細めた世界が映す景色と悔恨
6/2、ライブがあった。
雨の日のゲレロンステージ。
自身を持って袖からとび足したはずだ。
なのにどうしてまだ
舞台で緊張すると、目を細めるクセが抜けない?
学生時代に夏休みの宿題だった作文で受賞し
公民館で各校の父兄の方達の前で地球温暖化について発表した時も
大学時代の同期回路の周波数最適化に関する研究発表も
どれも堂々と出来ていたはずだ
多少表情に強張りがあっただろうが、少なくともハッキリと
僕に倣う生徒達や論文を片手に傍聴する
研究生らと教授の景色が瞳に写っていたはずだ
なのに何故漫才だと目が細まる…
何故、うっすらとしか客席を見渡せないんだ…
初見のお客さんには「あいつ、コンタクトを落としてるんか?」
と思われているだろう。
悔しい。まだ裸眼でも生活できるのに。
思い出せ。十代を。
公民館でのスピーチも研究発表も漫才も本質は変わらないじゃないか。
人の情動に訴えかける。
得意分野だったはずだろ。
次のライブこそ、真の意味で。
目を瞠る漫才をしよう。
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