お皿と映画
あるとき、某大手家具メーカーの会長を囲む会というのがあったらしい。主に大学生たちが中心で、そこである大学生は「映画をビジネスにしたいんですが、関心とかないですか?」というようなことを聞いたそうだ。
会長はしばらく考えて「ないね」といった。映画というのは、なくても生きていける物だ。でも・・・・・・といって、会長はゴトリと目の前のお皿を撫でた。
「お皿とかは誰もが必要とするものだろう? 映画とは違って。だから、誰もが必要とするものでないとビックビジネスにならない。僕はビッグビジネス以外に興味ないんだ」
といったそうだ。
なるほどというか、しみじみとその意味を実感する。ほとんどのものはみんなにとっては必要が無い。典型的なのは外国語の商品。外国語だから使い方がわからない。
でも映画もまたすぐに消えて無くなったりはしないだろう。ベーゴマみたいに、いつか忘れられるにしても、すぐには消えない。
誰もかれもが必要としないものっていうのは、不思議とそういうものだ。
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