アフタヌーンティー付きグループセッション 体験記
魔女フェスの翌日は、ヤタさんとウサさんのアフタヌーンティー付きセッションに参加してきました❤️
概要・告知記事はこちら↓
ヤタさん
ウサさん
先月の個人セッション終了後、ヤタさんに誘っていただいたのが参加のきっかけ。
直前のセッションで「姫マインドでいましょう」と言われた影響で、「まあ、姫ならアフタヌーンティーぐらい経験しておかないとですよね!!!!!!」とわけのわからん返事をした記憶がある。
①参加前の準備
ホテルのアフタヌーンティーは初めてでちょっと緊張。
服はとりあえず手持ちのものでどうにかなりそうだけど、髪の毛は「こんなボサボサ頭で参加したくない!」ということで美容室で髪をセットしてもらってから会場に向かった。
美容室でのヘアセットなんて結婚式に参列するときぐらいしかやってもらったことないけど、やっぱり気分上がるな〜!
私は昔からショートヘアの期間が長かったせいか、髪はひとつ結びにすることしかできない。
雑誌やネットにある『簡単ヘアアレンジ⭐️』なんて一度もできたことないので、こういうのはプロにやってもらうに限るわね。
自分じゃできない髪型って楽しいな。
来月のランチ会でもやってもらおう。
②おいしいスイーツと濃いお話
メロンたっぷりのスイーツ🍈
見た目も可愛いし、おいしかったー!💚
グループセッションでは、他の参加者さんの相談内容が刺さる刺さる🔪🔪
「これ少し前に私もセッションで扱ってもらったやつだー!!」が出てくる出てくる🌋🌋
もちろん他の方とお悩みの内容は全然違うんだけど、掘り下げていくと「私もありましたそれ…わかります…」ってなるんだよね。不思議。
グループならではの面白さってこういうことか!と、よくわかりました。
特に刺さったのは以下の2点。
もうこの世にいない家族に対しての罪悪感と、今の自分ができること
これは、祖父母と父を亡くした私にはズーンときた。
特に父親に対しては小学校の高学年ぐらいから「こんなお父さん嫌だ。恥ずかしい」って思いがあった。
高校時代はさらに「なんでこんな家に産まれたんだろう。もっと普通の家がよかった」って何度も思った。
(父は長く勤めた会社を辞めて以降、仕事が続かず家にいる機会が増えた。その後脳の病気であることが発覚した。他の家のお父さんは働いてお金を稼いでいるのに、働くこともできず介護サービスを利用している自分の父親が恥ずかしくて仕方がなかった)
私が大学生のときに亡くなったけど、そのときはすごく泣いた。悲しかった。
嫌だなって印象を抱いたまま父がこの世を去ってしまったこと・亡くなったことで正直ホッとしてしまったことに対して、申し訳なく思っていた。
でも姿形がなくなっても、私の心の中では生きている。
父が家族のために頑張っていたことや、家族を大切に思っていてくれたこと、それに気づくのが遅くなってしまったけど、今からでもいい。
心の中で感謝します。
何もしなくても、そのままの自分を愛してくれる人がそばにいる。それをちゃんと受け取る。
魔女フェスでも同じ質問をしたけど、今回も同じことを聞いてきた。質問の詳細は前回の記事参照↓
そうしたら
「それ、男性が言いがちなセリフですよ」
「旦那さんとあなたで男女が逆転してる」
「男性性が強化されてる」
「あなたが女になるか、旦那を男にするかですよ!」って。
え〜〜!
少し前まで「私は身近な男性に大切にされてる♡」「姫になる♡」とか言ってたのに、どういうことよ!!!😂
結局は「何もしなくても、そのままでいいんだ」とちゃんと受け取る。毎度提示されているテーマでございます。
私、どんだけ受け取り拒否してんだよ。
③夫婦のコミュニケーション
前回の記事でも買いたけど…
夫婦でコミュニケーションしましょうって言われるけど、「私たちちゃんと話してるよ!これ以上どうしたらいいの?」って思っていた。
そうしたら「あなたにとってコミュニケーションってなんですか?」と聞かれた。
私にとってのコミュニケーションは「家族のことや仕事のことを話すこと・共有すること」
Q.例えば、アフタヌーンティーから帰宅して、夫になんて言いますか?
A.楽しかったー!おいしかったー!」
〜完〜
私はこれがコミュニケーションだと思っていた。
でもね、これはただの『報告』なんだって。
…言われてみれば、確かに。
じゃあ感情のコミュニケーションってなんなんだ!と思ったときに
「アフタヌーンティー楽しかった!の後に、一緒に行こうって言わないの?」と聞かれた。
あ〜〜言わないなあ。
だって夫はそんなの興味ないもん。
どうせ一緒に行ったって楽しくないもん。
・誘わない理由
過去に、私のリクエストで旅行先のカフェでケーキ食べたときのこと。
夫は目の前でコーヒーを飲みながら「あー疲れた。ねみぃな」ってダルそうにして、挙げ句の果てにはあくびをしていた。
私にはそれがそんな退屈そうな態度に見えた。
ルンルン気分で甘いものを食べていたのに、すごく嫌な気持ちになってしまった。
は?そんな態度するならもういいわ。
私は一緒に楽しめる人と行く。
それか一人の方がよっぽどマシだ。
そう思った記憶がある。
この人を誘ってもどうせつまらなそうな顔をされる。
それは楽しくない。嫌な気持ちなる。
だからアフタヌーンティーに誘うとしたら、夫ではなく、より一緒に楽しめそうな同性の友人を誘うだろう。
(目的によって誘う人を変える傾向って、そういう経験も影響してるのかな)
・前提はどうなっているか
私の中に「どうせこの人とは楽しめない」っていう前提があるから、嫌な気持ちになってしまうのだという。
前提が「どうせ〜」だと
もし断られたら「やっぱりな!もういいです!あなたのことは二度と誘いません!」ってなるし
仮に一緒に行くことになっても、相手のちょっとした行動がいちいち気になって「なんだよその態度!」と、悪いように捉えてしまう。
これが「楽しめる前提」なら
断られても「そっか、また今度行こうね!」ってなるし
目の前であくびをされても、軽く受け止められる。「なにしてんだよ〜」ぐらいの、軽いツッコミで終えることができる。
なるほどな〜。
相手がどうこうじゃない、まずは自分の意識を変えること。
そうしたら、同じ現象が起きてもこちらの捉え方が変わるということ。
どんな問題でも、根底は変わらないのね。
④【後日談】自分でやるな、投げろ
さらに、数日後の個人セッションでわかったこと。
私の場合は「一緒に行こう」も良いけれど、「連れてって!」の方が良いと。
行きたいところをいくつかピックアップして、提示して「私はここに行きたいの。連れてって。よろしく」ぐらいの気持ちでいなさいと。
つい「一緒に行こう」だと、調べるのも、相手の都合を聞くのも、予約するのも、当日の乗換検索も、全部私がやってしまう。
それが苦じゃない人ならいいけど、私はそれがめんどくさくて仕方ない。
たとえばなかなか相手の都合がつかなくて、調整がめんどくさくなると「じゃあもういいや。他の人と行ってくる」ってなっちゃうの。
つまり、やりたくないことをやっている・犠牲しているから嫌になってしまう。
「行きたいところに、私の都合の良い日に連れて行ってもらえる」ことほど楽なことはないけれど、そんなのわがままだと思っていた。
でもそれでいいらしい。
本当かよ!って思いながらも、行きたいところを2,3個ピックアップして、URLとともに「あとは頼んだ」って投げてみた。
さて、どうなることやら。