを疑ってばかりいたりする。愛なんてものはハナから「ない」と決めつけてしまっている人さえいる始末。何とも残念なことだ。僕はまったくの無宗教で、神もいないと思っているけれど、愛は信じている。愛こそすべてと思っている派だ。素敵じゃないか、愛。
そもそも人間は、基本的に「笑顔になりたがっている生き物」
僕らはいつも探している。面白いことを。心の底から面白がってもいいことを。そうして、誰も傷つけずにただ純粋にげらげらと笑いたいだけなのである。そのために生きていると言ったって言い過ぎじゃないのである。
なんというか、驚くほどに、明るく前向きなのである。
文章には、人の「弱さ」に寄り添うものと、「強さ」を見せてくれるものがあると思うけれど、いしわたり淳治さんのそれは、「やさしい強さ」を見せてくれる文章だった。
この人が書く歌詞や曲はどんなものなんだろう? と調べてみると、Superflyの『愛を込めて花束を』や、大橋トリオの『愛で君はきれいになる』など、これまた「愛」にあふれた歌たちが、たくさんあった。
数年前に過去のブログにも書いていたように、私は、愛がある人生を送りたいなあ、と思っている。自分を愛したいし、家族を愛したいし、友達を愛したいし、生涯を通して愛せるような人と出会いたい。そのために、成長することが必要なのであれば成長したいし、変わらないことが必要であれば変わりたくないし、変わることが必要であれば、変わりたい。
「愛にあふれた人生を」というのは、私の中で、ずっと大切にしたい変わらないことなんだろうな、と思った、土曜日の夕方なのでした。「ゆかさんの文章の最後の一文が好きなんだよ」ってある人に言われてから、最後の一文に何を書こうか悩みます。
ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。