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【セカコの世界史2024】3-2 アフロユーラシア大陸における古代文明の成立

3-2 アフロユーラシア大陸における古代文明の成立


アフロユーラシア大陸における古代文明

先生:ここでは、アフロユーラシア大陸で成立した具体的な文明の例を見ていきます。それぞれの文明については、後日、ひとつひとつ取り上げて詳しく学ぶので、ここでは簡単に、どこで、どのような文明が成立したかをまとめておきます。アフロユーラシア大陸では前 4 千年紀に、麦を栽培する農業を基盤に、最古の文明がオリエントで成立しました。

セカコ:最初の一つがメソポタミア文明ですね。テキストによれば、ティグリス・ユーフラテス両川流域の沖積平野 (1)メソポタミアで成立し、ウル、 ウルク、ラガシュ、ニップールなどの都市国家が成立しました。ウルクでは最初の文字記録が発見され、ウルクが文明の発展を先導したことがうかがえます。

先生:メソポタミア文明は、現在のイラク南部にあたる地域で紀元前3000年頃までに成立しました。ユーフラテス川とティグリス川に囲まれた肥沃な土地であり、農耕が発展しました。都市国家が形成され、シュメール人の文明に続いて、アッカド帝国、バビロニア王国、アッシリア王国などが栄えました。この地域は、文字の発明、法律制定、都市計画、数学・天文学・医学などの発展に大きく貢献しました。しかし、周辺の遊牧民族の侵入や気候変動などの要因で、紀元前6世紀にはペルシア帝国に征服され、その後もさまざまな支配者の支配を受けました。

セカコ:ほぼ同じ頃、(2)ナイル川流域のエジプトでも高度な文明が発達しました。ナイル川沿いに数珠つなぎに成立したエジプトの集落・都市を (3)ノモスと呼びます。覚えておきましょう。

セカイシシ:エジプト文明は、ナイル川流域で発展した古代文明じゃ。紀元前5000年頃にはすでに定住していた人々が、紀元前3000年頃までに上下エジプトを統一し、メネス王が都市国家を束ねる最初の王(ファラオ)となった。それ以降、約3000年間にわたって続くエジプト文明が栄えた。
 エジプト文明の最も特徴的な成果は、ピラミッドやスフィンクスなどの壮大な建造物じゃ。芸術や文学、医学、天文学、数学なども高度に発展した。
 エジプト文明は、ヒエログリフと呼ばれる独自の文字を持ち、この文字で書かれた『死者の書』や『ピラミッド・テキスト』といった膨大な量の文献が残されておる。エジプト文明は、紀元前4千年紀から紀元前4世紀まで続き、古代世界でもっとも長い期間にわたって栄えた文明のひとつじゃ。

先生:前3千年紀になると、東地中海にエーゲ文明、南アジアにインダス文明が成立しました。

セカイシシ:エーゲ文明は、地中海東部に発展した文明じゃ。青銅器時代を代表する文明として知られておる。紀元前3000年頃から紀元前1200年頃まで続いた。主にギリシア本土とエーゲ海の島々、クレタ島、西アナトリア半島にまたがって栄えた。彫刻、建築、金属加工、陶芸、宗教儀式の実践など、多くの芸術や文化的活動が発展し、エジプト、メソポタミア、インダス文明と並ぶ世界の古代文明の一つとして知られておる。

セカコ:私は、インダス文明について調べました。インダス文明は、紀元前2600年から紀元前1900年頃にかけて、現在のパキスタンとインド北西部に存在した文明です。インダス川流域に発展し、世界最古の都市文明の一つとされています。この文明は、広大な都市遺跡や工房跡から、高度な都市計画、水道・下水道、金属加工技術、織物、陶器などの高い文化的技術力を持っていたことが分かっています。また、象形文字のような表記が残されていますが、解読されていません。紀元前1900年頃には、原因は分かっていませんが、急速な衰退を迎え、その原因や文明がどのように滅びたのかは、現在も謎とされています。

先生:前 2 千年紀になると、東アジアの(4)黄河(5)長江の流域でも都市文明が成立しました。これは後日、詳しく学びましょう。


文明が成立した地域と成立しなかった地域は何が違うのか

セカコ:アフロユーラシア大陸で、文明が成立した地域には、いくつかの共通点があるように思います。

先生:そうですね。どんな共通点があるでしょうか。

セカコ:大河の流域で栄えています。

先生:先ほど名前を挙げた文明のうち、エーゲ文明以外は、大河の流域で栄えていますね。どうしてでしょうか。

セカコ:文明が成立するためには、農業生産力が高まって、集落の人口が増えて、都市から、都市国家へと成長していく必要がありました。大河の流域では、農業生産力が高まり、文明の成立につながったのではないでしょうか。

先生:その通りですね。他にも共通点がありますが、気づきましたか。

セカコ:そうだな、緯度がほぼ同じです。

先生:そうですね。アフロユーラシア大陸の古代文明は北緯30度から40度付近の中緯度帯に並んでいます。緯度がほぼ同じということは、どんな利点があるのでしょうか。

セカコ:気候も似ているのではないでしょうか。エジプト、メソポタミア、エーゲ海周辺、インダス川流域、黄河流域は、いずれも乾燥帯か、それに近い気候です。エーゲ海周辺と長江流域は、温帯ですが、あとは乾燥帯です。自然条件が似ていれば、互いに技術や知識を交換して役立てやすいと思います。

先生:エーゲ海周辺は地中海性気候ですよね。地中海性気候は、温帯の中でも、乾燥帯に近い気候です。古代文明の多くは、乾燥帯や乾燥帯に近い気候の地域で、成立したといえそうですね。

セカコ:乾燥帯より、温帯の方が、人類にとって住みやすいイメージがありますが、エーゲ文明以外、古代文明は成立しなかったんですね。日本やヨーロッパは温帯ですが、古代文明は成立していません。どうしてなんだろう。

先生:温帯で農耕や都市の発達が遅れた理由は、いくつか考えられます。一つは、逆説的ですが、自然の恵みの豊かさ、です。先ほど、温帯の方が住みやすいイメージがあります、と言いましたよね。まさにそれが、農耕や都市の発達が遅れた理由です。

セカコ:住みやすいことが、農耕や都市の発達が遅れた理由なんですか。

先生:地理で熱帯、乾燥帯、温帯、冷帯という気候区分を習いましたが、旧石器時代のような、狩猟や採集での生活が成り立ちやすいのは、どの気候帯でしょうか。

セカコ:熱帯は、食性が豊かで、動物も多いので、食べ物に困らなさそうです。温帯も同じかな。

先生:では、旧石器時代のような、狩猟や採集での生活が難しいのは、どの気候帯でしょうか。

セカコ:乾燥帯と冷帯でしょうか。でも、冷帯には、人口は多くないけれども、狩猟民が暮らしている印象があります。植生もありますし、動物も割といますよね。

先生:そうですね。住みやすい、かどうかはわかりませんが、人類は氷河時代を狩猟と採集で生き抜いていますからね。人類は、冷帯には適応できるはずです。

セカコ:そう考えると、乾燥帯が一番厳しいです。植生が乏しいし、狩りをする動物もあまりいません。

先生:それが答えです。

セカコ:そうか、わかりました!少ないから増やすんですね。農耕や牧畜が、乾燥帯で発達した理由は、そういうことだったのか。

先生:都市文明もそうです。実はこの後学習する、古代帝国も乾燥帯で成立しています。アッシリア、アケメネス朝、アレクサンドロス帝国、ローマ帝国、秦漢帝国、いずれも乾燥帯か地中海性気候のような乾燥した気候の地域で成立しています。

セカコ:日本やヨーロッパのような温帯ではないのが意外でしたが、先程の説明で納得しました。

先生:温帯はあわてて農耕や牧畜を始めなくても、普通に生活していけたのです。縄文時代に農業をやっていないのは、遅れているからじゃなくて、それで十分暮らしていけるからなんですね。それに、温帯地域は豊かな植生に恵まれ、森が生い茂っているので、農耕をしたり、都市を建設したり、帝国を築いたりするのに向いていないんですよ。「森の帝国」なんて世界史上にほとんど出てきませんよね。

セカコ:そうですね。でも、日本やヨーロッパでも、やがて農業が始まって統一国家が登場します。

先生:そうですね。他にガンジス川流域など、降雨があって植生がある温帯地域でも、乾燥帯より遅れていますが統一国家が成立してきます。

セカコ:それはどうしてですか。

先生:鉄ですね。

セカコ:鉄?

先生:青銅器の後に、鉄器が登場します。鉄は青銅と違って、庶民でも入手できたので、森を切り開いて農地を作れるようになります。

セカコ:なるほど。

先生:この話は、長くなりそうなので、後日にしましょう。第8巻「鉄器時代の始まり」で詳しく学びます。

文明が成立しなかった地域

セカコ:アフロユーラシア全体を見渡すと、文明が成立した地域はむしろ限られていて、文明が成立しなかった地域の方が多いように見えます。

先生:そうですね。これまで見てきたように、乾燥帯や外来河川という、限られた条件の地域以外では、文明は成立しなかったわけです。

セカニャン:文明が成立した地域は進んだ地域で、文明が成立しなかった他の地域は遅れた地域だと思っていたニャ。

先生:文明を先進的なもの、ととらえると、そういう理解になりますね。

セカコ:私も、中学校で四大文明の授業を受けて、文明が成立した地域の文化や技術が、他より進んでいたから、文明の成立につながったというふうに理解していたのですが、今回の授業を受けて、そうした考え方が一面的だったということに気づきました。

先生:そうですね。同じ時代の日本列島やユーロッパが、遅れていた、とは断定できないと、私も思います。

セカコ:文明が成立した地域が、乾燥帯とその周辺だったというのは驚きました。自然から食糧を得ることが難しく、効率的に食糧を得るためには、外来河川やオアシスなど限られた条件を生かして農耕を行う必要があったわけですよね。文明というのは、必要に迫られて、仕方なく一部の人類が選び取った、社会の姿なのかもしれませんね。

先生:そうですね。最後に、同じ時代のアフロユーラシア各地の様子を見ておきましょう。

セカコ:有名な(6)ストーンヘンジは、メソポタミア文明やエジプト文明と同時期の遺跡ですよね。

先生:グレートブリテン島のストーンヘンジは、前3千年紀の巨石建造物です。天文学的な要素をもつ宗教遺跡と考えられています。

セカイシシ:ストーンヘンジは、イギリスのウィルトシャー州にある、直径約30メートルの土盛りの中に巨石を組み合わせた円形の輪状構造物じゃ。最大の石は高さ7メートル、重さ50トン以上ある。紀元前3000年頃に建造されたとされ、その目的や建造者についてははっきりしていおらぬ。一説には、天文観測や儀式、暦などに関する場として使われたのではないかと言われておる。ストーンヘンジは約4000年間にわたって何度も改築や修復が行われたとされ、18世紀には荒廃しておったが、20世紀初頭に復元された。現在は、観光地として多くの人々に愛されておる。

先生:石をテーブル状に組んだものを(7)ドルメン 、石を垂直に建てたものを(8)メンヒルといます。ドルメンやメンヒルは、アフロユーラシア各地で見られます。東アジアではドルメンを支石墓といい、朝鮮半島など各地に分布しています。

セカイシシ:支石墓は、日本では原山支石墓群や大野台支石墓群など、縄文時代晩期の長崎県に多く残されておる。特徴的な屈葬や箱式石棺を伴うことなど、独自性も認められる。日本の支石墓は弥生時代前期が終わる頃に、ほぼ終焉を迎えている。 朝鮮半島では無文土器時代にあたる紀元前500年頃に見られ、遺構は半島のほぼ全域で見られる。その数は数万とされ、世界の支石墓の半数が朝鮮半島にあるともいわれている。

セカコ:支石墓の意味や、ストーンヘンジが作られた目的は、わかっていないんですよね。

先生:これらの地域ではまだ文字がなかったため、記録が残されていません。そこで推測するしかないわけです。ただ、文字はなくても、ある方法でなら、限られた範囲ですが、古代人の目的や意図を知ることができます。

セカコ:文字がなくても、古代人の目的や意図を知ることができるんですか。テレパシーとか?

先生:それは面白いですね。テレパシーではありません。

セカコ:どうやったら、文字がなくても、古代人の目的や意図を知ることができるんだろう。

先生:私たちは、古代人と同じ惑星の上で生活をしているということがヒントです。

セカコ:それならわかりました。ストーンヘンジは、方角や角度が緻密に計算されて設計されていると聞いたことがあります。ピラミッドもそうですよね。古代人は、天体観測を行い、角度や方位を合わせて、石を配置したり、積み上げたりしています。それなら、何のためにそうしたかはわからなくても、どの向きに向けて、どのように計算して、石を組んだり積んだりしたかを、知ることができます。文字を持たない古代人が、私たちに残した、文字ではない、メッセージなのかもしれませんね。

先生:そうですね。もう一つ、見ておきましょう。ユーラシア内陸部の草原地帯では、前2千年紀から前1千年紀にかけて遊牧社会が成立していきます。

セカコ:草原の遊牧民も、文明を持たない人々ですよね。

先生:そうですね。今回のように、私たちが、都市や文字、巨大な建築などを「文明」の条件と定義してしまえば、そうなります。ただし、草原の遊牧民も金属は使いましたし、自然と共生しながら暮らしていくための高度な文化や社会、生活様式が発達しました。

セカコ:遅れていた、とはいえなさそうですね。

先生:そうでうね。遊牧と文明は、乾燥帯の地理条件を最大限に活かす、二つの方法であり、条件に合わせて、どちらを選び取ったかにすぎません。

セカコ:乾燥帯の地理条件を最大限に活かす、二つの方法、ですか?

先生:温帯や熱帯では、豊かな自然の恵みの中で、自然とともに生きていくことができました。乾燥帯では、自然が過酷だったので、工夫をしていく必要があった。そこで、外来河川やオアシスを生かして栽培を始める人々が現れたり、限られた草で食糧や道具の素材となる家畜を育てるために複数の草葉を移動しながら生活する人々が現れたわけです。

セカコ:文明も遊牧も、乾燥帯を生きる人々が考えた知恵だということですか。文明と遊牧が、進んだ、遅れた、ではなく、それぞれ選び取られた選択肢の一つであることがわかりました。

先生:今回の第3回でそれがわかっていただけたのは、嬉しいです。歴史学は文字をもとにしていますから、今後世界史を学んでいくと、文字を持つ文明側からの、文字を持たない遊牧側に対する、一方的な偏見にもとづいた記録や表現に触れることになります。

セカコ:一方的な偏見にもとづいた記録ですか。

先生:ヘロドトスらギリシア人が、他民族や遊牧民スキタイをバルバロイという蔑称で呼んだり、司馬遷ら中国人が、遊牧民匈奴のような周辺民族を蔑視したりしています。一方で、ローマのカエサルが『ガリア戦記』でケルト人を客観的に描いたような例もあります。これらは、それぞれの時代、地域を学ぶ際に学習しましょう。

セカコ:世界史は、文明と遊牧の相互関係を一つの軸としていて、文明がわが遊牧がわをどう記録したかを注意しながら学んでいくことが、大切なんですね。

先生:そうですね。セカイシシさん、遊牧民について、教えてください。

セカイシシ:遊牧は、家畜の放牧に適した広大な草原や砂漠などで行われた。移動しながら家畜を養育することで、土地の資源を最大限に利用することができた。
 遊牧民は、自然と共存しながら生活するため、環境に適応力があった。家畜や食料、衣服、住居など、あらゆる生活必需品を自給自足でまかなうことができたのじゃ。
 遊牧民は、しばしば遊牧と農耕を併用することもった。一部の遊牧民は、農耕民になっていったり、都市に住むようになったりするなど、様々な進化を遂げもした。

先生:遊牧民については、第9回で、詳しく学びましょう。重要語句まとめ

セカコ:この節で学んだ重要語句をまとめておきましょう。

1  メソポタミア
2  ナイル川
3  ノモス
4  黄河 
5  長江
6  ストーンヘンジ 
7  ドルメン 
8  メンヒル

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