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つぎはぎだらけのぬいぐるみ

どん底だった。
学校に行けなくなった(気がするだけで本当は1日くらいしか休んでいなかったかもしれない)。
およそ4年半前、高校1年生の冬のこと。

勉強が嫌いだった。部活が嫌いだった。
もう鮮明には思い出せない日々。

ちょうどその頃、「君に会えたらもう死にたいな」と歌うバンドに出逢い、「どん底」で、ずっとその人たちの音楽ばかりを聴いていた。
「君に会えたらもう死にたいな」の後ろに続くのは「でもまだ僕は君に会えない」というフレーズである。
鬱々とした曲をつくるそのバンドが。当時の私の「世界」だった。

君に会えたら もう死にたいなでも
まだ僕は君に会えない
もう一回会えたら 何回も会えたらでも
もう僕と君は会えない
傘 / Suck a Stew Dry

バイトもできず、仙台や東京にライブを観に行けるほどのお金がなかった高校時代、文字通り「君に会えたらもう死にたい」と思っていたし、「君に会えるまでは死なない」と思っていたし、「君に会えたら死んでもいい」と思っていた。きっと本当に会えていたら、私は今ここにいなかったのかもしれない。

でもまだ私はこうして生きている。

君に会えなかったから。会えなくなってしまったから。

大好きだったそのバンドはもういない。
私が高校卒業を間近に控えた12月、メンバーの一人が脱退し、「無期限活動休止」のアナウンス。
実際、「無期限活動休止」と言いながらステージに戻ってくるバンドも少なくない。「活動休止(活動再開予定は未定)」のパターンである。でも、私が愛していたあのバンドはもう戻ってこない。期待するとかしないではなく、私が思う限り、もう「絶対に」戻ってくることはない。
あの日に夢みた光は夢の中だけの光になってしまった。

思えば、あの人たちがつくる音楽に「救われた」と思い込んでいたあの頃から、もしくはそれよりもっと前から壊れていたはずだった。それなのに壊れていないふりをしてここまで20年間を過ごしてきて、自分ができないのは「甘え」なんだ、自分が悪いんだ、と自分を責め続けてきて、でもどうしたら分からない、って袋の鼠になって、何もできなくなって、そんなときに「あなたは壊れているんですよ」と伝えられた。

「そんなこと知らなければよかった」よりも先に「やっぱりそうですよね」という言葉が口をついた。

「むとうさんはきっと元々の能力が高くて、ずっとそれをどことなく補えてきたんだと思います。でもたまにしんどいな、とかあったでしょう。今までつらかったですよね。これから先もたぶんそういうことってあって、だから、それで必要以上に自分を責めなくていいように、と思って」と。

きっとこれからも「壊れている」ことは変わらなくて、いつか転んで穴を開けてしまったズボンにつぎはぎを繰り返す、そんな毎日が続くのだと思う。

「所詮『甘え』でしょ、『逃げ』でしょ」と思う人がいるのもきっと事実で、そう思うなら思っていただいて構わないけれど、だとしたら黄色い線の外側で眺めるか目を背けていてほしいと思う。見守らなくてもいい。心配したり甘やかしたりもしなくていい。黄色い線の外側、もしくはギリギリのところで適当に付き合ってほしい。黄色い線の内側はね、あぶないので。

死に損なったあの日から、私の「余生」が始まり、終わりの見えない日々が今も続いている。



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