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自分を励ますことのために。

僕はほんとうは自己啓発の本を書きたい。

そういったら、「おまえさー」という軽蔑混じりの視線と、自分が自己啓発などにまったく頼ることなく生きていける強者であることを示したマウンティングがはじまった。でも僕はそんな強さに興味はない。見せかけの、威圧に関心はなかった。

励ましが純化された励ましの書を書きたい。成功者からのアドバイスでも、敗者による失敗学でも、トモダチの慰めでもなく、遠い誰かからの発気。それを自己啓発というのなら僕が書きたいのはそれだ。屈辱のニュアンスなんてなく。

朝日文庫からでている『ハローキティのニーチェ 強く生きるために必要なこと』という本がある。ハローキティが、『ツラトゥストラはかく語りき』などで有名な、反隷属的な哲学を生み出したニーチェの詞を解説してくれるという狂気の一冊だ。

狂気の一冊だが、すごくよい、と思う。ニーチェの翻訳の上に、そのメッセージを書き添え、下に解説があるという作りだが、全部が違うことをいっている。ニーチェはよく「飛ぶ」ということばを使うが、キティちゃんはその場で心を落ち着けることをいつも推奨している。

ニーチェが考えたことを、キティちゃんはたぶんあまり理解していない。だけれども、キティちゃんが考えたことがニーチェに劣るかといえばそうでもない。

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自分を自分で励ませる人は天才だと思う。天才、というのは揶揄的な意味も含まれている。仕事で失敗したり、人間関係に微妙なヒビが入ったり、自分はダメだと思うたびにそれを認めて肯定することの難しさに思い至らない事はないだろう。

その時に自分を自分で褒め称えるためには、いろいろな事を知っていなければならないはずだ。いろいろな事、というのは知識ではなく、人生の足跡みたいなものだ。あなたはもう十分生きた。その十分な生命で満たされている時に、それは誇りをもって語るべき生となるはずだ。誰かの「いいよ」や「えらい」ではないほんとうの自己肯定。それがどれほど難しいことか。

そういう、そういう本にはまだ巡り会っていない。そういう本はたぶんない。それはきっと誰かのことばをたくさん経由した先で、自分でふと認められるようになる。そういう境地だ、



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