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写真の笑顔と、ほんとうの関係

「ほんとに分からないの?」

挑発ではなく困惑。ヒントをたくさん与えて、ほとんど答えまで言い切っているのに正解してくれない子供をあやす先生みたいな口ぶりでそういわれたら、さすがに「わからない」というのは恥ずかしい。

4枚の写真がある。

遊園地に来ている男一人、女二人の写真で、映っているメンバーは同じ。アイスクリームを食べたり、脳天気にコーヒーカップに座ってたり、ジェットコースターから落下していたり。

去年の写真だというそれは、インスタグラムでフォワーしている、どこにでもいる女の子があげていたものだ。それをみて、一緒に働いていた女性が「あ、つきあってますなこれは」と言った。ぼくは「いや、違うと思う。」と答えた。男はこの間この写真に写っているのとは違う女性と結婚したし、右側の女性も既婚者だ。未婚は一人のはず。「付き合っている」はどの組み合わせでも不倫を意味するだろう。

それで、冒頭の台詞を言われたのだった。すっかり出来の悪い生徒になりさがったぼくは、しばらく写真とにらめっこをしていて、結局なにも分からず、「いい笑顔的な何かが映っている。ということしかわからない」という。一緒に働いていた女性は、「誰が写真撮ってるンすか」といった。

なるほどと思った。写真を撮っている誰かが、この未婚の女性付き合っているのかと。

でもどうしてそんなことがわかったのだろう?


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写真の笑顔。これは不思議なもので、知り合いでも、あれ、こんな表情で映ることってあったっけ? と思うことがよくある。

写真家の篠山紀信は以前「グラビアアイドルは一回抱いてからとる」(だいぶニュアンス違うなあ)と言っていて、そのプレイボーイっぷりと、その「からだのかんけい」が醸し出す特別な関係性が、グラビアアイドルの肉体と笑顔を抜群のものにするのだと思う。

というわけでネットとインスタグラムを漁っていると、手にもったペットボトルを前につきだして恥ずかしそうな表情をぐっと笑顔にして映っている女性をしばしば見る。いかにも「インスタ映え」しそうな鮮やかさはないけれど、突然向けられたカメラへ、その向こうにいる恋人に向かって放つ笑顔は、たぶん普通の関係の人には撮れないものだろう。

そういう写真はたまにある。

写真を撮っているところの写真とか、ふと遠くのほうをみている時の写真とか。記念撮影もそうだけれど、写真とは友人や知人との比較競争関係を映し出すものだ。特別で、多数の「目」にさらされて、その中で不利にならないような必死さや美しさを見せつけていないといけないわけだ。

写真はもともとそういう緊張関係の中でしか映らないものだった。露光に何十分もかかる写真は、修行のようにポーズをきめ、その姿勢を維持できる大人のものだった。だから昔の写真は30代でも大人びたかっこうをとっているものだったし、かつての写真は己の魂が抜かれるかもしれないという恐怖に対峙するものでもあった。

一瞬で写真が撮れるようになったあと、デジタル写真がうつるようになったあと。僕たちはそうした緊張感をなくしてしまった。でも、それで始めて、隣にいる人の、自分だけに向ける特別な笑顔を撮ることができるようになったのだ。インスタに恋人の笑顔を載せているやつは、そしてそのその写真を撮った人は特別幸せな奴なのだろう。


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