【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その7:本心妄心】
本心と妄心について。
本心というのは、一箇所に心がとどまらず、全身全体に伸び広がっている心のことです。
妄心は、何かに思い詰め、心が一箇所に固まり集まると、妄心と言われるものになるのです。
本心が失われてしまうと、必要な様々なことを行えなくなってしまうので、これを失わないようにすることが最も大切です。
たとえば、本心は水のように一箇所にとどまらず、妄心は氷のように固まっています。氷では、手も頭も洗えませんよね。
氷を溶かして水にすることでどこへでも流れるようにして、手足も他のものも洗えるようになります。
心が一箇所に固まって何か一つのことにこだわり続ければ、氷が固まるかのように、自由に心を使うことができません。
その心を溶かして、全身へ水が伸び広がるように心を使えば、自分の思うように自由に使えるようになります。
これを、本心と申します。
本心妄心
と申す事の候。
本心と申すは一所に留らず、全身全體に延びひろごりたる心にて候。妄心は何ぞ思ひつめて一所に固り集りて、妄心と申すものに成り申し候。
本心は失せ候と、所々の用が缺ける程に、失はぬ様にするが専一なり。たとへば本心は水の如く一所に留らず、妄心は氷の如くにて、氷にては手も頭も洗はれ不レ申候。氷を解かして水と為し何所へも流れるやうにして、手足をも何をも洗ふべし。
心一所に固り一事に留り候へば、氷固りて自由に使はれ申さず、氷にて手足の洗はれぬ如くにて候。心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきままに遣りて使ひ候。是を本心と申し候。