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【セカコの世界史2024】 22-1 イエスの伝道とキリスト教の成立

ローマ帝国と宗教


先生:今回は、キリスト教の成立を学びます。まずは、キリスト教成立以前のローマ帝国の宗教について確認しておきましょう。キリスト教が登場する前、紀元前ですね、ローマにはどんな宗教があったか、覚えていますか。

セカコ:多神教でしたよね。ジュピターとか、ヴィーナスとか、曜日や惑星の名前の由来になっていると、以前に教えて頂きました。

先生:そうでしたね。古くからのローマ人の宗教は(1)多神教でした。アウグストゥスの時代ローマにあらゆる神を祭る(2)パンテオン(万神殿)が建てられました。セカイシシさん、パンテオンについて詳しく教えてください。

セカイシシ:パンテオンという名前は、ギリシア語で「全ての神々」を意味する言葉に由来しておる。パンテオンは、紀元前27年に建設されたものが火災で焼失した後、現在の建物が紀元125年にローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。建物は、直径43メートルの円形の内部空間にドーム天井があり、中央には天窓が設置されておる。建物の正面には、8本の柱が並び、その背後には広い広場が広がっておる。

先生:ありがとう。パンテオンには、ローマの神々だけじゃなくて、征服した諸民族の神々も祀られていたんですよ。

セカコ:とっても寛容ですね。アケメネス朝を学んだ時に立てた「寛容な帝国は栄える」という仮説を思い出しました。

先生:そうですね。ところで、キリスト教が広まる以前に、ローマ民衆の間に広まった宗教があるのをご存知ですか。

セカコ:それは初めて聞きました。

先生:東方起源の密議宗教が広まりました。霊魂の救済を説くイラン起源の太陽神信仰(3)ミトラ教(ミトラス教)や、エジプト起源でオシリスの妹・妻であり航海の守護神とされたイシスを信仰する(4)イシス教などです。

セカコ:ミトラとイシスですか。興味あります。

セカイシシ:ミトラ教(ミトラス教)は、古代ペルシアの神ミトラ(Mithra、ミスラ)に由来する宗教で、古代ローマで広く信仰されておった。ミトラ教は、紀元前1世紀から紀元4世紀までの間に、ローマ帝国全域に広がり、特にローマ軍隊や商人の間で人気があった。

 ミトラ教は、秘密主義的な信仰体系であり、信徒たちは秘密儀式を行い、その秘密を他の人々から隠しておった。信仰の中心となるのは、太陽神であるミトラであり、彼は真理と正義を象徴し、世界を創造する神であるとされておった。
 
 ミトラ教の儀式では、牛の犠牲を捧げる儀式が中心であり、信仰者たちは、牛の血を飲んだり、肉を食べたりすることがった。また、ミトラ教の信仰者たちは、約束の地への旅を象徴する儀式を行うことがあった。

 ミトラ教は、ローマ帝国の崩壊とともに衰退していったが、その影響は中世のキリスト教にも及び、ミトラ教の影響がキリスト教に取り入れられたという説もある。現代においても、ミトラ教に関する研究は進められており、その謎めいた信仰と歴史的重要性が注目されておる。

セカコ:ミトラ教の影響がキリスト教に取り入れられたというお話は興味深いですね。

先生:ミトラは、太陽神なので、冬至に新たに生まれ変わるそうです。イエスの誕生日が冬至の時期に設定されたのは、ミトラの人気にあやかったからだとも言われています。

セカコ:え、イエスの誕生日って設定だったんですか。

先生:正確にはわからないので、後年、定められたものだと言います。

セカコ:クリスマスって設定だったのか。

先生:イシス教は、エジプトの女神イシスを崇拝します。イシス教には、イシス神の夫であるオシリス神、その息子であるホルス神など、古代エジプトの神々を崇拝する要素も含まれています。イシスは子を抱く姿で描かれることが多く、キリスト教の聖母子像のモチーフは、イシス教の人気にあやかろうとしたものだとも言われます。

セカコ:キリスト教は、ミトラ教やイシス教からかなり影響を受けていた可能性があるんですね。ローマ人が、先進地域だったオリエントの宗教をどんどん受け入れたというのは、興味深い話ですね。宗教に寛容というか、無頓着なところがあったのかもしれませんね。

ローマ帝国時代のパレスチナ


先生:次に進みましょう。ローマの属州ユダヤとなったパレスチナ地方ではユダヤ教が信仰されていました。

セカコ:ユダヤ教は、以前に習いました。バビロン捕囚をきっかけに成立したのでしたよね。唯一神ヤハウェを信仰し、選民思想を持ち、戒律を重視し、救世主(メシア)の出現を待望する教えでした。

先生:紀元前後のパレスチナは、ローマ帝国の属州の一つでした。

セカコ:ポンペイウスが征服したんでしたよね。

先生:そうですね。パレスチナに置かれた属州ユダヤでは、他の属州と同様、ローマから派遣される総督(プロコンスル)が統治しました。ローマの総督のもとで現地を統治していたハスモン朝に代わって、前37年にヘロデ朝が成立しました。この王朝はローマに従順で、(5)ヘロデ王やユダヤ教祭司の協力を得ながら、統治や徴税にあたりました。

セカコ:子どもの頃、絵本で読んだ記憶では、ヘロデって、悪い王様のイメージがあります。実際はどうなんですか。

セカイシシ:ヘロデ王は、古代ローマ時代のユダヤ地方の王で、紀元前37年から紀元4年まで王位にあった。ヘロデ王は、古代ローマとの強い関係を築いておった。彼は、古代ローマの元老院から「ユダヤ王」の称号を与えられ、ローマの支援を受けてユダヤ地方を支配した。彼は、ヘロデ朝を築き、ユダヤ地方の都市を建設し、宗教的な建築物や公共事業などにも多大な貢献をした。

セカコ:良い統治者でもあったんですね。

セカイシシ:しかし、ヘロデ王はユダヤ人の中でも非常に不人気であり、彼の支配はしばしば反乱や暴動に見舞われた。また、彼は政敵や反対派を残忍な手段で処刑したことでも知られておる。さらに、彼はキリスト教徒を弾圧し、イエス・キリストの生誕時には幼児の虐殺を命じたとされておる。

セカコ:幼児の虐殺!?本当なら許せない。

セカイシシ:ヘロデ王の死後、ユダヤ地方はローマ帝国の支配下に入り、古代ローマの支配が続くこととなった。しかし、ヘロデ王が築いた都市や建築物は、現在でもユダヤ地方の重要な観光地となっており、多くの人々に訪れられておる。

先生:ヘロデ王は、新約聖書の中でもいくつかの箇所で登場します。マタイによる福音書では、イエスの誕生時に、ヘロデ王がイエスを殺そうとしたため、母マリアと父ヨセフはイエスを連れてエジプトに逃れたとあります。マタイによる福音書には、ヘロデ王が二歳以下の男の子の皆殺しを命じたことが記されています。

セカコ:事実なんですか。

先生:事実というか、福音書にそう書かれているということです。『新約聖書』を引用してみましょう。まず、イエスが命を狙われる場面です。『新約聖書』はギリシア語なんですが、私は大学時代にギリシア語が難しくて挫折してしまったので、ラテン語訳と日本語訳をお示しします。将来退職して、学び直す時間が取れたら、ギリシア語で『新約聖書』を読んでみたいと思っています。

マタイによる福音書2章13節

ラテン語:
Et postquam recesserunt illi, ecce angelus Domini apparuit in somnis Joseph, dicens: Surge, et accipe puerum, et matrem ejus, et fuge in Aegyptum, et esto ibi, usque dum dicam tibi: futurum est enim ut Herodes quærat puerum ad perdendum eum.

彼らが去った後、主の使いがヨセフに夢で現れて言った。「起きて、赤ん坊とその母親を連れ、エジプトへ逃げなさい。私が話すまで、そこにとどまりなさい。ヘロデが赤ん坊を探し回り、彼を殺そうとしているのである。」(拙訳)

先生:次に、問題の部分です。

マタイによる福音書2章16節

ラテン語:
Tunc Herodes videns quoniam illusus esset a magis, iratus est valde: et mittens, occidit omnes pueros, qui erant in Bethlehem, et in omnibus finibus ejus, a bimatu et infra, secundum tempus, quod exquisierat a magis.

その時、ヘロデ王は賢者にだまされたことを知り、非常に怒り、ベツレヘムおよびその周辺にいた2歳以下の幼子を、学者から聞いておいた時期に合わせ、すべて殺させた。(拙訳)

セカコ:これは最低すぎませんか。これまで世界史の教科書に出てきた王や国の中で、ダントツでひどいですよ。

先生:そうですね。ただ、ヘロデやユダヤの祭司たちが極悪人のように書かれているのは、史料である聖書が、キリスト教徒が書いた物だからという可能性も考えられます。

セカコ:どういうことですか。

先生:キリスト教が正しい宗教であることや必要な宗教であることを説くには、時代背景として、腐りきった政治や、歪んだ社会があったほうが、都合がいいわけです。歴史史料を読むときには、それが書かれた立場について、注意しなければなりません。

セカコ:そうですね。旧約聖書で、バビロン捕囚を行ったネブカドネザル2世を暴君に描いて、バビロン捕囚からユダヤ人を解放したキュロス2世を聖人のように描いていたことを学びました。

先生:ペルシア戦争も、ギリシア側からの一方的な記述でしたね。隋の煬帝などもそうで、唐から一方的に暴君として書かれた可能性があります。歴史史料に、極端に悪い人物や政治が出てきたら、意図的にそのように描かれている可能性があることに思い至り、それを描いた側の立場や目的を考えてみる必要があります。

イエスの登場とキリスト教の成立


先生:いよいよイエスが登場します。当時はヘロデ王だけではなく。ユダヤ教祭司ら指導層も、過酷な統治を行っていました。ローマ総督の求めに応じて、大多数を占める貧しいユダヤ民衆から税をとりたて、人々の不満や怒りに耳を傾けようとはしませんでした。

セカコ:一方的に描かれたとはいえ、救いようのないデストピアです。

先生:背景には、ローマの帝国の過酷な支配がありました。ローマの属州統治は文化・宗教に寛容でしたが、徴税は過酷でした。属州になった以上、民衆から取り立てて上納するしかなかったわけです。逆らえば戦争と破壊が待っていました。実際に、属州ユダヤはこの後二度反乱を起こして敗北し、イェルサレムを破壊されてしまいます。

セカコ:世界史って、ロマンがあるんだけど、時々過酷ですよね。だから、日本史選択にみんな逃げちゃう。日本史にも過酷な場面はたくさん出てきますけどね。

先生:当時の属州ユダヤには、(6)パリサイ派とよばれる律法の実行を重んじることを人々に説いた一派がいて、人々に困難なときこそ戒律を守ることが大切だと説いていました。しかし、貧困など社会問題の解決には目を向けなかったようです。聖書では保守的な一派として登場し、イエスに論破される場面が出てきます。

セカコ:そんなデストピアに、イエスが登場するわけですね。

先生:はい。このような社会状況のなか、1世紀に伝道をはじめた(7)イエスは、ユダヤ教の祭司やパリサイ派の権威主義と形式主義を批判し、(8)神の絶対愛(9)隣人愛を説いて、神の国の到来を予告しました。

セカコ:教科書で絶対愛とか隣人愛とか書いてありますけど、ピンと来ないです。

先生:絶対愛というのは、神は無条件に全ての人を愛しているということです。
 さきほど出てきたパリサイ派の人々は、貧困や困難の中にあっても、律法や伝統に厳格に従うものに、神は応えて下さるという主張です。彼らは、人生の目的は神に仕えることであると考え、精神的な自己修行に重点を置き、禁欲や祈りを通じて、神に近づくことを目指しました。言い換えると、そういう人を神は重視し、そうでない人は神に見放されてしまうということになります。

セカコ:遅刻をする者は俺はもう知らん、という先生がいました。

先生:イエスは、そういった条件に拠らず、無条件に神はすべての人を愛すると説くわけです。

セカコ:遅刻をする生徒も、そうでない生徒も、ちゃんと面倒見てくれる先生みたいなものですね。

先生:まあ、あまりいい例えではないですが、そのとおりですね。そして、この絶対愛という考え方から出てくるのが、隣人愛という考え方です。神がすべての人を無条件に愛するのだから、あなた自身もすべての他人を無条件に愛しなさいということです。

セカコ:なるほど。神の絶対愛から隣人愛という考え方が出てくるんだ。教科書にはそこまで詳しく書いていないですね。

先生:世界史の教科書は、歴史を叙述することが目的ですからね。倫理の教科書には、この点がきちんとかいてありますよ。イエスが隣人愛を説いた場面を、聖書で確認してみましょう。今回は、マタイによる福音書22章37-40節をみていきます。

ラテン語:
Ait illi: Diliges Dominum Deum tuum ex toto corde tuo, et in tota anima tua, et in tota mente tua. Hoc est maximum, et primum mandatum. Secundum autem simile est huic: Diliges proximum tuum sicut teipsum. In his duobus mandatis universa lex pendet, et prophetae.

イエスは言われた。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、あなたの神、主を愛しなさい。このことが、大きくかつ第一の戒めです。第二の戒めは、これに似ています。あなたの隣り人を、あなた自身のように愛しなさい。この二つの戒めに、律法全体と預言者たちのすべてがかかっています。」(拙訳)

セカコ:イエスの言葉って、なんか、すっと胸に入ってきます。

先生:イエスとパリサイ派の人々が対決する有名な場面があるので、こちらも聖書に当たってみましょう。ヨハネによる福音書8章3-7節です。

Adducunt autem scribae et pharisæi mulierem in adulterio deprehensam, et statuerunt eam in medio,. Dicunt ei: Magister, haec mulier modo deprehensa est in adulterio.
In lege autem Moyses mandavit nobis hujusmodi lapidare. Tu ergo quid dicis?

その時、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦通の現場で捕らえた女をイエスの前に引き出し、女を立たせて、イエスに言いました。「先生、この女は今、姦通の現場で捕まりました。」
「しかし、モーセの律法では、このような女は石打ちにするように命じられています。あなたは何と言いますか?」と問いました。(拙訳)

セカコ:「モーセの律法では、このような女は石打ちにするように」って、ひどい律法だなあ。モーセを見損ないました。

先生:このあとイエスはどうしたかご存知ですか。

セカコ:読んだことがあります。誰も石を投げることはできなかったと思います。イエスが何と言ったかまでは覚えていません。

先生;続きを読んでみましょう。

Hoc autem dicebant tentantes eum, ut possent accusare eum. Jesus autem inclinans se deorsum digito scribebat in terra.
Cum ergo perseverarent interrogantes eum, erigens se dixit eis: Qui sine peccato est vestrum, primus in illam lapidem mittat.

彼らはイエスを試みるために、これを言ったのです。つまり、イエスを訴える根拠をつかみたかったのです。すると、イエスは身をかがめ、地面に指で何かを書き始めました。
しかし、彼らは問い続けました。すると、イエスは身を起こして言われました。「あなたたちのうち、罪のない者がいるなら、まずその者が石を投げなさい。」(拙訳)

先生:イエスの「あなたたちのうち、罪のない者がいるなら、まずその者が石を投げなさい。」というのは、とても有名な一節ですね。

セカコ:こう言われると誰も石を投げられません。イエスはヒーローですね。パリサイ派の人々は面白くないでしょうね。

先生:そうですね。イエスがこうして教えを広め、支持をえていくようになると、彼は既存の秩序を重んじるユダヤ教の祭司やパリサイ派らによって危険視されるようになります。ある日の夕食のあと、イエスは捕らえられ、ユダヤを治めるローマ人属州総督(10)ピラトゥス(ピラト)に反逆者としてうったえられ、十字架刑で処刑されました。

セカコ:レオナルド=ダ=ヴィンチの「最後の晩餐」で描かれている場面ですね。イスカリオテのユダが裏切るんですよね。

先生:十字架刑で処刑されたイエスは三日後に復活したと信じられています。イエスが、もっとも大切にしていた弟子の一人マグダラのマリアの前に復活する場面は、聖書の中でも屈指の名場面です。ヨハネによる福音書20章11-16節です。

Maria autem stabat ad monumentum foris, plorans. Dum ergo fleret, inclinavit se, et aspexit in monumentum,

et vidit duos angelos in albis sedentes, unum ad caput, et unum ad pedes, ubi positum fuerat corpus Jesu.

Dicunt ei illi: Mulier, quid ploras? Dicit eis: Quia tulerunt Dominum meum, et nescio ubi posuerunt eum.

マグダラのマリアは墓の前に立ち、泣いていました。泣いていると、身をかがめて墓の中をのぞいてみると、

そこには、イエスの体が横たわっていた場所に、白い衣服を着た二人の天使が座っているのが見えました。一人は頭の方に、もう一人は足元に座っていました。

天使たちはマリアに尋ねました。「女よ、何を泣いているのか?」マリアは言いました。「彼らが主を取り去り、どこに置いたのかわかりません。」(拙訳)

セカコ:イエスが処刑されて、お墓の前で泣いていたマグダラのマリアの前に、天使が現れたんですね。

先生:そうです。そして、イエスが現れます。聖書は宗教書にとどまらず、哲学書でもあり、文学でもあると思います。この場面はとても感動的です。

Haec cum dixisset, conversa est retrorsum, et vidit Jesum stantem, et non sciebat quia Jesus est.

Dicit ei Jesus: Mulier, quid ploras? Quem quaeris? Illa existimans quia hortulanus esset, dicit ei: Domine, si tu sustulisti eum, dicito mihi ubi posuisti eum, et ego eum tollam.

Dicit ei Jesus: Maria. Conversa illa dicit ei: Rabboni, quod dicitur, Magister.
そう言うと、マリアは振り返って、イエスがそこに立っているのを見ましたが、イエスであることに気づきませんでした。

イエスはマリアに言いました。「女よ、何を泣いているのか?あなたはだれを捜しているのか?」マリアは、イエスを庭師だと思い込んでいたので、「もしあなたが彼を持ち去ったのであれば、どこにおいたか、教えてください。そうすれば、私が彼を引き上げます」と言いました。

イエスは、彼女に「マリア」と呼びかけた。マリアは振り返り「ラボニ」と呼びかけました。これは(ヘブライ語で)「先生」という意味です。(拙訳)

セカコ:本当に感動的な場面ですね。「先生」っていうところだけ、口語というか、ヘブライ語を使っているのが印象的です。イエスの復活って、言葉ではよく聞くけど、聖書にはこんなふうに描かれているんですね。でも、これって、マグダラのマリアは幻を見たってことかな。

先生:そう言ってしまえばそれまででしょうし、マグダラのマリアにとって、またこの場面を読む読み手にとって、それが真実なら、私たちがそれを嘘や幻と言い切ることもできないでしょう。マグダラのマリアにとって、また、この場面を読む読み手にとって、イエスは確かに復活したのだと、私は思います。

セカコ:読み手の読み方によって、真実も変わるということですか。

先生:その後、イエスが復活したという信仰が広まります。ペテロら使徒はその後も熱心に布教をつづけました。(11)ペテロは、ローマ皇帝ネロの時代にローマで処刑されましたが、殉教の地はローマ司教(のちのローマ教皇)の居所となり、サン=ピエトロ(聖なるペテロ)大聖堂がたてられました。ペテロは、処刑される前に、復活したイエスに会っているんですよ。

セカコ:また幻を見たんでしょうか。

先生:伝説によれば、ペテロはネロの迫害を逃れてローマを離れようとしていました。信者とともにアッピア街道を南に向かっていると、向こうから見たことのある若者がやってくる。ペテロは当時もうおじいさんです。向こうからやってくる30代くらいの若者に、彼は確かに見覚えがあった。

セカコ:イエスだ。

先生:そうですね。ペテロは驚き、イエスに「Quo Vadis Domine?」と尋ねました。すると、イエスは「ローマに帰って、再び十字架にかけられる者と出会ったので、私はそこへ行くのだ。」と答えたとされています。「Quo Vadis Domine」は、ラテン語で「主よ、どこへ行かれますか?」という意味です。このあと、ペテロはローマに戻り、十字架にかけられます。この逸話は、キリスト教の歴史や芸術において、しばしば描かれるテーマのひとつとなっています。また、この逸話に基づく小説や映画も作られており、広く知られています。ポーランドの作家シェンキェヴィチ著『クオ・ヴァディス』が有名ですね。引用してみましょう。

「イエスはペテロを見つめ、微笑んで、静かに言いました。「私は、今度はローマに戻るのだ、ペトロ。そこで、もう一度、十字架にかけられることになるのだ。」ペトロはびっくりして立ち上がり、言葉を失いました。イエスはそっと彼の肩に手を置き、「あなたは逃げ出す必要はない、ペトロ。私があなたと共にいるのだから」と言いました。」
シェンキェーヴィチ 著, 木村 彰一 訳『クオ・ワディス〈下〉』岩波文庫、1995年。

セカコ:「あなたは逃げ出す必要はない、ペトロ。私があなたと共にいるのだから」っていうのは、すごい言葉ですね。これは感動します。

先生:素敵な場面ですよね。もっとたくさんお話ししたいのですが、たくさん引用をして時間を使ってしまったので、先に進みましょう。キリスト教が成立し発展する上で、もう一人、重要な役割を果たした人物がいます。セカイシシさん、教えていただけますか。

セカイシシ: ユダヤ教からの改宗者(12)パウロ(サウロ)は、神の子イエスの十字架死は全人類を救済するための贖罪死と宣教した。はじめイエスを迫害したパウロは、改心して信仰に目覚め、ギリシアなど異邦人への伝道に尽力し、特定の民族ではなくあらゆる民族に信仰される普遍宗教としてのキリスト教が成立したのじゃ。

セカコ:「フヘンシュウキョウ」

先生:特定の民族ではなく、あらゆる民族に信仰される宗教を、普遍宗教といいます。仏教やキリスト教、のちのイスラームなどが普遍宗教です。キリスト教は、イエスの死の時点では無名の存在でしたが、ペテロら使徒やパウロらの手で広められ、普遍宗教へと成長する足がかりを築いていくのです。

『新約聖書』の成立


セカコ:キリスト教は成立後、どのようにローマ帝国に広まっていったのでしょう。

先生:当時としては、ユダヤ教から派生した新興宗教のひとつですから、簡単ではなかったようです。公認されるまで約300年かけて地道に布教を続けていきます。1世紀のうちに、使徒たちの伝道によって帝国各地に信徒の団体(教会)がつくられました。1世紀末ごろから福音書や使徒の言行などが編纂され、コイネー(共通ギリシア語)で記された『(13)新約聖書』の原型が整えられていきました。

セカコ:旧約聖書はヘブライ語でしたよね。新約聖書がギリシア語なのは何でだろう。

先生:ローマ帝国がヘレニズム諸国を征服したあとも、旧ヘレニズム諸国の地域ではギリシア語が使われていました。アンティゴノス朝、セレウコス朝、プトレマイオス朝が支配した地域はすべてギリシア語が共通語でしたし、それ以外にも広く使われました。

セカコ:イエスもギリシア語を話したってことですか。

先生:いえ、イエス自身はヘブライ語、あるいはアラム語を話していたようです。イエス復活の場面で、マグダラのマリアがイエスを「ラボニ」と呼んでいましたが、あれはヘブライ語で「先生」という意味です。その後、弟子たちが教えを広める際、東地中海地域でギリシア語が共通語だったことから、ギリシア語で伝道をしていったわけです。

セカコ:新約聖書がコイネーで記されたことは、東地中海にキリスト教が広まった要因といえるわけですね。

先生:アレクサンドロス大王が征服した地域では、ギリシア語が共通語でしたから、キリスト教を各地に広めるためには、教えをギリシア語で記す必要があったわけです。

セカコ:アレクサンドロス大王なくして、キリスト教なしってわけですね。

先生:それは言い得て妙ですね。最後に『聖書』について、ちょっと注意が必要な点を見ておきます。
ユダヤ教から派生したキリスト教は、ユダヤ教の聖書を『旧約聖書』とよび、自らの『新約聖書』をその後に加え、合わせて『聖書』としています。一方、ユダヤ教では『旧約聖書』のみが『聖書』です。

セカコ:『旧約聖書』は(14)ヘブライ語で書かれていました。『新約聖書』は(15)ギリシア語で書かれているのでした。それを合わせて『聖書』としているわけですね。

先生:そうですね。ラテン語訳や英訳、日本語訳を見ていると忘れがちな点ですが、『旧約聖書』が(14)ヘブライ語、『新約聖書』が(15)ギリシア語で書かれていることは、今後の世界史学習でとても重要な意味を持っているので心に留めておいてください。

セカコ:新約聖書の構成はどうなっているのでしょう。

先生:『新約聖書』の最初の4章は「(16)福音書」とよばれ、イエスの生涯をマタイ、ルカ、マルコ、ヨハネの4人が叙述しています。その後にペテロ、パウロの伝道を中心に記述した「(17)使徒行伝」が続きます。全体の構成を羅列しておきます。さらにパウロの手紙が十数点続いて、黙示録で終わります。図書館に行ったら、聖書を手に取って、目次だけでも見てみてください。

重要語句まとめ


セカコ:この節で学んだ重要語句をまとめておきましょう。

1 多神教 
2 パンテオン 
3 ミトラ教(ミトラス教) 
4 イシス教 
5 ヘロデ王 
6 パリサイ派 
7 イエス 
8 神の絶対愛 
9 隣人愛 
10 ピラトゥス 
11 ペテロ 
12 パウロ 
13 新約聖書 
14 ヘブライ語 
15 ギリシア語 
16 福音書
17 使徒行伝


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