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歩きながら酎ハイ飲みたい気持ち

誕生日を迎えてしまった。出来る事なら迎えたくなかった。

いつからか、誕生日は祝福ではなくて老いの象徴に変わってしまった。

いつからか、と気取っていったけど、というよりそもそも最初から一才ずつ年を取るイベントだから、誕生日の本質は祝福ではなく老いだったはずだ

今日は、いろいろな「もやぁ」っとすることがあった。帰り道にどうしようもなく串カツが食べたくなり、「串カツ でんがな」で串カツを食べたりした。

「串カツ でんがな」の串カツは、黄金色の串カツで粉がしっかりついており大変美味しかった。バッター液が濃厚、で、しかもふわっとしている。美味しかった。3000円分も飲んで食べた。

串カツを食べて帰り道に酎ハイを飲みながら歩き、そういえば「歩きながらお酒を飲む」ということを今までしたことがなかったな、と思い至る。歩きながらお酒をのむおじさんのことを軽蔑していたけれど、そうした侮蔑は止めるべきだ、と思った。

悪くない。



お酒を飲みながら帰ると、考え事をしなくなる。ふわーと脳内が軽くなり、徒歩の道中は思考ではなく夢が浮かぶ。

夢。好きな人達と好きなことだけをして生きる夢であり、何もしなくても世界が救われる夢であり、何かしたらみんなから感謝される夢であり、ブタも空を飛ぶ夢だ。

妄想ともいうかもしれない。

それだけ、人は歩くと無駄なことで思い悩んでしまうのだ。

逆に「歩きながらお酒飲んでるガール」はほとんど見たことがない。もしかしたら居ないのかもしれない。

歩きながらお酒を飲む女子が居ないのは、単純に危険だからかもしれないし、複雑にお酒に弱いからかもしれないし、お酒を飲みながら歩くのがはしたないからかもしれない。

あるいは、世の中には相当な割合でお酒飲みながら歩くガールがいるのかもしれない。僕が知らないだけかも?

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ちなみにいうと、表紙画像に釣られて読み始めた君は「サイテー」なやつだろうと思う。だが、表紙画像で釣った俺も「サイテー」であろう。仲良くやろうぜ。




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