20200113「『好きを仕事にする』か『仕事を好きになる』か」

就職活動の超・超・超初期段階で、何故か「好きなことを仕事にするか否か」について周囲の友人らと真剣に議論する機会があって、何の根拠もなしに私は「好きは仕事にしない」と結論付けた。
いや出来るならしなよ。
今ならばそう言いたい。

「好きなことを仕事にしてつらくなり、嫌いになりたくないから」とか「仕事は楽しいだけじゃないから」とか、尤もらしい理由を並べ立てていたような気がするけれど、好きなことが仕事に出来るならそれに越したことはない、と社会人〇年目になって思う。まだまだ社会人キャリア前半も良いところだけれど、新人ではなくなってきた頃合いなので、あながち間違いではないと思っている。

だって考えてみてほしい、あの頃の私よ。
お前は特殊能力があるわけでもないから大人しくサラリーマンになろうとしていて、となると週5日は働くわけで、しかも残業もあるかもしれない。
一体これからの人生、どれだけの時間を仕事に捧げるのだとお思いで?

自分で言うなという話であるが、比較的真面目かつ単純な思考回路であるので、「資本主義の日本で生きていくにはお金が要る。従って働く。金の対価分はきちんと働く」と思っていて、だからこそお金を貰う以上好きだろうが嫌いだろうが興味あろうがなかろうが真面目に働くとは思うのだけれど。

「好き」の何が強いって、「興味を持って取り組める」ことである。
お金のためなので興味がなくとも働けるが、本当に微塵も興味がわかなければ結構しんどい。

何の記事だったか覚えていなくて大変恐縮なんですが、マラソン選手の川内優輝さんが、市民ランナーからプロへ転向したことについて、好きなことを仕事に出来て嬉しい、というようなことを仰っていて。
そうだよなあ、と。
マラソンランナーなのだから、練習は当然厳しい。仮に本当に走ることが大好きでどんなにしんどい練習でも楽しくて仕方がなくてつらくないのだとしても、「身体は疲れる」のだろう。
それでも、好きなことを出来る、それはどんなに身体的にきつくても、所謂よく見かける「仕事つらい」の状態とは違うのだと思う。

では、「好きは仕事にしない」と学生時代に結論付けた私が果たして今はどうしているのかというと。
私は「仕事を好きになれる」タイプの人間だった。
「バリバリ働きたい!」「仕事大好き!」「仕事にやりがいを感じる!」というタイプではない。何故ならうっかり多趣味なために「ワークライフバランスは何よりも大切にしたい」タイプ。
「一人暮らしなら早く帰っても暇だろう?飲みに行くぞ」とかいう上司のことは来世まで呪いたい。私に暇という概念はない。
ただ、「責任が発生して経済を回す歯車のひとりとして働くこと」を、面白いと思える人間だったようだ。また、自分が担当する範囲のことに興味も持てる。

正直な話、私の就職活動の軸は、「社会の役に立てる仕事」だった。なので、今の業界に学生の頃に興味を持っていたかというと、答えは「否」である。それも、結構ひどい方。
入社してから現場へ配属になって、たくさん業務知識を身に着けていくうちに、この業界に興味が沸いた。所謂、「〇〇オタ」と言われるようなファンの人たちほどではないにしろ、世間一般の人たちよりは詳しくなったし興味もある。
興味のあり・なしで、知識の吸収の度合いが全然違ってくるし、しんどい時に頑張れる。

そう、好きでも興味でもないことでも仕事であればやるけれど、しんどい時にとてもじゃないが乗り越えられないのではないかと思う。
めちゃくちゃ残業しなきゃならない時とか。
どうしても自分の気持ち的には納得がいかないけれど、会社としてそちらに回らなければならない時とか。

もちろんとんでもなく理不尽な目にあったとか、ハラスメントを受けたとか、そういうのは興味のあり・なしでどうにか出来ることではないけれど、仕事をしていく上である程度発生するしんどさは、好き・嫌い、興味あり・なしで大きく変わるように思う。

とはいえ「好きなこと」を仕事に出来るかどうかはまた別の話で。
可能ならした方がいいと思うけれども。
出来ないならばせめて「興味関心を少しでも持てること」を仕事にした方が、人生の時間が豊かになるような気はしている。

割り切ってアフター5を全力で楽しむ友人もたくさんいるのでこれはあくまで私個人の意見ですが。
この業界に微塵も興味が持てないと言っている同僚が、仕事がしんどい時は本当に心がしんどそうなので。
せめて「仕事を好きになれる」タイプで助かったなあと思っている。

こだまは東北新幹線だと思っていた人間が、今や一応新幹線の列車名・車種くらいは言えるようになったし全国の観光列車に乗りに行くくらいには好きになったのだから本当に良かった!
通勤電車には未だ興味はありません!

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