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「三月」は、一年の終わりと新たな始まりの時期だった?古代のカレンダーのお話

 卒業式が三日後に迫りました。

 3月に卒業式をやるのは、主要国では日本だけだと言います。

 5月〜7月という地域が多いようですね。日本人は、卒業式というと三月を思い浮かべることが多いので、5月〜7月に卒業式というのは、しっくりこない気もします。

 新学期を秋から始めるべきだという議論を時々見かけますが、僕は日本は今のままでいいのではないかと思っています。

 地域によっては桜が見頃ですし、日本人の感性に合っている気もします。

 実は、日本も教育制度が整ったばかりの明治初期は、卒業式は三月では無かったようです。江戸時代にはそもそも、一定の時期に卒業という考え方がなかったようです。

 それならば3月にこだわる必要はないのではないかとおっしゃるかもしれませんが、実は世界史を紐解くと、意外な事実が明らかになります。

 古代バビロニアやその影響を受けた古代ギリシアなどは、現在の3月下旬に一年が始まり、現在の3月中旬に一年が終わっていました。

 日本の卒業式のタイミングは、不思議なことに、これらの古代文明のカレンダーと一致しているのです。

 世界史の授業で生徒にこの話をすると、どうして3月下旬などという不規則な位置から一年が始まったのかと、疑問に思う生徒が多いようです。

 でも、それは発想を変えてください。

 事実は、古代のカレンダーが不規則なのではなく、私たちの使っている現代のカレンダーの方が不規則なのです。

 古代のカレンダーは、春分始まりでした。古代文明というのは、他に学問がなかったわけではないのでしょうが、天文学についてはものすごく進んでいて、カレンダーも精緻な天体観測に基づいて作られていました。

 皆さんは、十二星座が、妙な位置から始まって妙な位置で終わる、と思ったことはありませんか。

 あれは実は、古代のカレンダーの名残です。牡羊座が古代の一月、牡牛座が二月、順に相当して、魚座が12月に当たります。牡羊座は春分から始まるはずです。

 21世紀現在も、この古代のカレンダーとほぼ同じカレンダーを使っている国があります。

 ご存じですか。

 答えはイランです。もとになっているのは、12世紀の天文学者ウマル=ハイヤームが作ったカレンダーです。

 実は、春分を1月1日とするイランのカレンダーがもっとも天文学に基づいているのです。

 私たちのカレンダーの1月1日には天文学的な根拠はありません。これは私たちのカレンダーが、宗教権力によって定められたものだからです。理論はさておき、教会の定めた暦に従えということです。この話は後で述べます、

 東アジアでは、二十四節気が、これに相当します。東アジアででは、立春から一年の周期が始まると考えたようです。これは、春分を基準に、黄道の左右それぞれ45度、合わせて90度の範囲を「春」と捉えたからです。ですから、東アジアの一年の起点である立春と、オリエントの一年の起点である春分は、黄道の45度分、約45日ずれているわけです。

 英語の月名は、古代ローマの月名をもとにしていますが、これも古代は三月始まりでした。英語でMarch、ラテン語でMartiusが一月に相当します。いまでもMartiusから数えて七番めの月をSeptember(Septem=第七)、八番めの月をOctober(Octo=第八)と言うのはその名残りです。

 英語のMarch、ラテン語のMartiusは、ピッタリ春分から始まりませんし、東アジアの旧暦もピッタリ立春から始まりませんが、これは古代のカレンダーがエジプトやマヤなど一部の地域を除いて基本的に「太陰暦」であったことの名残りです。

 月の満ち欠けをもとに一ヶ月を数えたんですね。「一ヶ月」と言う言葉はここからきています。ただ、それだと十二ヶ月で354日となってしまい、約11日足りないので、規則を決めて約3年に一度「閏月」を入れて、一年を十三ヶ月としていました。

 意外かもしれませんが、中国や日本では、19世紀後半や20世紀初頭まで、「閏月」の入る旧暦を使っていました。

 閏月の入る入らないで、一年が354日になったり、384日になったりするので、一年の始まりは約一ヶ月ほどの幅でずれます。

 中国の春節は今でも旧暦で祝うので、年毎に変動します。

 2020年1月25日
 2021年2月12日
 2022年2月1日
 2023年1月22日
 2024年2月10日
 2025年1月29日
 2026年2月17日
 2027年2月6日
 2028年1月26日
 2029年2月13日
 2030年2月3日

 このように、太陰暦である旧暦の正月は、立春(2月4日頃)の前後に変動します。

 古代ローマのカレンダーも太陰暦でしたので、Martius(March)が変動したと考えられます。

 古代ローマが伝統的な太陰暦をやめてエジプト由来の太陽暦を採用したのは、世界史受験生なら誰でも知っている、前1世紀のカエサルの時です。その際に、ズレが生じたとも考えられます。

 実話かどうかはともかく、受験世界史では、エジプト女王クレオパトラに惚れたカエサルが、彼女の国のカレンダーをローマに導入した、なんていうロマンチックな想像をしながら覚えます。

 もっとも古代の太陽暦は、ユリウス暦であり、4年に一度閏年を挟むものなので、少しずつずれていきます。公転周期がちょうど365.25日であればユリウス暦で良いのですが、実際の公転周期は365.2425でしたっけ、365.25に満たないので、毎年ちょっとずつ地球はオーバーランしてしまいます

 この辺りの話は、世界史教員の私ではなく、地学の先生から詳しく聞いてください。

 皆さんが使っているカレンダーは、カトリック教会が1582年に定めたグレゴリオ暦です。こちらは、ユリウス暦のずれを補正してオーバーランしたぶんが貯まってできた余分な日付を10日間カットしたものです。さらに、閏年を400年に97回と、ユリウス暦よりも3回減らしたため、約400年が過ぎた現在ではユリウス暦と13日ずれています。

 春分は、私たちの使っているグレゴリオ暦では今年は3月20日ですから、ユリウス暦では3月7日が春分となります。

 カレンダーってこんなに適当なんですね。

 ユリウス暦は独裁者であったカエサルが、グレゴリオ暦は宗教組織の長であるローマ教皇(受験世界史ではグレゴリウス13世と覚えます。)が定めたものなので、天文学的な正確さよりも、暦を世に強制することで権力を示す目的の方が強かったと考えられます。

 そうそう、クリスマスが12月25日なのも、実は、古代のカレンダーと関係があるんです。

 キリスト教が公認された4世紀、ローマ帝国時代のユリウス暦のカレンダーでは、3月25日が春分に相当していたようです。お分かりでしょうか、12月25日は、冬至に当たります。

 古代のキリスト教は、ローマ帝国時代に先進地域だったオリエントの影響を色濃く受けました。

 エジプト起源のイシス教では、女神イシスが赤子のホルスを抱いた姿で描かれ、信仰されました。キリスト教の聖母信仰や聖母詩画は、イシス教の影響を受けていると言われています。(注:諸説あります)

 イラン起源のミトラス教では、太陽神ミトラスが、冬至の日に生まれるとされていました。日照時間は、冬至からどんどん長くなりますからね。そこでキリスト教は、イエスもミトラスと同じく、冬至に生まれると考えたと言うのです。(注:諸説あります)

 ところがローマ皇帝がキリスト教の教義に介入した初の会議であるニケーア公会議で、春分は3月21日だということにしたようです。

 この影響で、冬至も12月21日ごろにずれました。12月25日だけは、イエスの誕生日として、そのまま残ったと言うわけです。(注:諸説あります)

 世界史の授業の雑談のようになってしまいましたが、こうして歴史を振り返ると、魚座の期間に卒業式をして、春分を過ぎ、牡羊座の期間に入学式をするのは、古代のカレンダーと一致していることになります。

 日本の「年度」の始まり終わりと、古代オリエントのカレンダーがこんなに似ているなんて、何だか不思議だと思いませんか。

 雑談でした。


 

 

 

 

 

 

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