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中華料理屋の店主に怒られる

先日、こんなことを書いた。お店に文句を言うときは、またその店に来たい時である。もう二度と行かないと思ったときには、静かに黙って消えましょうと。

前言撤回するわけではないが、もう二度と行かないと思った店があり、その対応はどうなんだ? と思ったので、この、やるかたなき憤懣を、書き留めておこうと思う。

コロナの中、店で食事をするのはまだまだ躊躇されるので、外食は控えている。しかし、何か食べないと腹は減るので、基本的にテイクアウトを利用して、研究室で食べている。

その日は、ある中華料理屋のランチを食べたくなった。そこである店を思い出した。個人商店で、日替わりランチがあって、コロナの前は二週間に一度くらい訪れていた店である。
店主は寡黙な方で、僕はもう何度も訪れているので、顔も認識はされているだろうと思うのだが、特に気さくに話しかけてくることもなく、ずっと一見さん的な扱いであった。

この店がテイクアウトをやっていることを知ったのは、仕事が遅くなって晩ご飯をどこで食べようかと悩んで、ダメ元で電話したときである。

「すみません。テイクアウトってやってますか?」
「あ、やってますよ。何時頃に取りに来られますか?」
「30分後くらいでできますか?」
「大丈夫ですよ」

いたって一般的な、テイクアウトを注文する客と店の会話である。何度も訪れている店なので、味に文句はない。その後も、一ヶ月に一度くらいは、電話をしてテイクアウトをしていた。

それで先日。11時45分くらいだったか、電話をした。

「prrrrrr, prrrrrr, prrrrr,………」
何度か呼び出し音が鳴るが出ない。昼時には早いと思ったが、もう繁盛しているのかもしれない。諦めて切ろうとしたときに、応答があった。

「はい。」

不機嫌そうな店主の声が電話口から聞こえてきた。
ちなみに、私は研究室にこの店のチラシを持っている。そこにはランチのテイクアウトについては、できるともできないとも書いていない。聞いてみないと分からない。

「あ、ランチのテイクアウトはできますか?」
「できません。いま、忙しいです!(怒)」

けんもほろろとはこのことである。
「忙しいんです」ではなく、「忙しいです」。
文法学者として分析すると、「んです」を使わずに「忙しいです」と言い切ることで、自分の意見ではなく、状況のみを描写し、そのことによって、相手(私)の望みを受け入れる用意が一切ないことを伝えている。しかも、店主の声は明らかに怒気を含んでいる。

客として、店主に怒られたのだ。
その瞬間は、あまりの衝撃に、
「あ、すみません。わかりました」
と言って、電話を切った。

考えてみれば、「怒られる」という経験自体、最後にしたのはいつだろう? 「怒る」ことはままあっても、「怒られる」という経験を、この歳でするとは思ってもみなかったことである。ちなみに、「怒る」「叱る」ということはしてはいけないね。このことについてはまた書く用意があるので乞うご期待。

その後、ショックは静かな悔しさへと変わり、時間をかけて渦巻く、じめじめした怒りへと醸成された。

ものには言い方というものがある。テイクアウトができないなら、
「すみませ~ん。いまちょっと忙しくて、できなさそうなんですぅ」
とでも言ってくれれば、
「あ、そうですか~。すみません。ではまた次回に」
とでもなって、平和な会話で終われたと思う。

しかし、店主は、自分のその場での怒りを、何の加工も施すことなく、こちらに直接投げつけた。

店が忙しかったのはなぜか? それは、客がいたからである。客に忙しくしてもらっているのである。ところで、電話をした私は潜在的な客である。この店主は、同じ客であるところの人間に、片方で恩恵を受けながら、もう片方でその客を蔑ろに扱ったのである。

もう10年以上前から、比較的通った店だったので、店主がやや気難しそうな人間であることはなんとなく見えていた。しかし、ここまでとは思わなかった。自分の機嫌によって、態度を変える、あるいは暇な時には愛想良くへいこらしながら、忙しくなったら横柄に振る舞うという、そのことが僕には生理的に受け入れられない。

よくSNSの口コミで、「二度と行かない」という文言を目にする。この言葉遣いはあまり好きではないのだが、今回ばかりは、この言葉を使って店を罵りたくなる人の気分が理解できる。

周りに店が多くない田舎のこととて、非常に残念ではあるが、その店に行くことは、もう二度とない。

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