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白昼夢のなかの葬列

レミちゃんが死んだ。

レミちゃんは明るくハキハキしていて人見知りもしない子で、いつも影でゆらゆらしている私とは正反対であるようにも見える子だった。

レミちゃんと友だちだったのか、と訊かれると、私たちは友だちだったような気もするし、そうではなかったような気もする。友だちとか友だちではないとか、そういう次元ではなく、レミちゃんと私は「レミちゃんと私」以外の何物でもなかった。

いつ頃、何をきっかけに知り合ったのかももう思い出せないけれど、そんなことは私たちにとってどうでもいいことで、私たちは今さえあれば何だってよかった。彼女には私が必要だったし、私にも彼女が必要だった。依存されていたわけでもなく、依存していたわけでもなく、レミちゃんと私は、どこまでも「レミちゃんと私」だったのだ。

レミちゃんが知らない男の人の隣で笑顔でお酒を飲んでいるときも、タバコを吸っているときも、彼女が人前でニコニコしているときも、私には彼女が何を考えているのか手に取るように分かったし、これは過信でも何でもなく、レミちゃんが見ていたのと同じような景色を私も見ていたのだと、そんなふうに思う。それと同時に、「私には彼女の気持ちが全く分かっていない」という自覚もあった。「全く同じ」なんて存在しないのだから、当たり前といえば当たり前ではあるけれど、それがとてつもない絶望のように感じられた。

レミちゃんの様子が変わったのはほんの数ヶ月前のことだった。タバコを吸わなくなった。お酒も飲まなくなった。腕には傷が増えた。あんなに好きだったごはんをほとんど食べなくなった。レミちゃんが変わっていくのを、私は近くにいながら黙って見ていることしかできなかった。普段と変わらないふりをして、ただ「一緒に」いた。そんなレミちゃんの隣で、涙のひとつも流せなくなった自分がいた。笑えなくなった自分がいた。お互いにたぶんもう限界だったのだと思う。

そして、レミちゃんは死んだ。

あんなにずっと一緒にいたはずのレミちゃんが死んだのに、泣けなかった。悲しいとも思えなかった。

彼女のあの作り笑いを見なくてよくなったこと、傷だらけになっていく身体を見なくてよくなったこと。彼女を大事にできなかった彼女自身を愛さなくてもよくなったこと。彼女が死んで、少し肩の荷が降りた気さえした。

レミちゃんは私だった。
そして、彼女を殺したのも私だ。

レミちゃんがいつからレミちゃんだったのか、私はいつから「レミちゃん」と一緒にいたのかは分からない。「レミちゃんと私」は、ずっと「レミちゃんと私」で、「レミちゃんは私」で「私はレミちゃん」だった。

レミちゃんなんて最初から存在していないといえば存在していなかったし、彼女はもうとっくに死んでいた。

そしてやっと、私はやっと「レミちゃん」を「レミちゃん」として知る人に連絡をした。

これで彼女は解放されたのだ。そして私自身も。

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