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とある矛盾と、やさしい固執。

「あなた(私)じゃなくちゃダメ」という気持ちと、「あなた(私)じゃなくてもいい」という気持ちが、自分の中に同居している。これは、私が今まで生きてきた26年間という短い人生の中で考えうる、最大の矛盾なのではないかと思っている。

社会人になってから、「自分がいなきゃチームが回らないなんてことは決してないから安心しろ(安心して自分の人生を生きろ)」という言葉をよく聞くようになった。どれだけ属人性の高い仕事をしている人であれ、抜けてみるとその穴は、誰かしらがカバーしたり方法を変えたりして塞がりなんとか回っていくから大丈夫だ、と(もちろん、取り返しのつかない場合もあるだろうけど)。そして実際に、「あの人が抜けちゃやばいでしょう」という人が抜けたチームだって、なんとか回っていく様子を目の当たりにしてきた。

恋愛においても同じだ。どれだけ「あなたじゃなきゃダメなの」と思えるような身を焦がすほどの恋愛をしていたとしても、いざ別れてみると、案外平気だったりするんである。日常は変わらず流れ続け、「そんなこともあったなあ」と笑える日が、かかる時間に差はあれ、いつかはやってくる。時間という薬はほんとうにすごい。

これらが表すことは、「極論、あなた(私)じゃなきゃダメなんてことは、人生においてひとつとしてないんだろうな」ということ。

けれども同時に自分の中に生まれるのは、「いや、あなた(私)は世界にたった1人の存在なのだから、あなたじゃなくてもいいなんてことはなくない?」という反論だ。

あなたが抜けたチームは、あなたがいる場合の未来を見ることができない。あなたじゃない人と恋愛することはもちろんできるけれど、それはあなたとの恋愛とはまったく似て非なるもの。あなたが消えてしまっては、あなたとの未来を見ることができない。

この2つの視点は考えれば考えるほどに両方正しく、その矛盾を自分の中で戦わせながら、今までの私はどちらかといえば「あなたじゃなくてもいい」という気持ちを大事にしてきた。誰かに固執することは自分に不利益しかもたらさないと思っていたし、それが自分が傷つかないための処方箋だとも思っていた。

けれど最近の私はというと、「あなたとしか見えない未来を大切にしたい」という気持ちがにょきにょき、と生まれているのである。これは自分にとっても驚くべき心境の変化で、先日結婚したパートナーとの出会いが大きなところしてあると思う。あなたなしでも生きられるこの世界で、それでもあなたと生きていきたいと、人生で初めて思えた(ゼクシィのコピーみたいになっちゃった)。

「あなた(私)じゃなくちゃダメ」という気持ちと、「あなた(私)じゃなくてもいい」という気持ち。おそらくこれは、どちらもほんとうのことで、人生においてそのバランス感覚は時と場合によって変わっていくのだと思う。今の私にとっては、両方を知った上で「それでもあなたじゃなきゃダメ」と思えるやさしい固執が、自分の未来を明るく照らしてくれるような気がするのです。なんだか自分でも不思議な感覚なので、この気持ちを忘れないよう、GWの終盤にメモをしておく。今から山形におじいちゃんおばあちゃんに会いに行きます。

ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。