近況報告的なもの

本日のテーマは、「近況報告的なもの」です。

とは言っても日常についてはX(ツイッター?)で語ってはいるのですが、今年(というかここ3ヶ月間ほど)の間で結構いろいろあり、また、Xでも語っていないことがあるので、この場を借りてお話ししたいと思います。

母の突然の入院

3月初めごろでしたが、叔父のヨシロー(仮名)から私に連絡がありまして、何事かと思ったら母が外出先ですっ転んで肩を強打した、んで病院で診察を受けたら骨折していて、即刻入院して手術を受けることになったとのことでした。

ひとまず同居人の弟が病院に連れて行って、それから母の世話は伯母のマキ子(仮名)がやってくれたとのことでした。この時点ではあくまで怪我の治療としての入院と聞いていました

次々と発覚したやべえ事

それから1日ほど経って今度は弟から連絡がありました。手術前の内科検査で色々やべぇことがあったと…

なぜ内科検査?という話ですが、手術を受けるにあたり、全身麻酔をするには事前に内科検査をして、OKであれば手術にGOサインを出す方針だったとのことです。ところが内科検査で次から次に異状が見つかったので、まずはそっちをどうにかするということになりました。

以下、検査で見つかった異状です。

・甲状腺機能亢進症(バセドウ病)
・慢性左心不全(バセドウ病起因?)
・糖尿病

これに加え、卵巣腫瘍(悪性ではなかったが…)が見つかりましたが、これは後述

まずはバセドウ病や心臓をどうにかすることが第一優先、んで肩の骨折については、時間はかかるがギブスで固定して治すことになりました。

面会

母の入院した病院は面会客に対し無駄に決まり事が多く、平日14:00〜17:00の間に、1家族あたり15分程度、しかも1週間に1度のスパンでしか面会させてくれないところでした。

面会予約などの段取りは伯母に取ってもらい、約束の日時に待ち合わせをして、病室に向かいました。んで久しぶりに母に会ったのですが、左腕はギブスで固定され、右腕は点滴を付けられているので自由が利かない、しばらく寝たきり生活、ただし幸いなことにLINEメッセージで意思疎通くらいはできたのが救いです(それでも腕に響くとのことでした)

それから、一気に痩せ細って、覚悟はしていたがここまで急速に弱ってしまうものかと、ただただシンプルに悲しくなりました。

とはいえ、悲しんでもいられません。医療関係や家関係の事務手続きがあり、急ぎでやるべき事項を母や伯母から聞いたりしました。そんなこんなであっという間に15分経っていました。こうなったらとりあえず粛々とやるだけです。

転院


それから1週間後に、宇都宮の某病院に転院することとなりました。それまでは実家近くの病院でしたが、ここだと出来ることも限られている為、もっと大きな病院で治療する方が良いとの判断でした。

母はこの時も寝たきり状態だったので、救急車に乗せてもらって宇都宮まで移動、付き添いの為私と伯母は車で移動しました。

んで着いてすぐ検査や受け入れ準備などで、3時間ほど待つこととなりました。事務手続きなど私もやる事がありましたが、終わった後がクソ長い…。その後病室に案内され、部屋を整えたり、やる事の確認などして30分ほど過ごしました

卵巣腫瘍は転院後の検査で見つかりました。その後6月に摘出手術をすることが決まりました

・転院後みんなで面会


そんなこんなで4月になりまして、弟と叔父ヨシローで面会に行くことになりました。(ちなみにこの日はBCリーグ開幕戦でしたが、みんなで面会に行く事が決まり開幕はお預け)

午後だけとはいえ事前予約なしで受付さえすればOKなので、オタンコ那●南病院よりは大分マシなもんです。

この時点ではまだ寝たきり状態、退院の目処は立っていませんでした。現状報告、やるべき事項の確認作業みたいな感じで15分ほど経っていました。

それからミスドのカード(ドーナツ50個引き換えカードなるものがあるようで、残り40個分ある上に有効期限間近だった)をもらったので、伯母マキ子と叔母ユウ子(仮名)にあげることにしました。あとは自分らで食べる分と…。んでまずは高根沢のユウ子宅に行き、のんびりくつろいでいたら叔父タカヒサ(仮名)も帰ってきまして、しばし雑談などしました。

その後南那須の伯母マキ子宅に行き、ここでものんびりくつろぎました。マキ子宅を訪れたのは20年以上ぶりでしたね。親戚とは冠婚葬祭等ないとなかなか会う機会がなかったですが、今回の母のことで何べんも会うことになりました。

面会から数日後、やっと歩行練習を開始できたとLINEメッセージがありました。しかし退院の目処は立っていないということで、まだ掛かるかなぁと(概ね5月半ばくらいまでは)覚悟していました。

退院


4月20日ごろに急に状況が変わり始めまして、骨折の方は完治していないが心臓の方はだいぶ落ち着いてきたということで、もうそろそろ退院できるかなという話がありました。もっとかかることを覚悟していたので、良かったような拍子抜けしたような…(患者の出入りが激しいので、病棟の確保のために少しでも良くなったら退院させる方針らしく…)

それから数日後、GW休暇初日に退院できることが決定しました。ただし、心臓のことや糖尿のことで外来通院は必要になるということでした。

んであっという間に退院当日が来まして、車で迎えに行きました。帰りの車内で入院生活のことを色々話しましたが、やっぱり食事制限がきつかったと言います。夢の中で抹茶アイスが浮遊していて、それを走って追いかけているなんて夢を見たこともあったようです。私自身も禁煙した時、夢の中で吸っていたなんてことがありましたし、水原一平氏あたりは、「また賭博やりてぇよおア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」と、夢の中でまで賭博が離れないかもしれませんね。何かを制限されると夢の中にまで出てくる現実…

1ヶ月ほど寝たきり生活の代償もあり、やはり退院当初は歩くのも一苦労、階段の昇り降りもきつい状態でしたが、1ヶ月ほど経った今は徐々に回復してきています。まだまだ戦いは続きますが、とりあえずは一安心です。

振り返り

ドタバタしたここ数ヶ月でしたが、良かったと思うことも多々あり、例えば今回の骨折がなければ数々の病気が見過ごされていた。皮肉オブ皮肉ですが、言葉通りの「ケガの功名」だったということです。

親が弱ってきた時に年を取ったと実感すると言われますが、私自身も同じようなことを感じました。既に父親を亡くしており、次は母。生きてりゃいつかは通る道といえばそれまでですが…。

まあ、落ち込んでいてもあかんので、私自身もがんがる(`・ω・´)b

あとがき

と言ったわけで長ったらしくなりましたが、初NOTEを書きました。

また不定期で更新していきます。ほなまた(=゚ω゚)ノ

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