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過去と未来とユーチューブ

衝撃は静かな世界に音を立てる。

セクシー女優という言い方がいつから流行りだしたのかはわからないけれど、引退した女性が、過去の自分の経歴をもって「元セクシー女優でした」、と言った。そのあと聞いたこともないようなアイドルグループの名前をあげて、それもやめたのだろう、今はYOUTUBEで活動をはじめたことをてれてれと話し始めた。画面の向こうで。暗くて明るい部屋の片隅で。


串カツを食べているときの話だ。

中国ではビリビリ動画の影響で、動画中継で儲けて、それを続ける女性たちが増えているのだと教えてもらった時、「なんだか、すごい時代になったね。いい時代だ」とうかつにもゆってしまった。

その人は「いい時代だなんてそんな。女性が自分を売りにだすんですよ。つよい抵抗を感じます」といった。なんとも保守的な、と思ったけれど、この気持ちの延長にはたとえば「AV女優の娘をもった親」とか、「売春してることをしったJKの母親」とかそういう感情があるのかもしれない。


バーコー麺おいしいね、というような話をしてわかれた。

それから家にかえって、動画中継をしている女性のリサーチ・・・・・・ではなく、生放送を続けるうちに過激なことをし続けるようになる事例を探した。案外そういうケースは少なくて、運営にBANされては元も子もないからだろう。「釣り」にせよ「あおり」にせよ、90年代の匿名文化のころとはまた違ったルールがどこからともなく発行されていたのだった。

そういうのを探すと、逆に「昔は過激だったけどおとなしくなった」というネットワーカーケースに多数あたる。影響力を得た後はただのインフルエンサーとしてしこしこ宣伝に励むというモデルが構築されているらしい。でも、あんがいこれで成功しているようだ。

というようなことをうだうだしているときに、かつて好きだったセクシー女優が引退してYOUTUBEに挙げているのをみた。好きだった、というのは引退してみることがなくなったからだけれど、ふつうの「アイドル」になろうとしているその女性に対する、暴力的でわいせつで悲惨なコメントを読んでいるうちになんだか暗い気持ちになった。

女性はウィキペディア情報では1995年生22才となっていたが、デビューが2013年なのでこれだと17際でデビューしたことになってしまう。いろいろマズいのではないかと思ったが、年齢を曖昧にするぐらいの権利は誰にだってあるはずだった。

その女性は「ぽんこつー、ちびっこー」といって自分の名前をいうOPを作っており、さしてポンコツにもちびっ子にも見えない張り付いた笑顔で初恋や水着について語っていた。正直あまりおもしろいとは思えなかった。


他の動画では、生着替えをしていた。

過激さとは冷凍された魅力を解凍することとは違う。一度全裸をみたあとに水着に着替える姿をみて、それに性的な過激さをみることはふつうにいって難しい。難しくない場合もあるが、それは心がつながっているときだけだ。それは特別な関係が特別なときにだけ作れるものだろう。

心のどこかで、その「元セクシー女優」に成功してほしいと思っていた。同時に、このままそっと消えて過去のないふつうの女の子になってほしいともおもっていた。Youtubeの再生数は健闘していたが、有名ユーチューバーの道はまだ遠そうだった。

どちらでもその未来があるなら、彼女の幸福をぼくは祈り続けるだろう。


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