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すぐ「大丈夫」って言う奴はたぶん脳筋

優しさには二つの意味があると思う。

ひとつめは態度。優しい仕草や声音やふれあい方で、たぶん、普通に「やさしい」っていう時はこういうのを指すと思う。深夜3時に電話かけても応答してくれる人は優しい。寝てるときに過呼吸になって救急車呼んでくれる人はやさしい。

もうひとつの意味は、説明が難しい。優しくされたい人に本当に優しくしてしまう人、とでもいうべきだろうか。自殺したい人を助けてしまったあとに、生きていればいいことある! みたいなことをいう奴だろうか。悪い奴ではない。優しい奴である。だけど、残酷だ。

残酷・・・・・・といって、それも違うなと思った。しばらく考えて「脳筋」だ。ではダメかと思った。脳みそまで筋肉で出来ている天然ぼけの無知性を指すけれど、これでも一応あてはまるだろう。

敏感すぎる人の話

HSPというやつがある。Highly sensitive personという。感度が高すぎるAV女優とかではなく、敏感すぎてすぐ傷つく人のことをいう。HSPは難しい。生得的でないとHSPになれないと厳格なるHSP主義者はいうけれど、仕事を一日休んだことで電車に乗れなくなってしまう人もいるし、心を休ませるためにクレジットカードで毎月150万円使わないと死ぬ人もいる。

変な例ばっかりだな。

妖怪きのこ(井口可奈)(以下きのこと呼ぶ。敬称を略するのは紙幅の都合である)という小説家の見習いがいる。二度ほど寄稿を依頼したことがあって、文章が上手で笑いをとるのがそこそこ上手くて、小説家になりたがっていた。僕は寄稿してもらった原稿をすばらしいと思ったけれど、別の、きのこと長い付き合いの編集者が「全然だめ。彼女の魅力はそこじゃない」といった話をしていて、いったい何が魅力なのだろうと思い続けているが、よくわからない。

で、きのこ氏がブログをやっていた。「うどんこ」という。とても面白かった。自虐的に、しかし深刻な状態であることがはっきりと分かるブログで、これがきのこの自然体の文なのかととても感心した。そのなかに一瞬だけHSPの話がでてくるのだけれど、その部分を少し引用しようと思う。怒られるかもしれないが、イザとなったら引用の自由をしるした著作権法が僕を守ってくれるはずだ。

ちょっと前に親がHSPというものの本を送ってきた。繊細で敏感で生きづらいひと、あなたはHSPなんですよ、だいじょうぶ、という本だった。
わたしがHSPかどうかはわからないが、その本の表紙や目次を見て、あーーーこれすごいめっちゃ当てはまるけど、わたしのような心のしっかりしていないだけのクズ人間が、このような繊細で敏感などということばを使って、クズの部分を美化して美化することはできないのです、と思った。


つらいときにがんばれっていう人

つらい時に無責任に「がんばれ」と言われることほどつらいことはない、と思う。がんばれという暇があったら3000円渡して一緒に宝くじ売り場に向かってほしい。

苦しいときに無責任に「だいじょうぶ」といわれることほど苦しいことはない。大丈夫とか言ってくる暇があったら下にある「サポート」から5000円ぶっ込むか、一緒にスプラトゥーンで遊んで欲しい。

とくに「だいじょうぶ」は最強の破壊力をもっている「モウマンタイ(無問題)」とか「ドンウォーリー」とか言ってくれたほうがずっと優しいと思う。でもなぜ人はすぐに大丈夫大丈夫大丈夫だがんばれがんばれ絶対できるがんばれがんばれ教に入信してしまうのだろうか。理由は二つある。

1.大丈夫がんばれコールはコストが低い。

言うだけならタダである。応援とは、相手に対して自分の身を切らないで、一応将来なにかあったときのための保険になるかもしれないから励ましておこう、といった打算が可能な仕草だ。打算じゃなくても、自分に痛みはこない。

2.学校でそう習う。

主に部活でそういう観念を植え付けられるらしい。僕は学校にちゃんといったことがないのでわからないけど。

本当の優しさを求めたい。

HSPの話に少し戻る。敏感すぎる人は、がんばれコールにある「打算」と「ノーリスク」であることを上手く受け止められない傾向がある。右から左に聞き流しておけばいいことを聞き流せないのは、世界の大体のことが自分に関係している\関係しているかもしれないという強迫観念によるものだ。

関係してもどうでもいい、とか、関係してないからどうでもいい、と思うことが難しい人にとって、「だいじょうぶ」の洪水は親切ではなくてザ・ワールドで食らうナイフ攻撃、あるいはネオ・グランゾンの縮退砲(初代)のように心身をむしばんでいくものだ。

まあ、とにかく蝕んでいくものだ。だいじょうぶといっても言わなくても疲れる。面倒くさいやつだね! と、その面倒くささに当人が一番傷つくのが、敏感すぎる人の悲しい特徴である。だからそっとしておいて欲しい。

しかし、ごくまれに自己中心ハリネズミ現象を越えて敏感さの尊厳を傷つけられることなく、「やさしさ」を与えられる人がいる。そういう人にずっと昔にあったことがあり、そのときに「なんて優しい人なんだろう」と思ったはずなのに、何をされたのかがまったく思い出せない。

まったく思い出せないのだ。あんなに優しくされたのに。してもらったのに。









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