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1.窮鼠為す術なし


子田 晴真(こた はるま)

受 
陰キャ、オドオド系
この作品における鼠くん


柳 大我(やなぎ たいが)


陽キャ……というより怖い人 
この作品における猫(ネコに非ず)




体温計がぴぴぴ、と僕を嘲笑う。
35.9℃。ド平熱。
こんなに心はぐちゃぐちゃで熱くてしんどいのに、相反して冷静な数値に苛々する。

布団から出たくない。
学校に行きたくない。
……会いたくない。
息が上がる。

昨日のことを思い出して、唸りながら顔を覆った。





「ねえ、はるまくん。その席さあ、ちょっと使いたいからさあ、どっか行っててくんない?」

昼休み、教室内で各々が食事をとり、談笑をする中。
静かに自席で読書していると、そんな文章が自分に降りかかった。

……え? 


「え……ここ……?使うって……」
「うん。使いたいんだよね~。他クラスの友達が来るからさ。」
「あ、え……」
「ね。本なら外でも読めるでしょ。」

あまりに身勝手なことを宣う彼は確か、柳……
……柳 大我。

クラスの、一軍。……いや、一軍を抜いているかもしれない。
校則を違反した長さの黒髪を、頭の後ろで一つに束ねたスタイルは、このクラスの委員長とほとんど同じ髪型のはずなのに、印象は真逆。
いわゆる、不良。担任にさえもちょっとビビられているような存在。

……もちろん、気弱代表みたいな存在の僕は逆らえない。


「…………はい……」
「うん。」

おずおずと席を立ち、教室を出る。
廊下に出ると、おそらく彼の友達らが大声で笑い合いながらこちらに向かってくるのが見えて、慌てて逃げるように逆方向へ向かった。




学校の中庭。
誰かが楽しそうにはしゃぐ声が遠くから聞こえてくる。
僕は教室から放り出されたというのに……みじめだ。

どうしようもないので、植え込みに体育座りで座る。11月の寒さが肌に沁みる。
本を持つ指先が痛くて、読書は諦めて、本をカーディガンのポケットへ仕舞う。

はあ……とため息を吐くと、白色が逆風で顔にかかる。
さっきまで暖房の効いた教室にいたのに……。




そんな感じで、悲しくも昼休みは終盤にさしかかる。
長い間ぼーっと、植え込みに座り込んで日差しを眺めていると、ふと、一つの影が割り込む。


「はるまく~ん」
「っ!」

僕をここへ追いやった柳くんだ。
手をひら、と一回振ってこちらへゆっくりと近づいてくる。

席は、もういいのだろうか。
それをわざわざ伝えに来てくれたのだろうか?

……そういう風には見えない。
僕のもとへたどり着くと、ヘラヘラと笑って、座っているこちらを立ったまま見下ろしてくる。


「寒くないの~?」
「え、あ……さ、寒い、かな……」
「はは。だよねえ」

なんとも思ってなさそうな声と笑顔に、ひゅんと心の底が冷える。
こ、怖……。
人を自分の勝手で凍えさせているのに、謝るわけでもなく笑えるのは、たぶん悪い人だろう。
……なんか、ネコに見つかったネズミの気分だ。
今からお前で遊ぶぞ、って言われているみたい。


「えっと……あの」
「ん?」
「あ……せ、席……」
「席?」
「……え、あ、……うん、…………」
「ん?」
「……ぅ……あ、その…………」

……わざと察しが悪い振りをしてる。この人。ニヤニヤしてる。
それに対して、吃ることしかできない自分が、どんどんみじめに感じてきて、目線が合わせられない。

地面のでこぼこを眺めて、時間が進むのを待つしかできない。
無言の時間が長引くほど、彼と相対しているという恐怖が僕の周りを取り囲む。

なにか言ってくれればいいのに、きっと冷たい顔で見下ろしたままだ。
緊張で喉がカラカラだ。


「ねえ。」

やっと耳に入ってきた声は、予想外に優しい声色だった。


「こっち見て。」
「え…………」

いわれるがまま目線を少し上げたところで、彼がいつのまにかしゃがんでいることに気づいた。
近い。


「はるまくんさあ、」
「っえ」

顔を上げきる前に、両頬を手のひらでガシッと掴まれる。
ぐい、と目を合わせられて気づく。僕の予想は正しかった。

彼は獲物を見つけた猫だ。


「おもしろいよね」
「っ……う!!」

咬まれた。
唇を。


「……あはっ」

人の唇が、歯が、舌が、自分の唇と触れ合ったのは初めてだ。
でも、キスじゃない。
これ、捕食だ……。

パッと離れて、尖った歯を見せつけるように口を弓形に歪ませて笑う柳くん。
怖い、こわい。
今されたことへの得体の知れなさと、目の前の捕食者への恐怖で、動けない。


「ねえ、俺のこと怖い?」
「…………こ、ぅあ……」
「ははは。おもしろ~」

なにが……?!
咬まれた痛みが勝手に何度も反芻されて、うまく口が動かせなくて、怖くてたまらない。
掴まれた頬も力が強くて、嫌だ。はやく離れたい。


「は、離し……」
「やだ。」
「っうう……ごめ……ごめんなさい……」
「あははっ……」
「んぐ……!」

涙が滲んできて表情はよく見えないけど、笑い声に粘度が加わった、と思ったら、また唇に感触。
ざり、と舐る音が、耳に劈く。
今度は舐められてる。
味蕾の一つ一つが、僕の唇の縦皺に入り込む。
不快な感覚に身体が竦む。肩が震える。目をぎゅっと瞑る。
一層力が加わる彼の両手を振りほどけないくらい恐ろしい。
周りには誰の声もない。意味が分からないことをされているのに、誰も助けてくれない。


「ぅ……ひぅ……!」

下唇を歯で挟まれて軽く引っ張られて、僕の歯が外気に触れて冷える。
その歯列を温めるかのように舌でゆっくりなぞられて、ぞわぞわして、情けない声が漏れる。
おそるおそる目を開けると、柳くんの瞳孔が開ききった瞳が、爛々とこちらを見ていた。

本当に、喰われるかも。
あまりの恐怖に、竦む身体を奮い立たせて、精一杯の腕力で柳くんの胸を腕で押す。


「はあっ、はぁ、はあ、はあ……」
「……やだった?」

ぬけぬけとそんなことを聞かれても、乱された呼吸を落ち着かせるのに必死で答えられない。
嫌に、決まってるじゃないか。
きっと弱弱しかったと思うけど、現状できる渾身の威嚇として、嬉しそうにこちらを見るふたつの瞳を睨む。

でも、キュウと半月形に細まった目の中の真っ黒な瞳孔に、情けない僕の顔が映っていた。
悔しくて、睨む目から力が抜ける、眉が下がる。

なんでこんなことするんだろう。
……僕がなにか気に障ることをしたのかもしれない。
それならいっそ暴力でも振るってくれれば、先生に言いつけて制裁を食らわせられるのに。


「うう……なん……なんで…………」
「ん?なんでかぁ……」

情けない顔を見られたくなくて、もう触れられたくなくて、顔を抱え込んで防御の姿勢を取る。
視界は自分の腕と、しゃがみこんだ柳くんの膝から下しか見えない。
きっとスポーツも万能だから、こんなに筋肉がしっかり付いていて健康的なんだろう。
……もしもこれで蹴られたりなんかしたらひとたまりもないだろう。
なぜかそんな想像をしてしまって、さらに怯えてしまう。

なにか逡巡している柳くん。
その間、小さく嗚咽を漏らす僕。 


「……ねえはるまくん、顔見せてよ。」
「やっ……やだ……!もうやだ、おねがい……」
「もうしないって。ね。ほら」
「うっ、やだ、うう、うあ」

顔を晒したくないのに、腕をつかまれて剝がされる。
恐る恐る見ると、無邪気な笑顔があった。
笑顔が恐ろしい言葉を紡ぐ。


「俺さあ、はるまくんみたいなオドオドした陰キャ見るとさあ、昔からなんかさあ、変な気持ちになるんだよね~」
「っは……ぅ、え……」
「こっちは普通にしてるだけなのにさ、なんか勝手に怯えてさあ。ぼくいじめられてます……みたいな顔すんじゃん?いや、ムカつくとはちょっと違うんだよな~」
「っ……うっ……」
「なんかさあ、なんなら、逆にいじめられたいのかな~って。思っちゃうんだよねえ。ね。そういう表情してたのってさあ、こういうことされたいからなの?」
「そっ……そんなわけっ、ない……!」
「そ~なの?じゃあ、なんで?なんで怖がるの?」
「だっ……だって、…………怖い……」

人の席を堂々と奪っておいて、校則違反しておいて、恐ろしいことを言う柳くんは、僕の腕をがっしり掴んで微笑んでいる。


「俺なんかしたあ?」

たしかに、今日席を奪われるまではなにもされたことはない。
ただ彼の悪名だけが轟いていて、僕はそれに怯えて関わらないよう過ごしてきた。
隣の席になったときは終わったと思ったけど、特に何のアクションもなかった。


「俺、仲良くしたいんだよ~」
「……っわ、わかったっ……仲良く、するから……」

掴まれた腕をおもちゃみたいに揺さぶられて、さっきまでの恐怖と、今の無邪気さに混乱した。
本当に得体が知れなくて怖い。ただただここから逃げ出したくて肯定すると、柳くんはニコッと笑った。


「じゃ、仲良しの印ね」
「ン!?」

三回目の感触。
唇に当たったのは、彼の唇だった。

2、3秒の静寂。
わざと音を立ててパッと離れて、柳くんが立ち上がる。


「ふふ、また明日ね。俺、今日は満足したし帰る~。」

手をひらひらひら、と三回振って歩いて帰っていく後ろ姿を、僕はポカンと見つめるしかできなかった。






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