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妖精の思い出

誰が書いたエッセイか全然思い出せない上に、何に書かれていたのかまったく思い出せないのだけれど、いちおうあらすじをかいつまんで言うと次のようになるだろう。

私は疲れ切っていた。疲れているが、友達の女の子がパフォーマンスをする、というのですさまじく長い時間かけて中野(だか荻窪)だかにたどり付いた。駅前のもさっとした男性がこちらです、と案内してくれたが、その案内はほとんどデタラメだった。それからいろいろあって一時間だか二時間だか後に寂れたビルにいきつく。ビルにはその見慣れた女の子が着飾って神妙な表情をし、いまから何かをはじめる、とか、この舞台はこうこうだ、といった説明もなにもかもなにもないままに、えらく時間をかけてゆっくりとバナナを食べ始めた。階段に寝っ転がって(たぶん階段の4段目から12段目ぐらいにかけて寝そべったのだろう。頭を下にして)バナナを食べた。バナナを食べ終わると、そのまま寝っ転がって「おわりました」といった。

作者はそのパフォーマンス?にめちゃくちゃ怒ったはずだが、内心ではかなり「オイシイ」話だと思っていたに違いない。「バナナ食べる女に逢いに中野にいった」これほどネタになる話はそうそうないだろうし、疑問も謎も尽きない。女は明らかに性的なシグナルとしてバナナを食べることを選んだのだろうし、バナナを階段で食べることでそれを見物にきたバカな男を皮肉ったのだろう。そういうイタズラな存在は、イタズラの内実を横においてこう言われる。

いわく、妖精。

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寺山修司の時代には妖精がいたんだ、と教えてくれたのは今はもう亡くなってしまった大手出版社の敏腕編集者だった方だが、彼は寺山修司よりずっと年上だったはずだ。彼のみた「妖精」がなんだったのか、といえば、それはたぶん好奇心が動かす都市の偶像、みたいなものと、そして具体的には新宿三丁目の喫茶店兼バー兼定職屋の女給だった。

「70年代の新宿には何か面白い事を探してウロウロしてる人がたくさんいたんだよ」と、数名の作家とポルノグラフ雑誌の関係を教えてくれたときに言われて、その時代をしらない僕にとっては、すっかり外国人観光客以外のなにも目に入っていないような無色透明な面白くない巨大ビルの塊になった新宿も、かつては異界の魔窟だったことを想像して羨ましくも恐ろしくもなったものだった。花園神社を中心とする魔窟の魔窟。

「妖精がいたんだ」と編集者の老人はいった。1970年、あらゆる編集社が狙っているお店の女の子がいた。作家にえらく好かれていた。作家という職業だけに好かれていたのが不思議だったが、作家を狙う編集も編集を狙う作家もみんな彼女に恋をしていたのだと。彼女が22になったとき『子供ができた』といって店をやめた。その時に一同みんながえらくがっかりしたそうだが、それからしばらくして店に戻ってきた。こどもが手を離れたのか、と聞いたセンスのない作家(「三島由紀夫ではないか」とその人は言ったが、違うと思う)の質問に、

妖精がしてくれたの

と答えたらしい。

その妖精が何をしたのかはさっぱりわからなかったが、それ以来作家は「妖精」を題材に短編小説をいくつも書いたそうだ。妖精というのはなんですかね、と僕は聞いたが、その老編集者はえへへと笑って答えなかった。

妖精、妖精。



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