見出し画像

2024年、本年もよろしくお願いいたします。

2024年、本年もよろしくお願いいたします。

年末から地元新潟に帰省しております。

二学期の激務?がたたってか、年末は体調不良で寝込んでしまい、料理もお酒も楽しめないまま、年末年始を過ごしました。31日は体調が良かったので、少しだけお料理を食べて、紅白歌合戦のyoasobi「アイドル」を見ながら、少しだけお酒をいただき、年越し蕎麦を食べました。

******

新年も体調が戻らず、伏せっています。

1日には、地震があり、新潟もかなり揺れました。

僕は燕三条の実家に帰省しているのですが、友人知人が多く住み、自宅マンションもある新潟市西区では液状化を初め多くの被害が出ているようです。様子を見に行きたいのですが、体調が悪いのと、越後線が止まっていて、移動もままなりません。

共通テストを10日後に控え、受験会場となっている新潟大学に向かう越後線が不通なのが心配です(職業柄、どうしてもここが気になります)。受験生のためにも、越後線の復旧、代替輸送の手配、万が一の場合の会場変更などの想定と準備も必要になるのかなあと勝手に思ったりします。

越後線が無事に復旧することを願っています。

*****

実は1日、体調不良(頭痛)で起き上がれなくなり、夜、妻が救急車を呼んで、病院に搬送されてしまいました。頭部と胸部の検査をし、点滴を受けました。

8歳か9歳の時に、一度だけ、頭を怪我して、救急車に乗せられたことがありました。幼い記憶で、長く忘れていたのですが、今回、救急車の中で、記憶が蘇ってきました。

他人の付き添いでは、仕事上でもプライベートでも、何度か乗っていますが、自分が搬送されたのは、その時以来ですので、約40年ぶりになりますね。人生で二度目の救急搬送でした。

それで、救急車の天井を見ながら、もうずっと悪れていた、8歳か9歳の時の記憶が蘇ってきたのです。

あの時は、頭を怪我しておでこから出血し、救急車に乗せられました。

時間が40年くらい戻って、自分が8歳くらいの少年に戻ったように錯覚しました。不思議なものですね。

我に帰ると、隣に妻と4歳の息子がいました。

検査と点滴を終えて、入院までは必要なかったようで、フラフラでしたが、タクシーで帰宅しました。

2024年の元旦は、生涯忘れない1日となってしまいました。

さらに2日は、羽田のニュースで、びっくりしました。

僕は若い頃に、モスクワ空港で一度、着陸時に、人生はここまでかもしれないと覚悟するほどの怖い経験をしたことがあって、飛行機は本当に怖いなあと思います(確率上は最も安全なのだと分かってはいるのですが)。

この後、東京に戻ります。

新幹線は復旧したようなので、手配済みの切符でなんとか帰京できそうです。

本年もよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?