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ソ連の崩壊

先生: 今回は、ソ連の崩壊について話しましょう。ゴルバチョフが1989年12月にブッシュ米大統領と地中海のマルタで行った首脳会談を覚えていますか?

セカコ: はい、マルタ会談では、冷戦の終結が宣言されたんですよね。

先生: そして1990年10月、西ドイツ東ドイツを吸収して統一ドイツが誕生しました。さらに、1991年には米・ソ間第1次戦略兵器削減条約(START I)が成立し、コメコンとワルシャワ条約機構も解消されました。これらの出来事は、どのような世界的な変化を象徴していると思いますか?

セカコ: 冷戦時代の緊張が緩和し、新しい国際秩序が形成されつつあったことを意味しています。

先生: その通りです。また、1990年8月には、サダム・フセインの指導するイラクが隣国クウェートに侵攻しました。これに対し、米・ソは協力してイラクを非難し、国連安全保障理事会はイラクへの武力行使を容認しました。1991年1月、アメリカ主導の多国籍軍がイラクを攻撃し、クウェートを解放しました。この湾岸戦争は、どのような新しい展望を示していたと思いますか?

セカコ: 米・ソが協力して、国連を中心とした国際秩序を構築しようとしていたことを示しています。

先生: その通りです。しかし、ソ連国内では深刻な混乱が生じていました。ペレストロイカの進展とともに言論の自由が認められ、共産党の過去の弾圧や資本主義の優位が公然と議論されるようになりました。特に、バルト3国はソ連からの離脱を求め、他の共和国でもナショナリズムが台頭しました。そして、ロシア共和国では、エリツィンが社会主義の放棄を訴え、多くの市民の支持を集めたのです。ゴルバチョフの市場経済への移行の試みは、どのような問題に直面しましたか?

セカコ: 計画経済に慣れた企業では原材料の調達や流通に混乱が生じ、深刻な物不足が発生しました。

先生: そうですね。そして、1991年8月には政府内の共産党保守派によるクーデターが発生しましたが、エリツィンを中心とする市民の抵抗によって失敗しました。これがソ連共産党の解散、バルト3国の独立への道を開いたのです。そして、1991年12月にはエリツィンウクライナベラルーシの指導者と共に独立国家共同体(CIS)を結成し、月末にソ連は消滅しました。

セカコ: 冷戦の終結は、東欧革命やマルタ会談を経て段階的に進行し、最終的にソ連の消滅によって完了したんですね。

先生: また、共産党独裁体制は中国などで維持されましたが、冷戦を通じて投げかけられた問い、「資本主義と社会主義のどちらがより多くの繁栄をもたらすか」に対しては、資本主義の勝利という答えが与えられました。しかし、セカコさん、資本主義が生み出す不平等や格差をどう解決するかという問題は、今もなお未解決のままに残されています。


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