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むかし、ゲームは一人で遊ぶものだった(とみなされていた)

 夜のゲーセンは不思議な空間だと思う。

 ゲームセンターの階段で「ゲームゲーム!」と叫んでいる老人たちは明らかに泥酔していて、ゲームに親でも殺されたのかというぐらいの揶揄の悲鳴をあげていた。

 しばらくして店員に叩き出されていった老人たちの背中を見送ってから、音ゲーを遊びにカップルがやってきた。会話は漏れ聞こえてこない。唐突にキスをしたように見えたが、唐突ではなかったのだろう。

ゲームセンターはそういう場所だった。

 昔、ゲームは引きこもりを作り出す悪だとされていた。ファミコンが流行しはじめたころ、FF2か3が社会現象になった頃には、子供は外で遊ばないで、家に引きこもってゲームばかりしているといって批判された。

80年代の子供たちにしかわからないことだったかもしれないけれど、それまでの「遊び」はアナログで、偉そうにする人ばかりで、くだらなかったのだ。全てくだらなかった。くだらない遊びを伝統や歴史の名のもとに原理主義化し、老人たちがベーゴマやけん玉を教え込もうとしていた。老人たちと遊ぶゲームほどくだらないものはなかった。

それからずっと「ゲームは引きこもりにさせ、一人きりで遊ぶようになり、とにかく悪だ」という風潮が続いた。1960年代生まれたちにとっては、四角い箱から吐き出されるノイズ混じりのピコピコ音は不愉快なだけの不愉快だった。引きこもりや若年のいじめや自殺や何もかもがゲームが悪いとされた。ゲームはひたすら悪だった。孤独と無知を加速させるロボットだとされたのだ。

2000年代になってMMORPGが流行りだした。韓国で生まれたラグナロクオンラインは死者を出すほどに流行した。数千人の「コミュニティ」の中でのトップエンドのプレイヤーを目指して、誰も彼もが狂ったように頂点を目指した。メチャクチャなゲームバランスだった。というか、めちゃくちゃなゲームだったのだ。

その頃、急にゲームの悪さが「一人で家で孤独に遊ぶもの」だったことから「コミュニケーションのとりすぎ」へと変わっていった。ゲームのなかのコミュニケーションは本当のコミュニケーションではない、というわけだ。

しかし、1980年代生まれにとって、「コミュニケーションが取れるゲーム」は理想のゲームだったんだ。自分たちを「悪」にしていた事柄がひとつひとつ、なくなっていく時期だった。スマホがゲームの主戦場になる、その少し前の話。

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