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ダイエットと厳粛

クミンダイエットにハマっている。

一日3グラムのクミンをヨーグルトに混ぜて食べると痩せるのだそうである。お手軽だが、3グラムのクミンというのはなかなかの破壊力があり、いれてもいれても1グラムぐらいしかない。テーブルに備え付けるタイプの160円ぐらいのやつで12グラムぐらいなので、推して知るべし。

とはいっても、本気でクミンを飲むと痩せると信じているわけではない。クミンダイエットをしている、ということで、自分を慰めているのだ。

しかしそれは女子にとって危険思想であるらしかった。

女子。女子によると、そのような覚悟でダイエットをしないでほしいとのことである。「英語学習とかとは違うのですから」と、僕は奢るとも一緒に飲もうとも言った記憶のないコーヒーを飲むその女性に言われた。

ダイエットというのは、厳粛なことなのであるそうだ。というよりも、ダイエットに厳粛さを求めることで人はようやく人の形を保っているのだという。分からないけれど、分かろうと努力はした。おそらくこういうことだ。

ダイエットを気軽な気持ちでやっても基本的に痩せることは無い。無理をしてでも痩せないと鳴らないときには、ダイエットをするという覚悟が必要だ。従って、その角度を荘厳なものにするための決意も必要であり、気軽にできる「クミンダイエット」などダイエットにならないというわけである。

腹痛とクミンダイエットの関わりについて閑話が挿入される

昨日、激辛のラーメンを食べた。そのせいで夜中にひどい、というかすさまじい腹痛に襲われ、まったく眠れなかった。そのツケは翌朝にきた。朝からだは動かず、数歩歩いただけで体が悲鳴をあげた。

僕は、無理に辛い物を食べるべきでは無い、と思い当たった。その日の仕事は苛烈を極めた。長時間労働ではなかったが、激務ではあった。さらにその後にもっとすごい激務がおそってくることはわかりきっていた。無理をしなければならなかった。


そんな無理をたくさん重ねながら、キレイでかわいい「女子」でいることが、ある種のエリート的意識をもつ女性達のプライドなのだが(それは否定しないと思う)、そうしたプライドを保つためのマルチタスクに女子が払う犠牲は少なくないものであり、女子がママになり伯母になり管理職になっていくとその犠牲は指数関数的に増加して女子の形を保っていられなくなる。

この世界ではそうした犠牲を払った人に対して基本的に冷たい、というのは感じる。むつかしいのはそこからで、ではそういう人に「キレイですね」というのはお世辞に過ぎず「努力してますね」というのは皮肉になる。「キレイでいるために努力を惜しまず犠牲を払いながらも輝いていますね」というのを完全に傷つけない表現かつ唐突で当人及び周囲にもコントロールできないヒステリー(これははっきりした差別語であるが)を起こさないようにオブラートに包んで表現する必要がある、場合がある。

いまはそのような場合〔ケース〕であり、その前提条件が「クミン3グラム食ってダイエットとかいうな」なのである。なぜかよくわからないが、たぶんその「ダイエット」は彼女たちの「犠牲」にまつわる部分に関わるデリケート名問題なのだろう。

「じゃあどうしろというのですか」と僕はきいた。

「黙ってダイエットしろ」

僕は完全にその通りだと思った。仕事が忙しいだの、疲れがたまってるだの、持ち帰りで1834万字(!!!)の原稿校正をするだのといっておきながら「クミン食べると痩せるみたいだから、それでダイエットしよっておもってる」とか言ってる男はマジで死ぬべきだと思う。理由はわからないがマジで死ぬべき怒りを感じられてしかるべきだ。

目の前でウインナーコーヒーに砂糖をぶち込んで飲んでいる女子に、「ダイエットとかには興味はないのですか?」と丁寧語で聞いた。彼女は「すごくある。なんどもやった。でもうまくいかなかった」と答えた。「ああ」と僕はいう。

彼女は「アメリカ南部の小説が好きなの。『アブロサム! アブロサム!』を書いたフォークナーのようなね」という。「フォークナーのような絶望を描く作家が好きなの。青春や暴力の洪水とレイプ、ドラッグ、その絶望と果てね。村上龍のもっとリアルなやつ」

リアル、という言葉を二回言った。

「リアルさを知って、そういうレイプされる小説には、太った女は出てこないの。それってけっこう傷つくのよ」

彼女がなんでそんな嘘をつくのかわからなかった。僕が逆噴射先生だったら「レイプ・・・・・・ドラッグ・・・・・・3ページ目でつかうとあとがもたないからヤメておくといい。メキシコでは当たり前に起こりすぎてレイプ哲学を椅子に教えようとしているおまえは二回殺されている」とかなんとかいいそうだった。

というか、僕にはなにがなんだかわからなかった。僕もそういう、南部ヒッピー文化を描いたアメリカの小説家で、好きな作品があった。書名も作家名も忘れた。

ウインナーコーヒーを飲むと女子はさっと店を出て行った。僕には山のような仕事があり、家に帰ってクミンを飲まなければならなかった。彼女はまたぼくと話して深く傷つけられたのかもしれない、と思った。たたたさんは人を傷つける天才なのであり、そのような才能に恵まれたものは自分が傷つかぬように・・・・・・家でこそこそダイエットをするべきだからだ。




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