愛は友達から始まって死ぬ
恋愛コラムを読んでいて、どうもしっくりこない理由がわかった。
男のことがわかっていないからだ。
某女性向け大人の恋愛情報サイトのコラムの多くは「カレ」と「わたし」の関係をどうやって取り持つかを書いている。カレとの愛が冷めそうになったらああしろこうしろ、マンネリになったらああしろこうしろ。カレをゲットするためにはああしろこうしろ。
そうしてうまくいくかもしれない。でもその「うまくいった」感じはたぶん間接的な理由によると思う。
男は男の価値を通さないと女性の価値がわからない。
ルネ・ジラールという人がいる。この人はこういった「欲望の充足に限界はない」。つまり、欲望は無限に膨れあがる。愛、金、資本、物、名誉。ジラールはこうした欲望を本能ではなく関係として捉えた。
ここでよく引かれる言葉に「欲望の三角形」がある。これは「男性は、別の男性の視線を気にしている」ということに尽きる。
たとえば、なんとも思っていなかった女性を、友達が狙っていると知ったとき、急に魅力的に見えることがある。 これは友達の「視線」によって視野外にいた女性に具体的な価値が生まれたのだ。
こうした「視線」の連鎖――広告とかツイッターとかメディアとか――が私たちの欲望の全てを作り出している。欲望から遁れている欲しい物は欲求とよばれる
メディアでゆっている「自分磨き」は無駄である。無駄ではないけれど、直接的な効果はない。あなたは自分磨きによって男たちの視線を自分に向けることができる。できるが、その「欲望の充足に限界はない」。キレイに終りはない。ただ、老衰と飽きだけが終りを告げてくるのだ。
だから、「カレ」とうまくいくにはカレではなく、その周りの視線を集める必要がある。カレがあなたに向けている愛は、周囲の価値判断を乱反射して突っ込まれる感情なのだ。
真実の愛なんてものはない。
本当の愛なんてものもない。
しかし、これはめちゃくちゃ疲れる世界だ。たぶん多くの女子は「視線」にさらされすぎて疲労困憊しめまいを起こして死んでいる。
そういう世界のなかで、僕も優しい言葉をなげかけたい。
「そのままでいいんだよ」って。
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