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赤ちゃんの可愛さ男と女で違うかも

ちょっと前の先日、「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」の応援上映を見に行った。

キンプラの応援上映を観にいったのは二回目で、一度目はもう来る人も数少ない「平常運転辞」だったが、二回目は神浜コウジ先輩のバースデーイベントである。バルト9のでかい方の劇場が満杯だ。

 キンプラの応援上映は素晴らしかった。キンプラも素晴らしかったし、応援する人々も素晴らしかった。映画はなんど見ても意味がよく分からなかったが、意味とかクソどうでもいい。とにかく「プリズムの輝き」があればそれでいいし、地球はプリズムの輝きで黄色く光り、全体主義から民主主義へ、そして王政へと移り変わるファンの波はすごかった。 

 そう確信した。

 で、そう確信する前の話を書くつもりである。

映画の上映前には、注意とか予告編とかが流れる。注意が流れる前から応援上映にきた観客たちはすでにサイリウムを一本、二本、あるいは五本持っていた。肩慣らしの動きをして場を暖め、きたるべき本編に備えるのだ。

 ところが、予告篇の段階ですでに応援上映は始まっていた。映画本編と違って、おそらく始めてみるであろうこの予告篇の段階から戦いは始まっていたのだ。

『リメンバー・ミー』の予告篇が始まったら、「コウジ・・・・・・!? コウジ!?」とギター持ってる点しか共通点がないのにコウジの推参を応援するし、『ときめきレストラン』の予告が始まったら、「みるね~」とか「お料理食べた~?」とか応援がはじまる。

なにの映画か忘れたが、赤ちゃんの映像が流れた瞬間に「かわいい~!」といって場が沸騰した。僕は「あ、赤ちゃんがいるなー」ぐらいしか思わなかったのだが、赤ちゃんは可愛いのだ、ということを、応援されて始めて意識の角に認識したのだった。

赤ちゃんは可愛い。そのかわいさは「知識として知っている」ものだった。

でも、おそらく応援上映に来ている女性の大半はそうおもわなかったはずだ。応援しているときに「かわいいー!」と絶叫したのは知識としての反応ではなくて、本能的なそれだっただろう

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昔、「萌え」という言葉について教えてくれたお姉さんがいた。彼女は「萌え」って赤ちゃんにも普通に使うよね、と教えてくれた。その人にはなんども悩みや苦しみを聞いてもらった。普段ならば一時間6000円払わなければならない仕事をしているのに、それをロハにしてやる、といってくれていた。

 赤ちゃんのかわいさは人類を救う。赤ちゃんがいなければ人類は成り立っていかないのだから。でも、赤ちゃんをかわいい、と思うためのレッスンが、男子には必要なのかもしれなかった。

それはそれとしてヒロ様はマジで王であり水戸黄門だった。とりあえずそれだけは分かった。

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