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「行けたら行く」を誠実に伝えたい!

日本人が思う信頼できない言葉ランキング――いったいどこの暇人がそんなバカなことを調べたんだ?――というのがあって、それによると「行けたら行く」というのはもっとも信頼できない言葉なのだという

つまり「ほとんど行く気はない」と同義だというのだ。

それなら最初から「行かない」とか「いきたいけど難しい」とか言えばよいのに、いつのまにか「行けたら行く」が定着してしまった。でもこれは「おはよう」とか「こんばんは」みたいな儀礼が固まって無意味になってしまった挨拶とは全然違う中身あふれる言葉だろ。

「行けたら行く」には複雑な含意がある。それは「いかない気はない」し、「行こうという気持ちもある」でも「心は動かされていない」。「そもそも多忙だし優先順位は高くない」けど「優先順位もクソも他に用事はない」。それに「金とる?」も含まれる。

今なくなってしまったが、Facebookにはちょっと前までイベントに「未定」という項目があった「行く」「行かない」「未定」だったか「参加」「不参加」「未定」だったか記憶にないけれど、あるイベントの主催者が「未定」の人達の分までフードを頼んだに来なかった奴らは金を払えといって騒ぎになったことがあった。

「行けたら行く」=「未定」。これはこういうトラブルの元である。それでも「行けたら行く」を僕らがふつーに使うのは、やはり行こうという気持ちがあるからだろう。「行かない」がベースにあってすごく巨大なやる気の壁を越えてようやっと「行く」というのとはまた違う。

僕は「行けたら行く」をもっと誠実につかいたい。そういう表現がほしい。行きたくないの婉曲表現ではなく、興味はあるけれど積極的な動機が無い、ということを言い表したい。それは「未定」ではない「興味あり」でもない。まさに興味がなくても行くかもしれないからだ。演劇の当日券のような無謀。飛び込みの飛行機に乗り込むような無計画すら「行けたら行く」は含んでいる。

悪い表現じゃ無い。そうじゃないか。もっと信頼を置くべきだ。「行けたら行く」をもっと誠実に遣うべきだ。手を取り、瞳を見据え、真剣な表情で言うのだ。

「行けたら行く」

でも当日行けなくても責めないでね。って内心。




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