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愛の日記

その日はすこぶる調子が悪かった。

お得意様の◯◯さんから、犬の散歩の依頼。
いつもは深繰に頼んでるけど、その日は非番だった。
仕方なく朝、家から直接向かったが、やっぱりあの犬の相手は苦手だ。懐いてくれるのは嬉しいが限度があるだろ。常に俺の方に飛びつく姿勢を崩さずずっと興奮していて、散歩もままならなかった。
なんか、なごみ先輩に似てんだよな……

散歩をなんとか終え、事務所へ向かおうとしていた所、通りすがりの公園のブランコに国夫がいた。
ぼーっと退屈そうな顔で座っている。暇なら一緒に来いよ、と声を掛けたが、俺は人間観察で忙しいんだと一蹴された。
相変わらず生意気だな、と思ったのも束の間、後ろから強烈なタックルをお見舞いされた。
何事かと振り返ったら、先日子守りの依頼で相手したガキンチョだった。そのまま無様にブランコの足場にひっくり返った俺を国夫が爆笑していた。
後から走ってきた母親から猛烈に謝罪されたが、当のガキンチョはいとしー!いとしー!あそぼーぜー!と纏わりついて楽しそうにしていた。
子供から嫌われるよりは好かれた方が嬉しいけど、やっぱり限度がある。
母親には適当に大丈夫ですと伝え、ガキンチョは国夫に任せてその場を去った。

公園から少し歩いた先で、ご老人から声をかけられた。先日エアコンの修理の依頼を受けた◯◯さんだった。
ああ、どうも、など俺が無難に返事をするのも聞かず、この間はありがとうねえ、これよかったら食べてえ、と捲し立てるように話され、気圧されるままに俺は腕いっぱいに菓子を抱えていた。
1歩動けばこぼれ落ちるくらいの菓子に身動きが取れない。◯◯さんは またよろしくねえ、などと言って嵐のように去ってしまった。
通行人の目線が痛い……。

なんとか事務所に到着し、机の上に菓子をばら撒くように置いた。やっと腕を降ろせた。
ため息をつきながら、おはようございます、と挨拶をしながら顔を上げると、なごみ先輩、銀先輩が先に来ていたようだった。
菓子の次は頭を抱えた。
なんだその格好。今日祭り?
2人とも法被にふんどしの姿だった。なごみ先輩は菓子を見てキラキラした表情なのに対して、銀先輩は口元は笑顔なものの表情が読み取れない。たぶん嫌なんだろうな。いや嫌だろ。
触れないわけにもいかないので、なぜそんな格好なのか聞いたが、毎日がハッピーバースデーだかなんだか訳の分からないことを言っていた。相変わらずヤバい。誰か助けてくれ。

そんな中飛び込みで依頼が入った。ストーカーに追われているからすぐに護衛しにきて欲しいとのこと。それは警察の仕事だろとも思ったが、なにやら訳ありらしい。
銀先輩にそう伝えられた後、すぐに向かおうとしたが、なごみ先輩が服を戻さずに事務所を出ようとしたため全力で止めた。
だが、必死の説得虚しく出ていかれてしまった。
銀先輩は電話を切ってから、座ったまま1歩も動かなかった。そりゃそう。銀先輩も法被のままだ。

追いかけて車に駆け寄ると、なごみ先輩は運転席に座っていた。なんでだよ。
早く早く!と急かしてくる。慌てて言われるがまま助手席に乗り込む。最悪だ。
通話を繋げた銀先輩が場所を伝えてくる。ナビに打ち込もうとした瞬間、体勢が大きく崩れた。急発進した車は事務所を飛び出して、道路を爆速で駆け抜ける。
オイ!!!速度!!!落とせ!!!と叫ぶが、なごみ先輩はアスファルトタイヤを切りつけながらァァ!!!!などと熱唱しながら全く速度を落とさず目的まで向かう。銀先輩が通話越しにご安全に~などと宣っているが今この車は安全とは真反対の状態である。誰か助けてくれ。

命からがら依頼主の元にたどり着き、依頼は無事?完了した。
帰りは俺が運転してご安全に事務所へ戻ると、国夫と我九が来ていた。また喧嘩してる。
どうどうと宥めつつ、銀先輩に結果報告。ついでになごみ先輩の愚痴も少し漏らした。そっか、おつかれ。の言葉を聞いてはあと気が抜ける。
午後の業務を確認すると、備品チェックと簡単な買い出し程度だった。うーん。
国夫は適当にやるから備品チェックは頼めない。電話応対をきちんとできるのは銀先輩だけ。なごみ先輩はどっか行った。ので、今は俺しかできない備品チェックをさっさと済ませようとチェックリストを手に取りガレージへ向かうと、我九が追ってきた。何するの、と聞かれる。
14歳に仕事はさせられないが、少し手伝ってもらうくらいいいだろう。備品チェックするから、コレ数えてくれ、と頼み 2人で行った。仕事っぽいことができて嬉しいのか、我九はウキウキした様子で手伝ってくれた。ちょっとだけ癒された。

終えて事務所へ戻ると2人がいない。なぜ……。
机上に残されたメモに、『国夫と買い出し行ってくる。』と残されていた。電話応対ほっぽってったのか。銀先輩って意外と適当なんだよな。
残りの業務がなくなったので、暇ができてしまった。我九は どうすんの?みたいな顔で見上げてくる。ゲームでもするか、と提案した。

大乱闘ゲーム。俺は下手らしい。
いや我九がうますぎるんだ。1戦も勝てずに終わった。
気付けば2人も買い出しから帰ってきており、後ろから国夫が煽るようにニヤニヤと見てきていた。我九のコントローラーを奪い、俺とも対戦しろと申し込まれる。1戦だけ。1戦だけだからな。と宣言したが、結局何戦やってもボロ負けだった。クソ。

我九と国夫の対戦を眺めていると、深繰から電話が入った。
なんだか嫌な予感がしたので電話しました、とのこと。マジかよ。
ありがとうと伝えて切ったが、子供たちに負けまくってひしゃげた心によく効いた。そもそも今日は朝から割とずっと嫌だぞ。これ以上あるのかな。
うめき声を上げ、天井を見上げながら椅子の背に体重をかけるように身体をのばすと、後ろに立っていたなごみ先輩と目が合った。
頭を抱えた。
なんだその格好。ここブラジル?
なぜ事務所でサンバの衣装を身に纏うのかわからない。納得できる理由なんかこの世に存在しないだろうけど。
言葉が出ずそのまま見つめ合っていると、なごみ先輩がにっこりと笑い指をパチンと鳴らした。
は?

は?

本日2回目の国夫の爆笑が聞こえた。
あとは恥ずかしすぎてよく覚えてない。

気付けば夜で、自宅の前に立っていた。
今日はいつもより依頼や業務も少なかったしそこまで動いてないはずなのに全身どっと疲れていて、はああと深くため息をついて玄関扉の前へ向かう。
鞄をまさぐる。
ん?

ん?

いつの間にか鍵を失くしていた。
俺は立ち尽くすしかなかった。


その日はすこぶる調子が悪かった、なんてもんじゃない。最悪な1日だった。

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