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レポートは何を書くのでしょ?

レポートの季節がやってきた。最近の大学は、あまり試験をしない。どちらかというと、レポートなり作品なりを各自製作して、その学期の学びの成果を評価されることが多いのだと思う。以下の文章を読むと、「あかんレポート」がどんなもんかが分かります。その結果、少なくとも最低限の地雷を踏まないレポートができあがることでしょう。

で、レポートって何書くの? 何書いていいか分からん。
ごもっとも。

レポートが、「その学期の学びの成果を評価」してもらうために書くものであることを理解していれば、次のようなレポートを書くことはなくなるかも。

1.めちゃ短いレポート
2.ネットの記事を切って貼っただけのレポート

結構な長さの授業を受けて、そこでの「学び」がA4一枚に収まるなら、あなたの得たものは、なかなかに「薄い」。そのレポートは、「私の得たものが「薄い」ものであった」ことを伝えるだけのものになるだろう。2.の場合は、切って貼っただけで、そもそも「あなた」がそこにいない。いない人の「学び」は評価できない。

ここをクリアした場合、次に問題になるのは「学び」とは何か? ということである。「学び」とは、「知識を得た」ということとは、違う。「学び」とは「得た知識をもとにして、あなたが能動的に為した何か」の結果、あなたが得たもののことである。「能動的に」行うのであるから、他の人と同じものであるはずがない。したがって、レポートは、

3.他の人が書いても同じものが書けるようなレポート

であるはずがない。
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要するにレポートは、「あなたが授業で得た「学び」について報告する」というものである。振り出しに戻る。

とはいっても、今度はこのような問題に直面する。

「どうやって?」

つまり、レポートの体裁はどのように整えればいいのか? ということである。

僕の授業では、レポートは基本的に小さな論文だと思って書くように言っている。論文の体裁は、様々な書籍で解説されているので詳しくはそれらにあたるとよいと思うが、おおよそ次のような流れになる。

1.はじめに
2.先行研究
3.調査結果の報告と分析
4.考察
5.結論と今後の課題
6.参考文献

たとえば、「この授業で取り上げたトピックの中から好きなものを選んでレポートせよ」という、めちゃめちゃありがちな課題を考えてみよう。

まず、その授業で取り上げられたトピックを1つ選ぶ。授業でテキストが使われていた場合には、そこを読み直す。

ここで、多くの学生がやってしまうレポートのミスは、

4.読んだものが一個だけのレポート

というものである。

おおよそ、扱われているトピックには複数の主張が存在する。授業で扱われたのは、担当の先生が拠って立つ側からの内容であったかもしれない。実はその先生の採った説は少数派で、一般的にはまったく別の学説が幅をきかせているかもしれない。

そうではなくても、何らかの意見を聞いて、それが全てだと思うのはナイーブな姿勢である。こっちの人はこう言ってるけど、ほんまかいな? と、疑ってみて、別の意見はないやろか? と探してみるべきである。ちなみにこの姿勢は、日常生活のありとあらゆるところに求められる。テレビで言っていることは本当かどうか、他のメディアや新聞記事を探して、できれば海外の文献などにもあたって、そのトピックについて、何が問題になっているかを把握するべきである。この姿勢を「批判的」という。巷間で言われる「批判するな」というのは、すなわち「バカでいろ」ということである。

複数の文献なり資料に当たらなければならないので、このような作業をすれば当然、文献が一つだけということはあり得ない。

このような作業を行った結果、あなたは何らかの疑問を見つけることになる。あるいは、その疑問はレポートを書く活動の最初から持っていたものかもしれない。いずれにしても、レポートを書くためには、疑問を持つことが必要である。

さて、ここまでやって、あなたが知りたかった疑問は解決しただろうか? 解決した場合、残念ながらあなたはレポートのトピックの変更を余儀なくされる。よく、「今回、文献を調べたらこんなことが分かった」ちゃんちゃん、というレポートが提出されるが、この段階ではまだ、上に書いたような「学び」に到達していない。授業で得たよりちょっと多めに知識が増えただけである。

ちなみに、あなたが知りたかった疑問が、100%解決するというようなことが、上記活動によってあり得るかというと、そこはよく考えてほしいと思う。おそらく、あなたの疑問は、それほど浅くはないのではないかと思う。

ということで、そのあなたの疑問を解決するべく、実際にデータを収集することになる。「あなたの疑問は何か?」「それを解決するためにはどのようなデータを手に入れる必要があるか?」を考えながら、調査の方法を検討しよう。調査の方法は、専門分野によって様々な方法が開発されている。これは授業で教えてもらったり、自分で勉強したりしてほしい。

データが集まったら、それを分析する。分析とは、得た生のデータを表やグラフにしたりして、そこに見えている「事実」を洗い出す作業である。「1990年代と2000年代とを比べると、若者のことばには~~~という変化があることが、グラフから読み取れる」「50年前にはこのような発言をした政治家は即刻辞任したケースが●●件。一方現代では云々」などである。

これらが、あなたが能動的に行った調査から見えてきたものである。ちなみに、私見ではあるが、レポートではこの部分の調査はそれほど大規模なものである必要はない。将来卒業論文のために、ネタを見つけるための小さな予備的なものでもいいと思う。いずれにしても、何らかの、あなた自身が行った活動が必要である。これがないと、オリジナリティが担保できない。

分析から得られるのは「事実」である。その事実が、なぜ起こっているのか、考えることを「考察」という。ここでは、あなたはあなたの意見を述べることになる。「現代の若者の傾向ととして~~ということがある。このことが若者ことばのあり方に影響を与えているのではないか」とか。

「考察」というのは、要するに自分の「意見」である。そう考えると、レポートは「意見文」である。しかし、一般的な「意見文」との決定的な違いは、その意見を言うために、あなたは調査から得た、客観的な「事実」を根拠にしているということである。

大学に入っても、「たばこの是非」とか「銃規制の是非」についてあなたは賛成か反対か、みたいな作文を書くことがあるかもしれない。それを、家に帰っていろいろ調べて書くならよいのだが、授業の間に書かされるのは、百害あって一利なしである。なぜなら、その場で何の資料も収集せずに、客観的な事実に基づくことなく、自分の主観を書き並べることを訓練することは、思いつきで行動する癖をつけることになるからである。

以上、なんとなくレポートの季節かなと思って書いてみた。
みなさん、よいレポートを。

あ。

最後に。「レポートは何枚ですか?」という質問が来ることがある。
答え。

「大学生として、大学の授業で課された課題として相応しい分量と質を、各自考えて作成してください」



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