嘘つかないと死ぬ人の死

「俺のいうことは全部嘘ですから」症候群というのがある。

世の中には一定数嘘をつかないと死ぬ人がいるけれど、その病気との付き合い方は人それぞれだなと思う。

めちゃくちゃちっちゃい話だと、「昼ごはん食べた?」と聞かれた時に「いや、まだです」って昼ごはん食べてきた帰りにいうやつがいる。配慮とか何かを通り越して、もうの病気だろうと思うかもだけど、反射的な反応には基本的に嘘で通すことにしている人はわりとこういう反応をする。

嘘をつくと得をすることを学ぶ機会は多い。正直は選択肢が一つしかないが、嘘は無数の選択肢を選択できる。問題は嘘をつくことは、嘘を本当で塗り重ねることがセットだということで、嘘の周りを固めることに良心の呵責とか戦略性とか歓喜とか、なんでもいいけれど嘘にたいする「メタ」な反応をするかどうかは、大きい。

小池百合子はこの意味でメタな反応を一切もたないのがすごい。実現するつもりのない政策とか、実現できるワケのない約束とかは基本全部嘘だと思うが、たぶん嘘をついているという自覚はまったくないだろうと思う。嘘をつこうと思ってついていたり、嘘と本当が峻別できない(しない)他の政治家とは全然、格が違う。

こういうのをサイコパスというのか政治家としての才能というのかはわからないけれど、小池百合子を見ているとずうっと昔に自殺したAV女優のことを思いだす。名前も忘れてしまったが、なぜか富士の樹海で自死を選んだ人を悼みながらセックスするという企画(実際にはしなかったのではないかと思う)で、「祝ってやる」と書きつけてある巨木のそばで号泣しながら、「慰めてあげるね」と言っている女性の目は完全にヤバかった。

ただ、完全にヤバかったけれど、鎮魂とはそういうものだとしみじみ思う。

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