恐怖

恥ずかしくてあまり言わなかったんだけどもずっと死ぬことが怖かった。怖くて怖くて仕方がなくて、人間はみんな死ぬのになぜ生むんだ、死ぬことがこんなにも恐怖なのになぜ産み落としてしまったんだ、こんなに怖いなら事故とかで死ぬ前に自分で決意して死んだ方がマシだと思っていた。単純に生きづらくて死にたいが口癖になってた部分もあったけどもこれも大きかった。不安障害で外に出ることは勿論家にいても恐怖に怯えていて全てが怖くて、恐怖で身体がすくんで動けなくて、だから死にたかった時期があった。

今回DXMでトリップして、生きているのか死んでいるのか分からないような空間に数時間飛んだ。ここ最近死ぬことに関してずっと考えていたからそれに影響されたのかもしれない。あ、私死んだな、これ死んでるんだな、2度と現実世界に戻れないんだなって思った。そこの空間は恐怖があったけど安心感もあって、このまま死んでもいいなとも思った。でも死にたくない気持ちが勝ってしまった。戻ってきてしまった。

臨死体験って言うのが一番手っ取り早いのかな、厳密には違うだろうけど。それを体験して、少しだけ生きることが楽になった気がする、少しだけ。私まだ死にたくないなって思った。

死ぬことへの恐怖が薄れたことによって、死にたい気持ちが少なくなった。私にとって死にたいと思う気持ちと死ぬことへの恐怖は比例しているのかもしれない。

これは私にとっての進歩だ。

話は変わるけれど、この世にはあまり死にたいって思ったことがない人が存在しているらしい。私にとっては天然記念物みたいなものだけど、もしかしてその人たちは死ぬことが怖くないのかと思った。というよりはそもそも死ぬことに関して私達みたいにずっと考えてないんたろうな。それが良いことかどうかは分からない。正しさなんてものは無い。生きやすさという面では絶対にその方がいいだろう。私は今ではそうなろうとは思わないけれど、そうなれる環境であればそっち側になりたかったし、そっち側の人間が羨ましい。今ではそうなろうと思わない、というのは無意識にこっち側の人間の方が偉いと思ってるからだ。これは私の傲慢なところ。あっち側のせいぜい2〜3歳上の人たちの話を聞いてると私より何も考えてない気がする。その人たちに私は疎まれるというか好かれない傾向があるので込み入った話が出来ないし真実は分からないけど。頭ごなしにバカにするのは良くない、やめよう、人それぞれだ。いやでもバカな動画とか投稿してる人はバカだな。

このまま特に何も出来ないまま、人の記憶に薄っすらとしか残らないまま、あまり人に好かれたことがないまま死ぬのは嫌なので、頑張って生きようと思います。負の感情は伝染しやすいし言霊ってものも強いと思うので死にたいとはあまり言わないようにします。死にたいって言いすぎて色んな人に呆れられて、見放されたし。私のアイデンティティって何なんだろうね、見放された人には面白みのないメンヘラって言われたよ。何も出来ないし平凡すぎるからせめて精神だけはおかしくなりかったけど、おかしくなりたいと思って行動すればするほど平凡になっていってしまった。非凡になることを諦めます。もうどうでもいいや。



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