妄想言語学
専門家から見ると「アホちゃうか」と思われることを書こうとしている。
「ワンチャン」ということばがある。
何度書いても「ワンちゃん」というのが出てくる🐾
例文はワカモノでないのですぐに出てこないけれど、もののネットによると、「もしかしたら~かもしれない」というときに使うとある。下のサイトでは、
上の引用の例文の場合、「もしかしたらランチに行けるかもしれない」「もしかしたら勝てるかもしれない」ということを言っている。
この場合、「~かもしれない」の部分が「ワンチャン」に置き換わり、文の前に置かれたと考えることもできなくはない。
……というような妄想を、『いい加減な日本語』で書いた。書いたんかい。
このような現象を「変化」と捉えることができるかどうかは、これからの日本語の動向を見ていかないと何も言えないけれど、あえてそれを「変化」と捉えて次のように図示してみよう。
文+かもしれない
↓
ワンチャン+文
「ワンチャン」ユーザーが、「かもしれない」をどれくらい使用するのか、誰か卒論でテーマにして報告してください。
なんで、すでに公刊したことをわざわざここで紹介したかというと、もう一つ同じような表現に出くわしたからである。
先日、道に迷っている風の二人がいて、次のような会話が耳に入ってきた。
「この道で合ってる?」
「う~ん、わかんない。一回、ここで曲がろう」
おお。「一回」とな!?
なんとこの日はもう一度、同じような使い方をする「一回」に出くわした。
それがうまいこと思い出せないのだが、要するにこの「一回」が気になったのである。
この文の発話者は、何回か曲がったら目的地に着けるので、とりあえず曲がってみようと言っているのではない。この人が言っていることは、「着けるかどうか分からんけれど、なんせ曲がってみよう」ということである
よくよく考えてみると、学生達の会話の中に、たしかにこの手の「一回」は出てきていて、
「ちょっと待って。一回落ち着こう」
とか、
「一回休憩しよう」
とか言っている気がする。
何回落ち着いたらいいのか、何回休憩するつもりなのか、とかいうような「回数」を問題にするような表現ではない。
この「一回」は、「とにかく(なんせ)~てみよう」とパラフレーズできると思われる。
回数を数えているのではないところが、辞書の記述とは違っている。
(あえて辞書は引用しておりません。また図書館で調べて報告します)
そうすると、先ほどと同じ図式で、
~てみよう:文+てみよう(ここで曲がってみよう)
一回+文よう(一回ここで曲がろう)
というようになる。
共通点があることにお気づきだろうか。
「ワンチャン」も「一回」も、この要素をαとして、もとの助動詞をβ、文をSとすると、
Sβ→αS
という「変化」として捉えられるのだ。
という妄想。メモとして。
これらが本当にそのような「変化」として捉えられるのか、この「変化」がどれくらいの一般性を持っているのかなどは、もっともっといろんなことを調べて考えないと何も言えない。
単なる思いつき
妄想言語学
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