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前に進んだ道、後ろに戻ってまた前に進む道であるところの原稿

ワナビーだったころ(今でもか)、ある作家さんから「書いてみないとわからないから、書くことなくてもとにかく書くんだ」と言われたことがある。小説家を目指す人の間では有名だと思うが、この「とにかく・とりあえず書く」タイプの小説家はパンツァーと呼ばれて挫折する傾向がとても強い。

 挫折しやすかろうがなんだろうが、書いてみないとわからないことというの多い。AIや自動記述の類がたまに小説賞の選考を通るのはそれが出力されたカタチだからだ。ただ頭のなかにあるカタチと、出せるカタチが同じとは限らず、頭の中のアイデアよりも実体化した原稿のほうが優れているのはよくあることだ。

 というわけで今日一日延々と書き続けていたのだが、それでもなんだか満足感がない。「あ、これは大きく手直ししてほとんど使い物にならなくなるな?」という直感と結びついている。

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 舗道を考えてみればいい。もう10キロメートルほど舗装してしまった道路を、8キロ進んだ時点で「間違えた」と気づく悪夢を想像してほしい。そこから舗装を剥がして元通りにし、さらにもって延々と同じように舗装し続けないとならないのだ。

 とはいえ、その舗装したという経験のような、つまり生まれなかった子供のような、文章にならなかった思いのようなものは残る。

その残ったものを信じて書くか、書かないかは、自分で決めてよいのである。だがこれはもうだめだ、という場面もよくあるのが困ったところで、その困ったハテに行き着いたのが

もう寝る、という解決であった(完)

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