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寒空 街灯 冬の煙草

THE BACK HORNで一番好きな曲が何かと聞かれたら"赤眼の路上"だと即答する。
あの曲を初めて聴いたのは15歳の頃で、あの頃から20年経ったけど35歳になった今でもあの頃と変わらない速度と気持ちで生きている気がする。

僕の35年の人生は大体後悔ばかりで、本当は僕なりに手にした物も大分ある筈なんだけど、いつだって失くしてしまった物の数ばかり数えていた。
「あの時こうしておけば良かった。」をやらかさなかった世界線にいる僕はどんな姿かを想像してしまう時もあるんだけど、きっとまた別の場所で選択肢をミスってしまっているんだろうなと安易に想像も出来てしまうから乾いた笑いが出る。

もうすぐ36歳になる僕は未だに何一つうだつが上がらない日々をなんとか乗りこなすだけで精一杯だ。
散らかった部屋は掃除出来ず仕舞いだし、毎日毎日ちゃんと仕事に行った、ちゃんとお風呂に入れた、ちゃんとご飯を食べれたって普通なら当たり前なことを出来た自分をなんとか無理矢理褒めて自我のバランスを保っている。

15歳のあの頃はなんだかんだ自分は普通の大人になれる筈と思っていたけど、その普通は未だに遠くて、泣きたくなる時もある。
誰かに分け与えるだけの幸福は無くて、かといって誰かに見せびらかせるほどの不幸も無い。そんな生活を今日も終えようとしている。

きっとこれからも間違えるし後悔するし、それを繰り返して失っていつか死んでいく人生なんだろうけど、ほんの少しだけ自分が手にしている物を数えて大切にしてあげたい気持ちになった。

失った物は戻ってこないけど、それでも何度だってやり直せるって勘違いを無理矢理にでも続けることが生きるって事なのかもしれない。
無事に80くらいまで生きていられたら僕は人生の折り返しのカーブにとっくに入っているんだろうけど、未だに15歳の頃の気持ちが燻ったまま、まだ何も始まってないしやれていないって勘違いを生きる意味って事にしている。

26歳の夏にこの世で一番大切だった人に「君は私と出会って生まれ変わったんだよ。」と言われた日から大分時間が過ぎた。
そしてついこないだまた別の心から愛する親友に「貴方は一度死んで生まれ変わったんです。」と言われた。
両者の言葉は何気ない他愛もない優しさの言葉なんだと思うけど、その言葉に生かされた気もする。

生きるって事は殆ど呪いみたいな物だと思っているけど、その呪いを受け入れるしか無いんだ。

せめて自分の物差しで少しばかりの幸福を感じて、自分の人生は上々だと思い込んでやるしか僕には出来ない。
それが出来るようになった事だけが僕が20年経って少しだけ成長した事だって勘違いをまたしておく。

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