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【セカコの世界史2024】 8-1 製鉄技術の広がりと社会の変化

製鉄技術の広がりと社会の変化

 

鉄器時代のはじまり

セカコ:今回は青銅器時代が終わって鉄器時代に入ります。紀元前1200年頃から人類社会は鉄器時代に移行したんですよね。

先生:そうですね。ただ、紀元前1200年頃から鉄器時代に移行したのはオリエントを中心とした周辺地域だけです。地中海地域や南アジアは紀元前1100年頃から、鉄器の利用が広まりましたが、その他の地域はまだ青銅器時代が続いているか、石器時代のままです。

セカコ:日本列島はまだ縄文時代ですよね。

先生:そうですね。日本列島を含む東アジアは鉄器時代に移行するのがオリエントより数百年遅いんです。中国は春秋時代後半にあたる紀元前600年頃から鉄器が用いられはじめ、武器や農具などに広く使用されるようになりました。これを受けて、朝鮮半島や日本でも紀元前4世紀(紀元前400年-紀元前301年)前後には鉄器が使用されるようになりました。

セカコ:弥生時代に移行した時期ですね。

先生:そうですね。日本には、稲作、青銅器、鉄器などの技術が、渡来人によってもたらされました。だから、世界の歴史が数千年かけて経験した農耕の始まり、青銅器の発明、鉄器の発明が、いっぺんにもたらされたわけです。

セカコ:日本史っていつも、外国が時間をかけて作り上げた技術や知識を、特定の時期に、いっぺんにまとめて吸収しちゃいますよね。

セカイシシ:最新の研究では、内部的な発展や適応も重要な役割を果たしてい他とされておる。農業については、近年の研究で、縄文農耕と言って、縄文時代末期は農業が独自に発達し、農耕の初期段階にあったと考えられるようになった。また、稲作、青銅器、鉄器の技術は渡来人を通じて伝えられた面もあるが、それらの技術が完全に外部からもたらされたというわけではなく、内部的な発展や適応も重要な役割を果たしていたと考えられるようになってきておる。

先生:そうですね。セカイシシさん、重要なご指摘、ありがとうございました。世界史の話に戻りましょう。

セカコ:テキストによると、前1200年頃、ミケーネ文明諸国やヒッタイト王国が衰退し、滅亡しました。エジプト新王国も衰退し、滅亡しました。歴史史料に(1)「海の民」と記された諸民族の混成集団が地中海方面から侵入したとあります。

先生:海の民は、古代エジプトや中東地域を襲撃した、複数の民族集団の総称です。海の民たちは、紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて、地中海東岸やエーゲ海などを拠点として、周辺地域に侵入し、当時の大国であった古代エジプトやヒッタイト王国が衰退したり、滅亡したりする、要因となりました。

セカイシシ:海の民たちの出身地や正確な人種は不明じゃが、エジプトや中東地域の記録によると、ペリシテ人など、複数の異なる民族集団が含まれていたとされておる。海の民は、当時の中東地域において大きな混乱を引き起こし、軍事的な脅威として認識された。紀元前12世紀中頃には、海の民たちの侵攻は収まり、徐々に姿を消していった。彼らが何故中東地域に出現したのか、彼らの祖先や移動経路はどうだったのかといった問題については、未だに謎のままとされておる。

先生:同じ頃、カッシート人のバビロン第三王朝もイランの先住民族(2)エラム人の侵入で滅びました。この時、エラム人がバビロンからハンムラビ法典が刻まれた石碑を持ち去ったと推定されています。

セカチュウ:バビロンで制定されたハンムラビ法典を刻んだ石碑が、エラム王国の都スサで発掘されたことは、山川世界史用語集にも記載されていて、私立大学の入試で何度も出題されています。覚えておきましょう。

セカコ:前1200年頃に、オリエントは大きな変動を経験したんですね。

先生:そうですね。これを「前1200年の危機」という場合もあります。

セカコ:この時に、ヒッタイト王国が滅んで、ヒッタイト王国が独自に技術改良を進めていた(3)製鉄技術が拡散したんですよね。

先生:そうです。ヒッタイト王国が滅ぶと、(3)製鉄技術が周辺地域に広まり、前二千年紀の終わりにオリエントは他地域に先駆けて(4)鉄器時代に入りました。

セカイシシ:鉄器の生産技術は、鉱山技術や溶鉱炉技術など、青銅器よりも高度なものであり、鉄器の出現は、人類社会に大きな変革をもたらした。鉄器の使用により、より強力な武器や農具が製造され、社会の生産性が飛躍的に向上した。青銅器は柔らかく、加工が容易であるため、武器として用いられた一方、装飾品や日用品に使用されることが多かった。一方、鉄器は硬く、強靭であり、武器や農具として使用されることが多かったのじゃ。

先生:実は、鉄の登場が社会を大きく変えたのは、硬さや強靭さもさることながら、なんと言ってもその希少性の低さによってなのです。

セカコ:キショウセイノヒクサって、どういうことですか。

先生:希少性が高いものは手に入れにくい。銅や錫、金や銀もそうです。

セカコ:希少性が低いということは、入手しやすい、ということですか。

先生:そうです。 青銅は、何を原料としていましたか。

セカコ;銅と錫です。

セカチュウ:数年前、早稲田大学の世界史で青銅の原料を漢字で書けという問題が出たことがあるので、「銅」だけでなく「錫」も漢字で書けるようにしておこう。

先生:そうですね。青銅は、銅と錫という、偏在する希少な鉱物を原料としましたから、青銅器を所有できるのは特権階級に限られていました。

セカコ:青銅器時代といっても、大多数の人々にとっては石器時代だったと、以前におっしゃていました。青銅は武器や装飾品に用いられましたが、そういえば、青銅農具というのは聞いたことがないですね。弥生時代の銅鐸も、確か、お祭りの道具でした。

先生:それでは、鉄の原料はなんでしょう。

セカコ:鉄鉱石です。

先生:そうですね。鉄鉱石はどこで手に入りますか。

セカコ:地理の問題みたい。鉄山、鉄鉱石の鉱山です。

先生:他には?

セカニャン:砂鉄なら、川でもどこでも手に入るニャ。

セカコ:そっか。砂鉄なら入手しやすいですね。

セカイシシ:砂鉄は、鉄を含む鉱物が風化や河川の流れによって砂と一緒に集積したもので、鉄鉱石の一種じゃ。砂鉄は、古代から鉄の製造に利用されてきた。古代エジプトでは、ナイル川の流れによって運ばれた砂鉄が利用され、青銅器から鉄器への移行期には、砂鉄から鉄を抽出する技術が広がったのじゃ。

先生:砂鉄は鉄鉱石の細かいもので、鉄鉱石の一種なんですが、入手しやすいですよね。鉄鉱石も、銅や錫ほど偏在せず、まとまった量を手に入れやすく、入手が比較的容易です。これが希少性の低さです。鉄は、青銅に比べて、入手しやすかったんです。

セカコ:希少性の低さ、つまり、入手しやすさが、どんな影響をもたらしたんだろう。農具などに利用されて、農業生産力が高まったのかな。

先生:そうですね。オリエントのみならず、南アジアでも東アジアでも、鉄器時代に入ると鉄製農具が登場します。そうすると、農業生産性が飛躍的に高まり、大勢で行っていた農作業を、少ない人数でもできるようになり、各地で氏族単位の農業から家族単位や戸単位での農業に移行していきます。

セカコ:コタンイ、というのは。

先生:戸単位というのは、家族単位とも言い換えられます。同じ建物やテントで、生活を共にする三世代程度の集団です。現在の家族、戸と意味は同じですが、各家族化や少子化が進んだ現代の家族と違って、三世代同居していて子どもも何人もいますから、十数人からそれ以上の規模です。

セカコ:なるほど。中学校の教科書で、奈良時代の戸籍を見たことがありますが、確かに二十人くらい載っていました。中学の社会科の先生が同じことをおっしゃっていました。今は核家族化や少子化が進んでいるから、戸籍に2名とか3名とか当たり前だが、奈良時代の戸籍は二十人くらいが当たり前だったと。

先生:そうですね。鉄製農具の普及で、氏族単位の農業から、戸単位の農業に移行したことで、戸籍という発想が出てくるんです。これはすぐにそうなったわけではなくて、何百年かかけてゆっくり移行しました。

セカコ:なるほど。現代にも、戸籍ごとに、戸籍がありますね。

先生:石器時代や青銅器時代の農業は、大勢で作業をしなければならず、家族単位や戸単位では難しかったので、氏族単位で行われていました。

セカコ:青銅器時代の農業といっても、石器を使って行うんですよね。石器時代と変わらないです。氏族というのは、親戚とかのことですか。

先生:そうですね。技術の進歩はあったと思いますが、基本的に石器で行います。だから、氏族単位でみんなで協力して行いました。氏族というのは、五世代も六世代も前の先祖を同じくする集団です。数百人の大規模な集団になることもありました。それがそのまま集落を作っていたわけです。血縁のある戸が十戸とか数十戸集まって氏族を構成しているイメージですね。

セカコ:部族という言葉も出てきますが、氏族と違いますか。

先生:そうですね。部族の方が大きですね。厳密な定義があるわけではなく、文脈によってまちまちですが、おおよそのイメージとして、部族は数千人単位で、いくつかの氏族で構成されていると考えておけば、間違っていないです。

セカイシシ:石器時代や青銅器時代の支配者は、氏族の長を集めて、束ねておけば、その氏族を従わせることができた。従って、石器時代や青銅器時代の政治とは、氏族の長を集めて意見を聞いたり、指示を出すことだったのじゃ。ところが、鉄器時代に氏族単位の農業から戸単位の農業へと徐々に移行すると、戸が独立して生産を営むようになり、氏族が解体された。そのため東アジアでは、支配者が戸籍を作るようになり、ギリシアやローマでは、戸ごとに、さらには個人個人が、政治に参加するようになっていったのじゃ。

セカコ:つまり、鉄器時代への移行が、氏族単位の農業を戸単位、家族単位に移行させて、それが戸籍の必要性や、戸や個人ごとの行動や政治参加を促したということですね。

先生:その通りです。

セカコ:鉄器時代への移行って、単に技術の進歩だと思っていましたが、世界史に与えた影響は計り知れないほど大きいんですね。

先生;そうですね。実はまだ、鉄器時代への移行の影響を全部話し終えていないんです。

セカコ:他にあるんですか。

先生:たくさんあるので、言えばきりが無いですが、大きなものが、ニつあります。一つは、戦乱の時代の幕開けです。鉄は偏在せず、入手が容易なので、青銅を独占していた青銅器時代の支配者の優位性が崩れ、新勢力の台頭を促しました。集中していた権力をいったん分散させ、台頭した新勢力同士が争う時代が、各地で数百年続きます。こうして鉄器時代には、青銅器時代いらいの強力な王国が衰え、各地域に小規模な勢力が出現し、新たな覇権を求めて互いに争いました。

セカコ:そういえば、オリエントはこの後、しばらく戦乱の時代が続きますね。

先生:南アジアも東アジアも、ギリシアも同じです。南アジアは十六大国時代といい、東アジアは春秋戦国時代といいますが、新たな政治秩序の形成、つまり統一帝国の出現まで、長い戦乱の時代を経験します。

セカコ:鉄器時代の到来は、数百年にわたる戦乱の時代の幕開けだったわけですね。

先生:鉄器時代の到来の影響のもう一つは、商工業の活発化です。

セカコ:商工業が青銅器時代より盛んになったということですか。

先生:そうですね、製鉄技術が広まれば、製鉄業が各地で盛んになりますし、それに伴って様々な産業が派生します。みんな、鉄の武器や農具が欲しいですから、交換や交易が盛んになって、商業を生業とする民族も出てきます。このため、交易がいっそうさかんになります。

セカコ:人やものの動きも、活発になっていったんですね。

先生:今回はこの後、オリエントで商業が活発になる様子や、鉄の時代の王国が攻防する様子を学んでいきますが、その前に、製鉄技術の広がりと、各地に与えた影響を見ておきましょう。


製鉄技術の諸地域への伝播

先生:オリエントで登場した製鉄技術は、数百年の時間をかけてアフロユーラシア大陸各地に伝播していきます。一方で、アメリカ大陸はコロンブスの到来まで、鉄器を知りませんでした。アメリカ大陸の文明においては、鉄器時代という概念は適用されず、異なる技術的発展を遂げたと理解されています。

セカコ:コロンブスの到来まで、青銅器時代だったということですか。

先生:新大陸の文明は独自の発展を遂げており、多くの場合、アフロユーラシア大陸の「青銅器時代」という分類にはうまく当てはまりません。この地域の技術的発展は、ヨーロッパやアジアとは異なる経路をたどっていました。

セカコ:アフロユーラシア大陸でも、鉄器時代への地域によってかなり時間差があったとおっしゃっていましたので、まとめてみました。

セカコの世界史マイノート 鉄器時代の開始時期

オリエント 
紀元前1200年頃

南ヨーロッパ
紀元前1100年頃~

アフリカ
紀元前1千年紀

南アジア
紀元前1100年頃~紀元前1000年頃

アルプス以北のヨーロッパ
紀元前800年頃~600年頃

東アジア
紀元前600年頃~紀元前500年頃

日本列島
紀元前400年頃~紀元前300年頃

新大陸
西暦1500年頃
(コロンブスの到来以後)

先生:南アジアやギリシアなど、これまでもオリエントの文明と交流してきた地域では、オリエントにやや遅れて製鉄技術が登場します。東アジアはやや遅くて、紀元前600年頃~紀元前500年頃となります。これらの地域の鉄器時代については、この後の講義でそれぞれ詳しく学びます。

セカコ:日本列島は、紀元前400年頃~紀元前300年頃、青銅器時代を経ずに、鉄器時代に入ったんですよね。青銅器と鉄器が同時にもたらされたとおっしゃっていました。日本は鉄器時代に入るのが遅かったんですね。

先生:アルプス以北のヨーロッパも、地中海に比べると、数百年遅れて鉄器時代に入りました。ハルシュタット文化と続くラ=テーヌ文化が知られています。

セカチュウ:ハルシュタット文化と続くラ=テーヌ文化は高校世界史の範囲ではないので、大学受験には出ないぞ。

セカコ:一応、簡単に説明してください。

セカイシシ:ハルシュタット文化は、紀元前8世紀から紀元前5世紀頃にかけてアルプス以北のヨーロッパ地域に栄えた。オーストリアのハルシュタットで発見された遺跡から名づけられておる。ハルシュタット文化の特徴として、鉄器の製造技術の発達が挙げられる。この時代には、鉄が広く利用されるようになり、農具や武器などの製造が盛んに行われた。また、ハルシュタット文化の人々は、鉱山や交易などを通じて、豊かな生活を送っておった。ハルシュタット文化の遺物には、装飾品や銀製品、陶器、墓制品などがある。特に、豪華な墓制品が多数出土しており、その中には、金属製の馬車や鎧、刀剣、装身具などが含まれておる。これらの遺物は、ハルシュタット文化の豊かな生活や高度な技術を示すものとして、世界的に有名でなものじゃ。

セカコ:ラ=テーヌ文化についても教えてください。

セカイシシ:ラ=テーヌ文化は、紀元前5世紀から紀元前1世紀頃にかけて栄えた文化であり、主にケルト人によって展開された。スイスのラ=テーヌで発見された遺跡から名づけられた。ラ=テーヌ文化は、ハルシュタット文化から発展したものであり、鉄器の使用が広がり、農業、畜産、鉱業、交易が盛んに行われるようになった。また、この時期には、ケルト人による侵攻が広がり、ガリア地方やブリテン島などに大きな影響を与えた。ラ=テーヌ文化の特徴としては、装飾品や武器、器物などの美術品が発達したことが挙げられる。特に、細密な彫刻や装飾技術、複雑な幾何学模様が特徴的であり、後の中世ヨーロッパの芸術にも大きな影響を与えた。ラ・テーヌ文化の遺跡からは、多数の墓が発掘されており、その中には、豪華な墓制品や戦車、鎧、武器、装身具などが含まれておる。これらの墓制品からは、当時の豪華な生活や、社会的な階層の存在などがうかがえる。

先生:この地域には、前6世紀頃からインド=ヨーロッパ語系(5)ケルト人が住み、鉄製の武器や装身具の製造技術において高い水準に達しました。彼ら自身は記録を残していませんが、ギリシア人やローマ人が記録を残しています。

セカコ:弥生時代の日本列島と似ていますね。自分たちでは記録を残していないけど、中国が漢字で記録を残しています。

先生:そうですね。よく似ています。

セカコ:ケルト人は神話が有名ですよね。神秘的なイメージがります。

セカイシシ:ケルト人は、現在のフランス、イギリス、アイルランド、スペイン、イタリア、中欧などに分布しており、文化や言語、宗教などが異なっておった。ドルイドと呼ばれる宗教指導者による儀式や、独自の文化や芸術なども発展した。ケルト人は、ローマ帝国の侵攻やゲルマン人の侵入などによって、徐々にその勢力を失っていったが、その文化や影響は、現代のヨーロッパの多様な文化や伝統にも受け継がれておる。神々と人間と妖精が交わり合うケルト神話の世界は、のちのヨーロッパ人の精神にも大きな痕跡を残しておる。

セカコ:ドルイドって何ですか。

先生:ケルト人の社会で、宗教的指導者や法律家、医師などの役割を果たした存在です。ドルイドは、神秘的な力や魔法の力を持っているとされ、ケルト人社会において重要な役割を担っていました。また、ドルイドは、独自の教義や儀式を持ち、オークの木などの自然物を崇拝していました。しかし、ドルイドの伝統や信仰は、ローマ帝国による征服やキリスト教の伝来によって徐々に失われていきました。

セカコ:ケルト人は、ローマ帝国によって征服されたんですね。

先生:ローマ史で、ガリア人という名前で呼ばれる人々が、ケルト人の一派です。ケルト人自身は歴史を書き残しませんでしたが、カエサルの『ガリア戦記』には彼らの文化や社会について詳細な描写があります。高度な鉄器文化を持っていた彼らは、ローマ軍を苦戦させ、何度も危機に陥れます。これは後日、学習しましょう。

セカコ:アフリカでは、エジプトの他にも、製鉄技術が広まったんですか。

先生: ナイジェリアのノク文化など、アフリカ中南部にも鉄器文化が広がりました。スーダンのクシュ王国も製鉄で栄えますが、これは後の節で取り上げましょう。

セカイシシ:ノク文化は、紀元前第一千年紀に、現在のナイジェリア北部の高地地帯に栄えた文化じゃ。この文化は、アフリカ最古の鉄器を製造した文化として知られておる。ノク文化の人々は、農耕や金属加工、陶芸などを行い、商業交易も盛んであった。彼らは、陶器や土偶、石碑などを制作し、特に、精巧な鋳造技術を持つ青銅器が多く出土しておる。また、ノク文化の人々は、人物や動物、植物などを描いた精巧なレリーフも制作していた。ノク文化は、突然消失したとされておるが、その技術や文化が、後のナイジェリアの文化にも影響を与えていった。

セカコ:アメリカ大陸で製鉄技術が発展しなかったのは、どうしてですか。

セカイシシ;新大陸が鉄器時代に移行しなかった主な理由は、鉄の産出量が少なかったことが挙げられる。新大陸において、鉄の産出量が多いのは、現在のメキシコから南アメリカ北部にかけてのアンデス山脈地帯の一部に限られておった。そのため、新大陸において鉄器が普及することはできず、独自の文化や技術が発展していくことになった。また、新大陸における石器時代や青銅器時代には、ヨーロッパやアジアのような文化的・技術的交流が行われなかったため、新たな技術革新が起こりにくかったことを指摘する学者もおる。もっとも、新大陸の人々は、鉄器なしでも高度な社会や文明を形成しており、鉄が人類社会の発展に必要不可欠ではないということも示しておる。

先生:以前にも紹介しましたが、人類学者のジャレド・ダイヤモンドは『銃・病原菌・鉄 なぜ人類は格差を生み出したのか』で、環境要因説を指摘しました。この著書は、アフロユーラシアとアメリカで文明発展の段階が異なる原因を、地理的・環境的要因に着目して分析しました。

セカコ:東西に文明が並ぶアフロユーラシア大陸は、同じ気候帯の文明同士で交流しながら、技術の発展をキャッチボールできたが、南北に文明が並ぶアメリア大陸では、そうしたキャッチボールが起こりにくかったというお話でしたよね。

先生:キャッチボールという例えを使ったのは私です。ジャレド・ダイヤモンドが述べていることを、キャッチボールに例えてお話しました。

セカコ:とても興味深いお話だったので、あの後図書館で、『銃・病原菌・鉄 なぜ人類は格差を生み出したのか』を借りてきました。内容は、ちょっと難しかったです、

先生:そうですね。とても面白い本なのですが、高校生が世界史の参考図書として読むには、少し難しいというか、内容が網羅的ではないです。私はいつも、高校世界史を学ぶ上でどの本が良いか聞かれると、マクニールの『世界史』をお勧めしています。内容が少し古いですが、これを越える本は今のところ見つかりません。

セカコ:マクニールの『世界史』は読みました。とても面白かったし、世界史の流れというか、全体像がよくわかりました。

セカコの世界史マイノート 参考文献

・ジャレド・ダイヤモンド著、小野田滋訳、『銃・病原菌・鉄 なぜ人類は格差を生み出したのか』(早川書房、1999年)

・ウィリアム・H. マクニール著、増田 義郎、佐々木 昭夫訳『世界史 上』(中公文庫、2008年)

・ウィリアム・H. マクニール著、増田 義郎、佐々木 昭夫訳『世界史 下』(中公文庫、2008年)


古代ギリシアへの製鉄技術の伝播

先生:古代ギリシアでも、鉄器時代の到来が、社会を大きく変えました。

セカコ:どんなふうに変わったのですか。

先生:製鉄技術が普及するにつれて、(6)鉄製農具が普及しました。鉄製農具は、農業の生産性を高め、従来(7)氏族単位でなければならなかった農業が(8)家族(戸)単位でできるようになりました。

セカコ:庶民にとっては、石器時代から、青銅器時代を飛ばして、いきなり鉄器時代だったんですよね。畑を耕したりするときに、石器と鉄器では全然効率が違ったと思います。

先生:古代ギリシアは、青銅器時代の最後の文明であるミケーネ文明が滅んだ後、暗黒時代と呼ばれる文明のない400年間に入りました。

セカコ:暗黒時代ですか。

先生:これは、文字記録が途絶えて、国家も無くなったことから、後からつけられた呼び名です。ミケーネ文明の滅亡後、ギリシアはいわゆる「暗黒時代」に入りましたが、これは完全に文明が途絶えたわけではなく、文化的な連続性の中で変化があった時期です。この時期には、徐々に鉄器が普及したので、近年では初期鉄器時代という方がふさわしいと考えられています。

セカコ:争いが起こったのでしょうか。

先生:そうですね。文字記録がない時代なので、詳しいことはわからないのですが、部族同士の争いが激しかったようです。はじめに南下してギリシアに定住し、鉄器の普及に大きな役割を果たしたドーリア人に続いて、イオニア人が南下してきて定住し、その後、アイオリス人がやってきて定住しました。

セカコ:民族名は覚えるのが大変です。

先生:そうですね。ドーリア人とイオニア人、アイオリス人は、これ以降教科書でははまとめてギリシア人と呼ばれるようになります。

セカコ:できるだけまとめてもらった方が助かります。

先生:ギリシアでは初期鉄器時代を経て、個人への土地の分配が行われます。前8世紀頃から、多くの部族が、争いから自分たちを守るために、山などの神域に集まって、 (9)ポリスと呼ばれる都市国家を作るようになっていきます。ただし、ギリシアのポリスの形成は複雑な歴史的プロセスであり、単に争いからの保護だけでなく、経済的、社会的、政治的な要因も含まれていました。これについては、後日学習します。

セカコ:従来(7)氏族単位でなければならなかった農業が(8)家族(戸)単位でできるようになったことと、何か関係がありそうですね。

先生:そうですね。この時期に、地域によっては、氏族単位で農業を行っていた広大な農地を、戸ごとに割り当てた記録が残っています。

セカコ:氏族単位で共有していた土地を、戸に割り当てるとなると、誰がどこを取るかで、いざこざが起きそうです。

先生:そうならないっために、土地はくじで割り当てられたようです。

セカコ:抽選で決めたんだ。

先生:ギリシア語でくじをクレーロスというそうですが、このことから、配分された土地も(10)クレーロス(「くじ」の意)と呼ばれました。

セカコ:氏族単位じゃなくて、戸単位で生産活動を行うようになると、氏族の結びつきが弱まって、戸や個人がそれぞれ行動するようになりますよね。そうなると、社会や政治のあり方も変わって来ますね。面白くなって来ました。

先生:ただし、古代ギリシアのポリスにおける土地分配の具体的な状況は多様であり、一様にこのように進行したわけではないので、注意が必要です。
今回はギリシアの話はここまでにしましょう。ここから先は第10講古代ギリシア文明で学びます。

セカコ:ギリシアのことをもっと学びたかったです。第10講古代ギリシア文明を楽しみにしています。




南アジアへの製鉄技術の伝播


先生:南アジアは、前1100年頃から鉄器時代に入りました。

セカコ:南アジアはまだ、ヴェーダ時代でしたよね。インダス文明が滅んで、文字も文明もない、ヴェーダという呪文を唱えるバラモンが社会を指導する時代だったと、第6講で学びました。インダス文明の頃は都市や文字があったのに。

先生:そうですね。先ほど話したギリシアの暗黒時代も文字記録が途絶えた時代です。でも、文字がないというのは、別に悪いことではないんですよ。日本列島だって、縄文時代や弥生時代には、文字がなくても豊かな暮らしが営まれ高度な社会生活が営まれていました。歴史や文学も口伝されるのですが、困るのは誰かというと・・・

セカコ:私たち、歴史を学ぶ人たちですね。

先生:そうなんです。歴史学にとっては、文字がないと困ります。文字がないために、暗黒時代のギリシアやヴェーダ時代の南アジアのことは、ほとんど分からないわけです。

セカコ:ヴェーダ時代は千年くらい続いたんですよね。

先生:そうですね。青銅器時代にあたるおおよそ前1100年頃までのを前期ヴェーダ時代に対し、鉄器時代に移行した前おおよそ1100年以降を後期ヴェーダ時代といいます。

セカコ:前期が青銅器時代、後期が鉄器時代。

先生:南アジア全土がいっぺんに鉄器時代に入るわけではないので、きっちり年号で区切ることはできませんが、おおよそそのような理解で大丈夫です。

セカコ:鉄器時代に入り、どんな変化が起きたのでしょうか。

先生:前期ヴェーダ時代のアーリヤ人はインダス川流域を中心に牧畜生活を送っていました。鉄器時代に入ると、アーリヤ人は東の(11)ガンジス川流域へ移住していきます。

セカコ:東の(11)ガンジス川流域へ移住していくのと、鉄器時代とどんな関係があるんですか。

先生:南アジアで、最初の文明がガンジス川流域ではなく、インダス川流域だった理由をお話したのを、覚えていますか。

セカコ:確か、ステップ気候、乾燥帯だったからです。古代文明は外来河川が水と養分を運んでくる乾燥帯で成立したんでしたよね。

先生:どうしてでしたっけ、熱帯や温帯ではなかった理由は。

セカコ:森に覆われているからですよね。日本やヨーロッパで文明が芽生えなかったのは、森に覆われていたからだとおっしゃっていました。

先生:そうですね。ガンジス川流域もそうです。気候が温帯で、森に覆われていました。

セカコ:テキストに、アーリヤ人はガンジス川流域に進出し、鉄製の斧をもちいて森林を切り開き、牧畜社会から稲作を基盤とする定住農耕社会へ移行したとあります。そっか、鉄製の斧で森林を切り開いて農地を作ったわけですね。こうしてみると、鉄は世界史に本当に大きな影響を与えてているんですね。南アジアでも、戦乱が激しさを増したり、商工業が盛んになっていくのでしょうか。

先生:そうですね。同時に、社会秩序が不安定になっていきます。南アジアでは、この点を詳しく見ていきましょう。

セカコ:南アジアの社会秩序というと、カースト制ですよね。バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラと、中学校で三角形を描いて覚えました。

先生:そうですね。高校世界史では、カースト制を、ヴァルナ制と言います。それぞれの役割を覚えていますか。

セカコ:バラモンが祭祀、クシャトリヤが王侯・貴族・戦士で戦い、ヴァイシャが一般人でのちに商工業の担い手となった。シュードラは隷属民です。

先生:その通りです。今回の学習で、製鉄技術が普及すると、何が多く起こって、何が盛んになるのでしたか。

セカコ:戦乱が起こって、商業が活発になる、です。そうか、バラモンが頂点の神権政治だったのが、戦う階級のクシャトリヤや、商工業を担うヴァイシャの役割が増したんだ。鉄って本当にすごい。何だかすごく特別な金属に思えて来ました。

先生:そうですね。鉄器時代に入ると、戦乱が起こって、商業が活発になったのでした。戦う階級のクシャトリヤや、商工業を担うヴァイシャの役割が増し、バラモンの権威を脅かすようになります。

セカコ:バラモンとしては、困りますね。

先生:『リグ=ヴェーダ』を覚えていますか。

セカコ:バラモンの賛歌集です。自然神を讃える呪文が書かれている。

先生:そうですね。 後期ヴェーダ時代には、バラモンの祭儀は複雑化し、『サーマ=ヴェーダ』、『ヤジュル=ヴェーダ』、『アタルヴァ=ヴェーダ』などの新たなヴェーダ(賛歌集)が編纂されています。

セカコ: (12)バラモンは、そうやって祭儀を複雑にすることで、自分たちの権威を保とうとしたのではないでしょうか。

先生:そうかもしれません。しかし、鉄の武器で武装した世襲的な王族・武人階層 (13)クシャトリヤが、しだいに発言力や政治力を強めていきます。

セカコ:戦乱の時代には、祈る人より戦う人の方が、頼りがいがある気がします。

先生:また、商工業が発展し、製鉄業などの産業や商取引が活発化すると商業に従事した(14)ヴァイシャ 階級は富を蓄え勢力をのばしました。実は、四つの種姓(ヴァルナ)がはっきりと区分されはじめたのはこの頃からなんです。

セカコ:そうか。前は、バラモンとその他、みたいな感じだったっておっしゃっていましたね。

先生:そうですね。クシャトリヤとヴァイシャが力をつけたことで、彼ら自身はバラモンとも、隷属民(15)シュードラとも、はっきり区別されたいでしょうし、バラモンは自分たちを一番上に位置付けておきたい。

セカコ:なるほど。それであのカースト制みたいな4段階の三角形ができたんだ。製鉄技術がカースト制度を作り出したってことですね。

先生:まあ、そう言えなくもないですね。原型は古くからあった訳ですけれども、クシャトリヤとヴァイシャが身分(ヴァルナ)としての自覚を高めたのは、製鉄技術の広がりの影響と言えますね。


東アジアへの製鉄技術の伝播

先生:東アジアでは、前600年頃から鉄器時代に入りました。

セカコ:オリエントより随分遅いですね。

先生:草原の道やオアシスの道はすでにあったと思いますが、東西交易はまだそれほど活発ではなく、製鉄技術が伝わるのが遅かったのかもしれません。もっとも、東アジアへの製鉄技術伝播に関して、東西交易の活発さが主要因であるという直接的な証拠は限定的で、一つの推測に過ぎません。

セカコ:これだけ時期が離れていると、伝わったのではなく、東アジアは東アジアで独自に製鉄技術を発明した可能性もあるのではないですか。

先生:そうですね。そう考えている学者もいます。文明や技術が、どこか一箇所で成立したり発明されたりして、そこから他の地域に伝わったとする一元説に対して、それぞれの地域が独自に文明を発展させ、技術を獲得していったという考え方を多元説と言います。

セカイシシ:確かに、製鉄技術の起源についても、単一起源説に対する多元起源説が提唱されるようになってきておる。今後の研究により、各地域の製鉄技術の起源や発展過程について、より詳細な解明が期待されておる。

セカコ:東アジアでもやはり、農業生産の拡大や氏族単位の農業から戸単位の農業への移行、戦乱の激化や交易の活発化が起こったのでしょうか。

先生:その通りです、鉄製の武器は戦乱を激化させ、春秋時代から戦国時代へと移行していきます。農業技術でも、春秋時代末期に使われはじめた鉄製農具が、牛に犂(カラスキ)をひかせる新しい耕作技術(16)牛耕農法とともに、前4世紀ごろには華北一帯に普及し、農業生産を劇的に高めました。

セカコ:それで、戸単位で農業をするようになっていくんですね。

先生:そうです。農民が(17)氏族単位によらず、(18)家族(戸)単位で農業が可能になると、古くからの氏族制は影響力が弱まり、解体されていきます。東アジアの邑は、氏族の集まりで成り立っていましたから、邑を前提にした邑制国家封建制もうまく機能しなくなります。

セカイシシ:王や諸侯は、それまでは氏族の長をまとめていれば人々を支配できたが、氏族制が機能しなくなると、戸を直接把握しなければならなくなったのじゃ。

セカコ:国家が、氏族単位から戸単位で農民を支配ようとして、戸籍が生まれたんですよね。

先生:その通りです。氏族の長を束ねていた「点」の支配から、ある地域に住む農民全員を把握しようとする「面」の支配に移行していきます。そこで、従来の邑を克服して、中央集権的な(19)領域国家がめざされました。

セカイシシ:鉄器を用いた大規模な治水・灌漑の事業も行われるようになった。これを指導した諸侯たちは、未開地を開墾し、新しい都市集落を建設した。この都市集落は、あらかじめ一定の領域を区画して、その範囲の住民を把握し、支配することを目指すものであった。これをという。

セカコ:ケン?都道府県のけんですか。

先生:そうです。都市国家や邑は、まず集落である都市や邑があって、そこを中心に周辺を支配しています。それが成り立つのは、氏族制を前提にして、氏族の長を束ねて統率しているからです。しかし、氏族制が解体されると、そうした氏族の長を通じた支配は、成り立たなくなります。

セカコ:そこで一定の面積、領域を区画して、そこに住む住民を一人残らず把握しようとする訳ですか。そして戸籍が作られたと。

先生:その通りです。そして自治的な集落であり東アジアにおける都市国家でもあったは、その一定の領域=の範囲の住民を登録し、税を取ったり兵役を貸したりする、国家の出先機関となっていきます。

セカコ:現代の都道府県と似てきましたね。

先生:そうです。というより、古代のこの制度をモデルにして、廃藩置県の時に、明治新政府は「県」を置いたんです。江戸時代の藩は、古代の邑のように、自立した存在で、幕府は藩のトップである大名を束ねていたに過ぎません。明治新政府は、中央集権を目指し、国家がある地域の住民全員を把握して、徴税や徴兵を行おうとしたんです。

セカコ:それで廃藩置県なのか。世界史がわかると、日本史の理解も深まりますね。

先生:そうですね。一つ注意点として、日本では「県」の下に「郡」がありますが、古代中国では逆で、「県」をいくつかまとめたものを「郡」と言います。これは明治以来の日本と逆なので注意してください。

セカコ:どうして反対なんだろう。薩摩や長州の政治家は、古代史を知らなかったのだろうか。

先生:古代中国では、まず「県」があって、それをいくつか束ねて「郡」にしました。一方、日本では、奈良時代に「国」の下に「郡」が置かれていて、その「国」を「県」に置き換えたので、「県」が「郡」の上に来てしまったんですね。

セカコ:なるほど。

先生:やがて、戦国時代の諸国は、自立性の強かった旧来の邑も、直属の(20)県として再編成していきます。こうして東アジアでは、国家や支配のあり方が変わっていきます。

セカコ:鉄の力って本当にすごいですね。世界史の色々なものをガラリと変えてしまった。先ほど、どうしてアメリカ大陸では製鉄技術が発明されなくて、アフロユーラシア大陸では発明されたのか、というお話をしていましたが、発想を変えると、偶然にも製鉄技術が出てきたからこそ、アフロユーラシア大陸のその後の発展があるのだとも言えそうです。ゲームにミスリルっていう実在しない魔法の金属が出てくるんですが、世界史では鉄こそが魔法の金属だといえそうですね。

先生:なるほど。鉄は世界史における魔法の金属ですか。それはいい表現ですね。それでは、ギリシアや南アジア、東アジアの鉄器時代の続きは、それぞれ内容が膨大ですから、また別の機会に学びましょう。今回は、この後、オリエントの話に戻りましょう。重要語句まとめ

セカコ:今回の重要語句をまとめておきます。

1 海の民 
2 エラム人 
3 製鉄技術 
4 鉄器時代 
5 ケルト人 
6 鉄製農具 
7 氏族 
8 家族(戸) 
9 ポリス 
10 クレーロス 
11 ガンジス川 
12 バラモン 
13 クシャトリヤ 
14 ヴァイシャ 
15 シュードラ 
16 牛耕農法 
17 氏族 
18 家族(戸) 
19 領域国家 
20 県

 


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