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みんなが疲れていてピリピリしている社会

先日、といっても春先くらいだったか、まだ涼しいか寒いかくらいの頃のこと、用事があって新幹線で京都駅に降り立った。京都駅は、新幹線は南側の八条口側に到着し、開けているのは北側の塩小路通り側である。在来線のコンコースを抜けて北側へ出ようと思い立ち、JR乗り換え改札に切符を入れた。

きんこーん

止められた。
買っていた切符が、京都駅までだったからであろう。しかし、向こうへ抜けるだけなので、京都駅で降りることは間違いなく、そこまでの切符なのだから、向こうの改札まで行かせてくれるであろうと思い、改札にいた駅員さんに、その旨を伝えて切符を見せた。

すると、その駅員さんは、おそろしく無愛想に、

「ここは乗り換え改札なんですけど!?」

みたいなことをいう。
「わかっとるわい」という気持ちと、相手の剣幕と無愛想に僕もつられて、「そやし、向こうの改札で出ます」と、結構切れ気味で返した。
駅員は、ものすごく不本意そうな表情で、その旨を伝える文言を切符上に書いてはんこを押し、無言で切符をつきかえした。

まあ、不愉快な経験である。
しかしまあ、その人も疲れているのだろうと思う。
京都駅の新幹線改札といえば、観光客だ、インバウンドだで常にごった返していて、殺人的な忙しさであろうことは想像できる。
しかも、人不足なのか人員削減なのか、JRは恒常的に少人数で業務を行わされているように見える。

こちらにも精神的な余裕はない。いろいろなことで切羽詰まっていたのだろう。学者というのは、いつも切羽詰まっている気がする。
(今日、この時間に限って言えば、この文章を殴り書きする程度の余裕が、時間的にも精神的にもあるということである)

閑話休題。

そういうわけで、人間は忙しく、余裕がないと他人にきつくあたる。金銭的にも余裕がないとなると、なおのことそうなるだろう。

逆説的ではあるのだけれど、そういうときにこそ、人間の本性が表れるように思う。僕と、その駅員さんは、そういう意味ではよろしくなかったのだと思う。

ただそれだけ。

ちなみに、北側の地下改札口にいた駅員さんは比較的親切に話を聞いてくれた。地下改札口はJR西日本、新幹線の改札はJR東海である。

追記
大きな駅では、ICOCAでコンコースを無料通過できることを、後日実験して知った。つまり、京都駅までの新幹線の切符を入れたあと、ICOCAなどの交通系カードをピッとして、出る改札で再びカードをピッとすれば、特に何も言われることなく通過できる。ただそのためだけにそれができるかは不明であるが、少なくとも新幹線からは可能。


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